9.
シャーロットの突然の物言いに一同は唖然とした。
沈黙を破ったのは震える声のアルテミア子爵夫人であった。
カラン。
彼女の手に持っていたスプーンが床へと落ちる音がした。その音を皮切りにラナが言った。
「令嬢、突然無礼ですよ。夫人は事情があって喋れないのです。今は私がその事情に取り組んでおり」
「その事情というのは呪いというのか?」
シャーロットの問いにラナはこくりと頷いた。
「そうです。奥様は先日呪いの本を手にしてしまい呪われてしまいました。私めは呪いの解読をして」
「それは呪いではない。脳の病気だ」
シャーロットは断じた。
「夫人の顔を、所作をみた。目の動きは問題ないようだ。末梢神経ではなく、中枢性……口から下の右側の麻痺が目立つ。左側は支障がないということは典型的な右麻痺……言語も思うように喋れずと考えると左脳障害」
シャーロットはつらつらと説明した。
脳神経の話でここにいる者たちはすぐにはピンとこなかった。
オルガが恐る恐る尋ねる。
「あの、それでは大叔母様の病気は脳で」
「慢性硬膜下血種の疑いがある」
シャーロットは病名をあげた。
「といっても専門外だから正確な診断は専門医に任せたいが……」
同時に困ったようにシャーロットは呟いた。
「リーベル令嬢から聞いた話では2か月前に転倒をして大きなたんこぶを作ったそうだ。直後に大きな脳の症状はなくても頭部打撲の2,3か月後に遅れて現れることがある。脳を覆う硬膜という膜の下にじんわりと血のたまりができあがる。それが2か月3か月後に大きくなっていき脳を圧迫してしまう。脳梗塞に似た症状を起こしたり、認知症の症状を起こす」
シャーロットは使用人に頼み紙とペンを持ってこさせた。
それに簡単にまるを二重に書いて、中を脳、外側のまるを硬膜としている。その中に血のかたまりと思われる黒い物体を描いていった。
確かに今の説明であれば夫人の状態は納得できる。
「放置すると後遺症を残すか、最悪死んでしまう。だから病院へ行くべきだ」
シャーロットは立ち上がりアルテミア子爵夫人の方へ近づいた。
その前をラナが立ちはだかる。
「いいえ、夫人は呪いを受けています! 呪いを解かなければ治りません」
シャーロットは面倒くさいとため息をついた。
「ラナ・モリガン」
少々イラついた声で彼女を睨みつける。
「あなたの仕事がそれであれば仕方ない。祈祷なり呪いなり自由にされればいい。だが、同時に病院へ連れて行ってもいいのではないか?」
「いいえ、病院へ連れて行けば折角解けかかっていた呪いがまた戻ってしまいます」
らちがあかない。
どうしたものかと思案しているとオルガが立ち上がった。
「アルバート兄!」
そう叫ぶと同時にオルガとアルバートはラナを押さえつけてシャーロットの前から引きずり出した。
「何をするのですか。アルバート様、オルガ様! おはなしください」
ラナは叫んで二人をぐいぐいと跳ねのけようとする。あまりの強い力にオルガは身を崩してしまう。アルバートは何とかふんばろうとするがじりじりと押されていた。
ルイスは思わず加勢に入る。アルバートが崩れ落ちたと同時に触れたラナの体に彼は疑問を抱いた。
「え?」
疑問を口にする余裕はなく、ラナを抑え込んだ。
「大叔母様!」
オルガが悲鳴をあげた。何事かとみるとアルテミア子爵夫人の体ががくがくと震えていた。
「いけない。執事は馬車の準備をして! なるべく力ある男手を呼んで来い」
シャーロットは執事に指示を出しながらアルテミア子爵夫人に近づいた。
すぐそばにいたアルバートへ声をかけ、彼女を横に寝かせた。
「けいれん発作だ。とにかく彼女の気道を……口の中の空気の通り道を確保して」
シャーロットは手振りで説明して、アルバートにアルテミア子爵夫人の顎下をもたせて支えた。
「吐きだしたものがあればすぐに横に向けて」
そう言いながらシャーロットはピクニックバスケットを取り出した。パカッと開けると中には注射器と薬瓶が並んでいた。
「使うことにはなりたくないが……」
ひとつの薬剤を取り出して注射器へと移しこむ。指で何度かはじき、空気が抜けたのを確認した。
ピクニックバスケットから駆血帯を取り出すが、シャーロットは首を横に振って駆血帯を放り出した。
今も震えるアルテミア子爵夫人の腕につかみ、筋肉注射をした。
「何てことをするのですか! 夫人にそのような人工物を、自然への冒涜です!」
ラナは金切り声で叫び続けた。あまりに強い力でルイスは久々に全身の力をかけてラナを押さえつけた。
同時に疑問をようやく口にした。
「ラナさん、あなたは女……なのか?」
その疑問にラナは急に動きを止めた。一体何の反応だろうかとルイスは警戒するが、急に彼女の頭がルイスの顎に直撃した。あまりの衝撃にルイスは思わず手を放してしまい、するとラナはささっと拘束から外れて客室を出ていった。
それと同時に執事が男手を連れてきてくれた。
「けいれんがおさまった……ゆっくりと馬車へ運んでくれ」
シャーロットは男たちに頼み込み、彼らは二人かかりで丁重に女主人を運び出した。
それについていきながらシャーロットは両手を握り締めた。頬がこわばり、手がふるふると震えている。
「シャーロットさん」
ルイスが声をかけて彼女に触れると真っ青な顔の彼女がみえた。揺れる瞳で彼女はルイスを見つめた。
ほんの一瞬であったが、すぐにシャーロットは運び出されたアルテミア子爵夫人の後を追いかけた。
馬車の中へと入り、気道が確保されているか確認をする。
「急いで、アシュラム市立病院へ」
そういうと御者はハイヤーと大声をかけて馬を走らせた。馬車の中には横たわるアルテミア子爵夫人、それを見守るアルバート、彼女の気道が問題ないかみつめるシャーロット、そしてついてきたルイスの4人であった。




