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第37話 【前世編】槙田ちえり②



 最初は伺うような様子を見せていた少年も、月日の流れと共に新しい生活にだいぶ慣れてきたようだった。


 次第に家事を手伝うようになってくれたり、学校行事を知らせてくれるようになったりして、段々と家族らしい形もできてきた。


 祖母と一緒に小学校の運動会に応援に行ったり、授業参観を見に行ったりと、ちえりとしては歳の離れた可愛い弟ができたような感覚だった。


 龍斗は、自分が虐げられてきたことを自分のせいだとでも思っているのか、槙田の家にいる間はとても聞き分けのいい良い子だった。

 おまけに学校の成績もいいらしい。


 過去、ちえりが過ごしてきた中では、もしかしたらこの時が一番幸せな時期だったかもしれない。


 そんな――幸せが音を立てて崩れたのは。

 ちえりが高校三年生のちょうど夏休みの時。


 今まで、赤字経営でもなんとか頑張ろうとしていた父の会社が、とうとう多額の借金を抱えたまま倒産したのだ。



 ◇◆◇



「ちえり……、本当に進学しなくていいの?」

「うん。別に大学に行ってやりたいことがあるわけじゃないし」


 父の会社が倒産し、住んでいた家も差し押さえられた後。

 ちえりたちは安くて古い2DKの賃貸アパートに住まいを移し、祖母と龍斗の三人で手狭な暮らしをするようになっていた。


 ――父はどこかに蒸発した。

 ちえりと祖母を置いて。


 もともと気は優しいけど心の弱い人だった。

 そんな父を追って、責任を取らせようという気持ちにちえりはなれなかった。


 ――せめて、どこかで元気に生きていてくれればいい。


 幸いなことに――と言っては、迷惑を被った従業員たちや関連会社の人たちに申しわけないが、自己破産したおかげで借金はなく、闇金のようなところからお金も借りていなかったので、返さなければならなかったのは滞納しまくっていた諸々の税金500万円だけだ。


 自分たちに責任を押し付けて――、という気持ちが湧き上がらなかったわけではない。

 どうして自分が、と絶望しなかったわけでもない。


 ただちえりは、この状況ですっかり老けこんで心を痛めてしまった祖母と、そんな状況を不安げに見つめている少年を置いて父を探しに行くこともできなかったし、これで自分が潰れてしまってはこの家は本当にどうしようもなくなってしまうと思って、潰れることさえ許されなかったのだ。


 故にちえりは大学進学を諦め、残された祖母と龍斗を養い、滞納していたお金を返済するため、就職することにしたのだった。


 平日は工場の事務。

 土日は弁当屋でバイト。


 辛くないわけではなかったが、もともと苦労人みたいな悲壮感の漂う顔つきをしていたのも良かったのかもしれない。


 持ち前の愛想のなさは『苦労しているんだね』という同情に変わり、人付き合いの苦手なところは『若いのに家族を養ってるんでしょ? 疲れてるなら無理しなくていいから』という気遣いによって補われた。


 そんなちえりの苦労をよそに、ちえりの就職と同時に龍斗は無事中学入学を果たし、気づけばバレンタインデーにはチョコレートをどっさりもらって帰ってくるほどの美少年になっていた。


「――これ」


 どさっ、と。

 祖母が寝静まった後、ちゃぶ台で家計簿をつけていたちえりの前に、紙袋いっぱいに詰め込まれたチョコレートが置かれる。


「凄い量だね」

「……あげる」

「でもこれ、りゅうくんが女の子たちから貰ったやつでしょ。悪いよ」


 貧しい経済状況のせいで普段から満足にお菓子を食べさせてあげることもできていないのだ。

 こんな時くらい、せっかくなのだから思う存分食べればいいのに。

 それに、女の子たちだって龍斗に食べてもらいたくて用意したものを、自分が食べてしまうのは申し訳ない……。


 そんな思いからちえりは龍斗にやんわり断りを入れたのだが、龍斗はちえりのその答えには引き下がらず、


「いくらなんでも、これを一人で全部は食べられないよ」


 と言うので。


「じゃあ、おばあちゃんと三人でご飯の後のおやつにしよう。りゅうくんは必ず一箱につき一個は食べてあげてね」


 じゃないと、せっかく龍斗のために用意した女の子が可哀想だから――。

 という結論に着地することとなった。


(りゅうくんはモテるなあ)


 顔が良くて、頭も良くて、優しくて。

 確かに、これだけ好条件が揃っていれば、モテて当然なのかもしれない。

 身長も、ちょっと前まではちえりの肩くらいまでしかなかったのに、気づけばもう追い越されそうになっている。


 男の子の成長の速さを感じながらふと龍斗を見ると、着ているパジャマ代わりのスウェットはよれよれで、しかももう手首がすっかり見えるほどになっている。


「……りゅうくん、今度のお休みの日に、新しい服買いに行こうか」


 この調子だと、パジャマだけでなく普段着も同様だろう。

 そう思ったちえりは、龍斗に向かって買い物に行こうと提案する。

 しかし――。


「……別にいいよ」

「……それって、どっち?」

「いらない」


 ちえりが「いいよ」がどちらの意味か判じかねて尋ねると、龍斗はばっさりと「いらない」という。


(……遠慮、してるんだろうな)


 どうしてか、なんて。

 聞かなくてもわかった。


 ちえりは、龍斗が普段から自分がいるせいで槙田家の家計を逼迫していることを気にしているのを知っていた。


 自分さえいなければ――ちえりも大学を諦めなくてよかったかもしれないし。

 自分さえいなければ、今よりも少しマシな生活を送れていたかもしれない。


 ちえりからするとそんなのは多少の微差でしかないと思っているが、ただ養われているだけの龍斗からすると、歯がゆい思いが強いのだろう。


「……わたしが、気分転換に若くてかっこいい男の子を連れてデートしたいからだって言っても?」

「…………。だったら別に、買い物じゃなくてその辺の公園でもいいでしょ」


 なんとか懐柔してみようと試みてみたものの、あえなく失敗してしまった。

 結局ちえりは、それ以上龍斗に無理強いするのもやめて、「わかった」と言ってその話を終わらせた。


 その数日後。

 ちえりが一人でこっそりと買いに行き、龍斗の箪笥の中に忍び込ませておくと、新しい服を見た龍斗が、


「……これ、どうしたの?」


 と尋ねてきたが、


「会社の人から、息子さんに買ったけど柄が気に入らなくて着ないからどうですか? って言われてもらったの。りゅうくん、着たかったら着ても良いよ」


 と言って誤魔化した。


 我ながらなかなかうまい言い訳だと思いながら龍斗の反応を待つと、龍斗は「……そうなんだ」と腑に落ちないような顔をしながら、ありがとうと言って受け取ってくれた。


(……本当は、一緒にお買い物に行って、りゅうくんに一番似合う服を買ってあげたかったけど)


 そうしたところで、本人が頑として買わせてくれないであろうことは容易く想像ができたので、とりあえず受け取ってくれただけでよしとすることにした。


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