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第39話 【前世編】槙田ちえり④



「……あの、実は。槙田まきたさんのこと、前からずっといいなって思ってて……」


 ――付き合ってもらえませんか? と。


 会社の同僚から告白されたのは、この会社に入社して5年目。

 ちえりが23歳、龍斗が17歳になった時のことであった。


「……あ、す、すみません。私あんまり、そういうこと考えたことなくて……」


 ちえりが及び腰になりながらようやっとそう答えると、相手は「返事はすぐにじゃなくていいんです、とりあえず、一度食事にでも……」と気遣いながら言葉を返してくる。


(……びっ……、くりした……)


 予想もしていなかった状況に、思わずトイレに入って両手で口元を覆う。

 相手は新卒で入ってきた同い年の社員で、明るくて爽やかで、他の女性社員からも人気のある人物。


 そんな相手が、まさか自分なんかを恋愛対象として見ているなどと全く思っていなかったちえりは、突然の告白に動揺することしかできず、こうして狼狽うろたえているのだった。


(…………。恋愛か…………)


 社内でも屈指のハイスペックな男性から告白されて、嬉しくないわけがない。

 けれどちえりには、素直に「はい」と言えない事情がある。


(借金を抱えてて、祖母と高校生を養ってる女なんて……)


 どう考えたって、相手からしてみたら不良債権でしかないと思う。

 龍斗は現在高校2年生。

 ちえりとしては、できれば大学まで出させてやりたい。

 となると――、あと6年近くは、どうしたって踏ん張らなければならない。


(それに付き合ってくれと言うのはこくすぎるわ。相手もまだ若いのに)


 その若い相手と自分も同い年なのだが――ということは度外視する。

 長年の不幸が染み付いてしまっているちえりは、自分が真っ当に幸せな人生を歩ける勝ち組とは違うと思っているのだ。


 それでも、優しくて明るい祖母がいて、可愛い弟のような龍斗がいる生活は、それなりに幸せだと思ってるが。


(今度、折りを見てちゃんと断ろう。あんなに素敵な人だもの。私なんかよりももっといい人がきっといるわ)


 そう決意したちえりだったのだが。

 たまたま、その本人と廊下であって断りの返事を告げようとした時に、「できればせめて、一度だけでも一緒に食事をしてもらえませんか? 返事はその時でいいので」と言われたため、一度だけその彼と食事に行くことになってしまったのだった。



 ◇



「りゅうくん。今日私、帰りが遅くなるから、夜は冷蔵庫のタッパーに入れてるご飯、おばあちゃんに食べさせてあげてくれる?」

「……わかった、けど……」


 その日の朝。

 ちえりが会社に行く支度をしながら龍斗にそう告げると、ちゃぶ台で朝食を食べていた龍斗は、なぜかじとっとした目になり、


「……ちえり、今日なんか妙にめかしこんでない?」


 と指摘してきた。


「えっ……?」

「その服……、ちえりが一番気に入ってるやつじゃん」


 ――鋭い。


 別にちえりは龍斗に『この服が一番お気に入りなの』などと一度も言ったことがないのに、どうしてそのことを知っているのだろう――?


「……よく知ってるね……?」

「見てればわかるよ」


 しれっとそう答える龍斗は、しかし先ほどの「妙にめかしこんでない?」の答えを流してくれる気はないらしい。

 視線だけで『で? なんで?』とうったえかけてくるのを、ちえりはなんだかやけに後ろ暗い気持ちになりながら答えた。


「……特に理由はないよ。単に今日、これにしようって気分だっただけ」

「……ふうん……」


 ちえりの言い訳に、龍斗はわかったのかそうでないのか、曖昧な返事をする。

 

(……浮かれてるつもりはなかったんだけどな)


 今日食事に行く予定の店は、とりたてて特別に高級というわけではない普通のイタリアンだ。それでも、長らくそういった場所に行き慣れていないちえりとしては、なるべくちゃんとした格好をしていこうと思った結果の今日の洋服のチョイスである。


(断るって決めてるからって、手抜きをしていくのもなんだか失礼だし)


 一緒にいる男の人に恥をかかせるのもよくない、と思った結果でもあるのだが、龍斗からしたらそれが洒落込しゃれこんでいるように見えたのだろうか。


(……最近、なんだか急に大人びてきたしなあ……)


 あっという間に身長も追い越され、顔立ちも美少年から大人のそれに変わりつつある。

 生い立ちのせいか、どこか達観したようなところも余計、高校生らしからぬ雰囲気を漂わせている。

 彼女の一人や二人いても全くおかしくないと思うのだが、今のところ彼がちえりにそんな報告をしてくることはなかった。


(……彼女かあ)


 もし、龍斗に彼女ができるのであれば、できれば自分とも仲良くしてくれるような子だったらいいな。

 そう思うちえりだったが、なんだかんだいって龍斗は、ちゃんとそういう子を選んでくれるだろうなという謎の信頼もあった。


 龍斗が彼女を連れてきて。挨拶して。

 結婚して。その結婚式では二人を泣きながら親族席から見つめる自分がいて。

 龍斗の子供を抱えて、また感動して泣く自分。


(……いろいろあったけど。やっぱり私、りゅうくんがいてくれてよかったなあ……)


 自分の人生には期待を持てないけど、龍斗このこの人生には期待が持てる。

 そう思い、遠い未来まで思いをせていたら。


「……ちえり。ぼおっとしてるけど、そろそろ家出なくて大丈夫?」


 と龍斗から声をかけられた。

 その言葉にはっとして時計を見ると――。

 いけない! もう出ないと遅刻すれすれになる時間だ!


「ごめん、ありがとう、もう出るね。じゃあ夜、おばあちゃんのことよろしくね」


 と言い残し、慌ただしく家を出たのだった。

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