第8話 【リリー視点】正ヒロインの策略
「なん……っ、なのよ! あの女!!」
ぼふっ! と、リリーは力任せにクッションを床に投げつける。
ここは、リリーに用意されていた王宮の控室だ。
――厳密には、本来はチェリエに用意されていた控室、だが。
「腹立つっ! 腹立つっっ! 腹立つったら! なんであの女がサリュートと一緒にいるの!?」
ぐりぐりと、叩きつけたクッションを力任せにヒールで踏み躙る。
このクッションがチェリエであったら少しは気持ちもスッキリするかもしれないが、力任せに踏みつけてもうんともすんとも言わないために余計にフラストレーションが溜まってしまう。
室内に控えている使用人たちは、下手に関わって自分にとばっちりが来ないようにと見て見ぬふりだ。
「はあっ……、はあっ……! あの、くそ女っ……!」
あの舞踏会での茶番劇の後、レイスは国王に呼ばれて連れられていった。
リリーも付いていきたいと強請ったのだが、『王族のみでの話がある』と国王に突っぱねられついていけなかったのだ。
(これでレイスが国王から『花継ぎの乙女と別れるように』とか言われてたら)
せっかく順調に進んでいた王妃への道がおじゃんになってしまう。
苛立たしげに親指の爪をカリカリと噛み、ぐりぐりとクッションを踏みつけながらリリーは考える。
(国王を攻略できたら――いえダメだわ。攻略できたとしても、おっさんには興味ないもの)
だったらいっそ、国王と同等か、それ以上に権威のある存在――。
そう考えてリリーは、ぱっとサリュートに思い至る。
(そうよ! やっぱり、サリュートを攻略すればいいんだ!)
本命をサリュートにして、レイスは遊び相手としてキープする。
サリュートを落とせばデルトムントより大国のトリギアの王子妃になれるし、なおかつ、その後頑張ってサリュートを国王に持ち上げれば、リリーは晴れて大国の王妃だ。
(なんだ! 思ったよりも簡単で単純じゃない!)
今までは、サリュートを攻略したいと思ってもできなかったのは、そもそも登場さえしていなかったのでアプローチをすることもできなかったからだ。
しかし、腹立たしくはあるが今回チェリエと一緒に表舞台に出てきたことで攻略するチャンスが生まれた。
(あの女。本当に腹が立つけど、そういう意味ではいい仕事をしてくれたのかもしれない)
大嫌いなチェリエのことを思い出しながら――、その隣に立っていたサリュートのことを思い出す。
少し皮肉げでクールな雰囲気のあるレイスとは違う、優しげで優美な美少年といったサリュートの顔。
(――あのキャラ。隠しキャラなくせに、確か一番人気だったのよね)
あの、穢れを知らなそうな無垢な美青年の顔が、リリーを求めて欲に塗れ、切実に自分を乞うてくる姿を想像したら。
それだけで背筋にぞくぞくとした快感のようなものが走った。
(……やっば。めっちゃイイ。楽しくなってきたかも)
そうと決まれば、明日からの毎朝の祈祷対象はサリュートだ。
この世界は原作ゲーム同様、ヒロインが毎朝の祈祷で祈った対象との好感度が上がる。
一度の祈祷で一気に爆上がりするわけではないが、それでも地道に毎日続けると馬鹿にならない。
これまで彼女は、ひととおりの攻略対象の好感度を上げた後はレイス一本に絞っていたが、今後はサリュートに絞ろう。
そう考えていると、コンコンと、部屋のドアをノックする者があった。
「リリー、いるか。俺だ」
――レイスだった。
「レイス様っ……!」
リリーはノックされたドアを開けると、それまでの荒れっぷりから一変し、いかにもかよわい可憐な令嬢に変じてみせた。
「レイス様、大丈夫でした? 陛下からお叱りを受けませんでしたかっ……!?」
さも心配していたというふうに、目尻にうっすらと涙さえ浮かべながら、リリーはレイスに擦り寄る。
「……いや、大丈夫だ。陛下もちゃんとわかってくださった」
そう言うとレイスは、リリーの肩をぽんと撫でた。
「本当ですか? わたし、陛下からよくない印象を受けてしまったのではないかと心配で……」
「ははっ、そんなことないさ。花継ぎの乙女の君を、誰も悪く言うものなどいない」
(――よかった)
レイスの様子に、リリーはほっと胸を撫で下ろす。
とりあえずレイスの好感度は今のところ問題なさそうで、そのことは彼女に大きな安心を抱かせた。
「……じゃあわたし、レイス様とも距離を置いたりしなくても大丈夫ですか?」
「もちろんだ。陛下も引き続き、俺に【花籠の騎士】として君を助けるように言っていたよ」
レイスの言う、【花籠の騎士】というのが、いわゆるこのゲームにおける攻略対象にあたる。
本来このゲームは、平民から花継ぎの乙女として選ばれたヒロインがこの聖グローシス学園に入学し、花籠の騎士と協力して瘴気を浄化したり問題を解決したりしながら、ストーリーを進めていくというものなのだ。
「……それにしても、サリュート様とチェリエ様は一体どこでお知り合いになったんでしょう」
リリーがぽつりと呟くと、それを耳にしたレイスが先ほどの茶番を思い出したのか、気分を害したように眉を顰めた。
「……本当にな。しかしチェリエもチェリエだ。何もあの場で、見せしめのようなやり方で婚約破棄の話を出さなくてもよかったろうに」
忌々しげにレイスがふんと吐き捨てるが、そもそも先に学園の庭園という公衆の場で婚約破棄を言い渡したのはレイスなので、このことでチェリエを責めるのは全くのお門違いである。
しかしそんなことには一切構わない様子で、リリーがレイスに言葉を返した。
「レイス様。わたし、サリュート殿下に謝ることはできないでしょうか」
「謝る? 一体何についてだ?」
突然リリーから出てきた『謝る』という発言に、レイスが何のことだと眉間に皺を寄せると、リリーはおずおずと気弱そうな女性を演じながらレイスに言う。
「このままだとレイス様は、一方的にチェリエ様に婚約破棄を言い渡したよくない人だと思われたままです。でもそれってレイス様が悪いんじゃなく、私のためを思ってしてくれたことなのに。それを私からサリュート様に伝えて、誤解を溶けたらと思って」
「リリー……」
あくまでも、レイスのことを思ってのことなのだと告げるリリーに、レイスは心動かされたように声を上げる。
「……そうだな。どのみち、サリュート王子には花継ぎの乙女であるリリーを紹介する必要もあるし。あらためて場を設けることができないか、俺の方でも取り計らってみよう」
リリーにそう告げるレイスは、よもや彼女が内心でほくそ笑んでいることに気付きもしない。
(よかった。これでサリュートと接点ができるわ。そうしたらきっと――サリュートルートも開けてくるはず)
俺様系ヒーローのレイスも悪くはなかったが、リリーとしてはどちらかと言うと正統派爽やか王子系のサリュートの方が好みなのだ。
舞踏会で見たサリュートの姿を思い出し、リリーの脳裏にサリュートとの妄想がもわんもわんと湧き上がる。
『リリー。他の男のことなんか見ないで。私のことだけを見て』
『リリー。どうしたら君を私だけのものにできるのか、教えてくれる?』
(ううっ……、いいっ……!)
サリュートが自分に屈した未来を妄想したリリーは、自らの妄想にたまらない気持ちになる。
高揚する気持ちをレイスへの感謝の気持ちに隠しながら、リリーは感極まった様子を演じながら「レイス様……、ありがとうございます……!」と言ってレイスに抱きつく。
(ああ、楽しい。ヒロインって最高)
何もかも。
この世界は自分のためにあるのだと、リリーは疑いもしていなかった。
彼女にとってこの世界は、現実ではなくゲームの延長だったからだ。
破滅へのカウントダウンが始まっていることも知らずに。
カチカチと、音を立てて針が進んでいた。




