8.
「あの、そろそろ帰ってもいいでしょうか?」
警察が到着してから4時間が経過しつつあった。
さすがに我慢の限界がきたのか、アイラは警部に声をかけた。
物理的に犯行は不可能と判断された客たちは解放するという話が出た頃だ。
「私が物理的に不可能なのは明らかでしょう。だって私はエリオット様がトイレに行ってからお店に来たのだから」
周りの客たちを見やる。
「確かにそうね。あのお嬢さんには無理じゃなくて」
「一番怪しいのは元婚約者よ」
ひそひそと会話が響く。
それを聴きながらオルガはぐっと唇を噛み締めた。
「オルガお嬢様」
心配そうにジョンが声をかけた。
「大丈夫よ」
オルガは崩れることなく毅然としていた。
「待ちたまえ」
シャーロットが顔を出してきた。
「ベルエイデン先生、どこに行っていたのだ」
「トイレさ。敷地内だからいいだろう」
何のことはないとシャーロットは答えた。
「それで今はどんな状況だい」
「ああ、主要関係者以外は解放しようとすると話したらケリー令嬢が帰りたいといいだして」
「そうか。せめてその前に全員の指紋を取ってからにして欲しいな」
シャーロットはそう言いながらテーブルにことんと水筒を置いた。200mLほどの容量の汚れた水筒だ。しかし、表面の塗料はまだ新しい。
「それは何ですか?」
オルガは首を傾げた。
「エリオットが飲んだ毒の容器だ」
その言葉にあたりがどよめいた。
「えー、でもエリオット様が飲んでいたコーヒーから毒が出たのでしょう?」
アイラはちらりとコーヒーカップを見た。
「そうだ。だが、エリオット・ルースが飲んだ時は毒は入っていなかったとすれば……」
シャーロットは仮説をたてた。
「コーヒーの毒の濃度は致死量。5分から15分で症状が出ても不思議はない量だった。なのにエリオットは数十分、客席で過ごしトイレへ行く足取りも軽かった」
「じゃあ、いつエリオット様は毒を飲まされたの?」
アイラはこわいといいながら近くにいたジョンにしがみついた。困惑するジョンを助けるようにオルガが引き離す。
「トイレで犯人に出会い、毒入りの水筒を渡された。エリオット・ルースは疑うことなくそれを飲んだ」
シャーロットはじっとアイラを見つめた。
「アイラ・コメット令嬢。君が、一番怪しい」
その言葉にあたりは騒然とした。
アイラは何かを言いかけて周りの反応をみてすぐに両手で顔を覆い、その場に崩れた。
「ひどい! 私はエリオット様を愛しているのよ。とんでもない侮辱だわ!」
今まで天真爛漫な令嬢は怒り叫んだ。
それもそうだと周りはアイラに同情した。
「君が相手なら被害者は水筒の中身を飲んだだろう。被害者に症状が出たのを確認した君は塀の向こうの用水路に水筒を捨てて、表通路へ出て何食わぬ顔で、喫茶店に入ってきた。そしてオルガ・リーベルたちが席を離した一瞬を狙い被害者のコーヒーカップに毒を注いだ」
シャーロットは周りの批判的な視線の中でも淡々と仮説を述べていった。
◆◆◆
もし、シャーロットの仮説が正しければ――
「くそっ!」
トイレの出入り口でエリオットは悪態をついた。
「オルガの奴! まじで嫌な奴だ」
婚約解消なら喜んでするところだが、オルガからの実家からの投資がなくなると厳しくなる。その上、違約金まで発生するなんて聞いていなかった。
「投資金だけは何とかつなげろ。そうしたら違約金は何とかしてやる」
父から言われた言葉を思い出してエリオットはギリと歯軋りした。
(何で俺がこんな目に遭わなければならない! 婚約だって父上が決めたことだろうに)
確かに婚約当初、美しいオルガに夢中になった時がある。彼女との婚約のために、何人かの遊び相手と縁を切る程には愛していた。
(妊娠したと騒いだ女がいて大変だったな)
何とか黙らせてオルガとの婚約を成立させた。
楽しかったのはほんの数ヶ月。
オルガは頭がよく何かと厳しい言動が目立った。段々可愛らしさを感じなくなりエリオットはまた女遊びを繰り広げた。
それでもまだオルガとの結婚にうまみを感じたからその場限りの女を選んだ。
そうしているうちにエリオットは理想の女に出会った。
「エリオットさまぁ!」
声がして振り向くとアイラがいた。
「アイラ、どうしてここに」
夕方になれば演劇を観に行く約束だった。
「えへへ、エリオット様に会いたくなってきちゃいました」
花がふわふわと飛ぶ可愛らしさを兼ねた令嬢に思わず頬が緩む。
(ああ、今までの苛立ちが消えた。アイラは本当に可愛いな)
「それで婚約解消の話はうまくいきそうですか?」
「がめついオルガのせいでなかなか話が進まないのさ」
ついつい愚痴るエリオットにアイラは一緒にオルガを非難した。
「もう! オルガ様は意地悪なんだから。エリオット様、頑張って!」
ぷんぷんと怒りながらも、アイラは水筒を取り出してエリオットを勇気づけた。
「頭がスッキリするハーブティーを作りました」
アイラの趣味はハーブティーだった。彼女のいれるハーブティーは効果がある。本当に心が落ち着く。胃の調子もよくなり、睡眠もしっかりとれるようになって体の調子がよくなった。
(アイラがいれてくれるからかもしれないが)
エリオットは目を細めてアイラから水筒を受け取った。
(やはり俺にはアイラが必要だ。オルガを早く捨ててアイラと幸せになるんだ!)
夢と希望を胸に再度オルガに立ち向かおう。
その前にアイラが用意してくれたお茶を一気に飲み干した。




