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第43話 【前世編】槙田ちえり⑧



 龍斗はちえりに想いを告げてから、頻繁に家に訪れるようになった。

 ちえりの作る夕飯を食べて、帰り際に玄関前でちえりを抱き締めて帰る。

 ただそれだけの関係だけれど、ちえりは龍斗が来るだけでなんだかいつも気持ちがそわそわとしてしまう。


 そんな、ある日のこと。


「……ゲーム機?」


 ちえりが夕飯を作っているのを待つ間、ふとテレビボードの片隅に置かれたゲーム機(それ)を見つけた龍斗が不思議そうに口にした。


「ああ、それ? 会社の子が貸してくれたの」


 ちえりの言う会社の子というのは、先日ちえりに気を利かせて『あとはやっておくんで帰っていいですよ!」と言ってくれた後輩の女の子だ。


 誰にでも分け隔てなく、からりとして明るいその後輩は、ちえりが祖母の介護で憔悴しょうすいしている時にも大層心配してくれた。


 心配して――、『何か、気が紛れるものでもやるといいですよ!』と言って、ゲーム機本体ごと貸してくれたのだ。


「ふうん……、【花継ぎの乙女】?」

「それ、女の子がやるゲームだよ。貸してくれた子のおすすめなんだって」


 料理をする手を動かしながらも、ちえりは龍斗に説明する。

 確かに――、おすすめしてくれた子の言った通り、初めてゲームをやったちえりにもとても面白いと思えるゲームだった。

 ストーリーもちゃんとしているし、花を扱う魔法もなかなかに乙女心をくすぐる演出で、色々と調べながらなんだかんだとしっかりやり込んでしまった。


 単にその時、祖母の介護で心身ともにきつくて、逃げ場としてちょうどよかったということもあったのだけれど。


 救いのない毎日の中、暗い部屋でただひたすらに没頭したゲームの中のきらきらとした少年少女たちの世界は、ちえりの心をかなり癒してくれたのだ。


「今日、肉じゃが?」


 そんなことを思い出しながらちえりが夕飯の準備を進めていたら、いつの間にかちえりの背後にやってきていた龍斗が肩から覗き込んでくる。


 ――近い。


(……この距離感。なんにも思っていなかった時はなんにも思わなかったのに)


 それとも、龍斗の方が意識して何かを変えているのだろうか?

 彼が立つ背後から伝わる気配が、ちえりを妙に緊張させる。


「……そうだよ」


 ちえりが、緊張を悟られないように何気なさを装って答えると、龍斗は「やった。肉じゃが大好き」と言いながらご機嫌になる。


「りゅうくん、ハンバーグの時も同じこと言ってたじゃない」

「ハンバーグも好きなの」

「でも、どっちかというとハンバーグの方が好きでしょ」

「……バレてる」


 バレないわけがないだろうに、とちえりは思う。

 昔から何かあるたびに「ハンバーグが食べたい」と言われてきたのだ。

 龍斗が何が好きで何が嫌いかなんて、こっちはとっくに把握済みだ。


 食事の準備が済むと、昔みたいにちゃぶ台を挟んで一緒に夕飯を食べる。

 ここしばらく一人で食べることが多かったちえりは、龍斗のおかげで誰かが一緒に食べてくれることのありがたさを心から感じていた。


「ちえりって、お酒とか飲まないの?」

「飲めなくはないけど、あんまり飲まない」

「ふうん。いつ籍入れる?」

「…………え?」


 話の流れをぶったぎるように唐突に挟まれる会話に、思わず箸を止める。

 どこまで本気なのだろう――と、ちえりがおそるおそる顔を上げると、くすりと苦笑した龍斗の様子が目に入り、ちえりは自分が揶揄われたのだと知って怒った。


「……りゅうくん」

「ごめんごめん。でも冗談で言ったんじゃないよ」


 冗談ではない――、じゃあどこからが本気なのだろう?

 そうは思うけれど、ちえりの口からはその先を怖くて尋ねることができない。


(……りゅうくんとなら。ずっと一緒にいられるのは、私も嬉しいけど)


 だけど、本当にいいのだろうか?

 ちえりの中ではまだどうしても、自分が6つも上だということがわだかまりとして残っていた。

 それに――、自分がずっと大切にしていて、幸せになってほしいと思っていた子を、本当に自分は幸せにできるのだろうか?

 そんな迷いを払拭するように、龍斗はいつも無邪気にちえりに近づいてくる。

 


 ――人は環境に慣れてくると、段々と『これでいいのかも』と思えるようになる生き物だ。

 ちえりも例外ではなく、龍斗とのこんな生活を続けていく中で、徐々に気持ちがほだされていった。

 穏やかな日々が、ひと月、ふた月と過ぎ、ちえりがようやく龍斗と一緒にいることに慣れ、安心できるようになった――そんな時のことだった。



 ちえりの幸せを覆す一言が、龍斗の口から発せられたのは。






 ◇◆◇






「…………ちえり、ごめん。他に…………、好きな人が、できたんだ」


 ――と。

 暗い表情かおで、とても言いにくそうな様子で――龍斗から告げられたのは。


「………………え?」

「……本当にごめん。ちえりのせいじゃないから。全部俺のせいだから」


 その時。

 彼がその後どんな話をして、どんな表情で帰っていったのか。

 ちえりは、よく覚えていない。


 ただ、


「……そっか。わかった。だよね」


 と。


 龍斗を気遣わせないように、何気ないそぶりをすることに必死で。

 絶対に涙を見せるわけにはいかないと必死で。

 傷ついている様子など微塵も見せずに、少し困ったような笑顔でそう答えた。



 ――多分、自分は、うまくできていたと思う。



 役者になれるのではないかと自分で思ってしまうほどの、一世一代の芝居。



 龍斗が出ていってからも、もしかしたらまたドアを開けて彼が戻ってくるかもしれないと。

 その時に泣いていてはいけないからと、ただひたすらに、取り残された部屋で震えながら、泣くのをこらえるのに必死で。


 しばらくの時が経って、さすがにもう龍斗も戻ってこないだろう――と安心できた頃に。

 ちえりは、堰が切れたようにぼろぼろと涙をこぼし始めた。


「ふ……、ふっ……」


 最初は自分を滑稽だなと思った。

 だから、涙の中に笑いも混じった。


 ――どうして私は、あんなに若い男の子とうまくいくなんて思ってしまったんだろう――?


 どうして、浮かれて、こんなに好きになってしまったのだろう?


 震えるような笑いと共に涙で顔をぐしゃぐしゃにした後、次に襲ってきたのは深い悲しみと絶望だった。


 好きに――ならなければよかった。

 弟みたいな存在のままにしておけばよかったのに。

 そうしたら。

「他に好きな子ができた」と言われても、「よかったね」と心から祝って、笑ってあげられたのに。


「ふっ……、う…………」


 座っていられなくて、くずおれるように床に手をつく。

 ぼたぼたと、畳の上に、大粒の涙が点々と痕を残す。


「ああ……、あ゛あ゛あ゛〜〜…………」


 情けない自分の嗚咽が部屋中に響いて聞こえて、それで余計に悲しくなった。


 ほら――、やっぱりそうだったじゃない、と。

 もう一人のちえりが、心の中で呟く。

 6つも年下なんて、やっぱり上手くいくわけなかったんだよ。

 最初からわかってたことじゃない。


 心の中で何度そう言い聞かせても、内から溢れ出す悲しみは止まらない。



 ――――――ああ。



 悲しみと共に込み上がってきた想いで、ちえりは息ができなくなるほどに胸が苦しくなる。



 ――――――愛されたい。



 深い悲しみと嗚咽で胸が苦しくて、洋服の胸元をぎゅっと握り締める。




 ――――――私もただ、誰かに愛されたかったの――――――。



 誰かに、これ以上ないというくらいに愛されたかった。

 愛されてると思えた分、それ以上に愛を返したかった。

 ただ、それだけのことなのに。



 ――――――なんで。



 なんで私はいつも、上手くいかないんだろう…………?



 泣けるだけ泣いて、どれくらい泣いたかも覚えてないくらい泣いて。

 途中、畳に寝転がり天井を見上げながら、このまま死ねたら良いのにとすら思った。


(……私が死んだら。りゅうくん、少しでも悲しんでくれるかな……)


 そんな考えが、馬鹿な思いだと思えるくらいの理性は残っていた。

 世の中の人たちはみんな幸せそうに見えるのに。

 どうして私は、何一つうまくいかないんだろう?


 その後。

 泣き尽くして、喉が乾いたと思って、ふらふらと外に出たのはなんとなく覚えている。



 ――転がってきたボール。

 ――そのボールを追いかけてきた小さな男の子。

 ――ボールを追いかけることに夢中で、車が走ってきていることに気づかない。


 男の子の面影が、なんだか昔の龍斗に重なって見えて。

 助けなきゃって思ったんだ。


 後は、全身が何かに叩きつけられた衝撃。


(ああ――でも。もしかしたら私の人生は、りゅうくんを助けるためにあったのかもしれないな)


 来たばかりの時は、あんなに痩せてガリガリだった彼が。

 今ではすごく立派になって。

 かっこいい男の子になって。

 好きな女の子もできたって言って。

 それでいいじゃないか。

 それで自分は幸せじゃないか。

 大好きな一人の男の子を、幸せな未来に導いてあげられた。


 すうっと、地面に横たわったちえりの頬に、一筋の涙が落ちた。

 なんだか、少しだけ報われた気がした。

 我知らず、横たわったちえりの口角がゆっくりと上がる。


 その記憶を最後に、ちえりの意識は闇に沈んだ。



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