第12話 貴族令嬢にあるまじきこと
「……父は、わたくしが職に就くのを許さないと」
「ああ、まあそうだろうね……」
サリュートとて、デルトムントの国民の気質はわかっている。
箱入り娘として育てた娘が、結婚もせず職業婦人になるなどと言い出したことが許せないのは想像の範疇だ。
「……ですから父は、サリュート様に、わたくしを娶らないなら外には出さないと言うつもりなんだと思います」
「……なるほど」
ひとつひとつ、型から抜いたクッキーを天板に並べながら、チェリエはなるべく感情が籠らないよう淡々と説明する。
「わたくしは何より、サリュート様にご迷惑をおかけしてしまうのが嫌なのです。今、こういった状況になっているだけでも心苦しいのに。だから、どうすればいいのかがわからなくて」
「……チェリエは本当に、変わらないね」
サリュートは小さく独りごちると、なぜかチェリエを懐かしむような瞳で見つめた。
しかし、その言葉に反応したチェリエがサリュートを見上げたときにはその瞳は既に仕舞われた後で、彼女が気付くことはなかった。
「迷惑なんてことはないよ。大体、人が欲しいものを手に入れたいときには、多少の労苦を払うのは当たり前じゃないか」
あっさりとそう言ってのけるサリュートに、チェリエはそういうものなのだろうかとぼんやりと思う。
「……わたくしは、サリュート様が労苦を払う価値があるほどのものなのでしょうか」
「もちろん。そこは胸を張ってよ」
苦笑しながら肩をすくめるサリュートに、チェリエはそうか、と思った。
(……わたくしは、サリュート様に求められていると、胸を張っていいのね)
眩しかった。
そうやって、はっきりと言い切ることができるサリュートが。
チェリエの隣で、にっこりと微笑みながら泰然と立つサリュートが。
チェリエは、天板に綺麗に並べたクッキーをオーブンに入れると、決意を固めてサリュートに向き直り、はっきりと言った。
「……やっぱりわたくし、サリュート様についていきたいです」
「うん、わかった。……ありがとう」
この「ありがとう」という言葉が、「決心してくれてありがとう」という意味なのだと理解したチェリエは、サリュートはやっぱり素敵な人間なのだと再認識した。
再認識したからこそ、やはりこの得難い人と長く一緒にいられたらと願う。
「よし。じゃあとりあえず、君のご両親のことについてはこっちに任せてもらうとして。クッキーを焼いている間に、お茶を淹れよう」
「え、サリュート様が淹れてくださるのですか?」
「そうだよ。だって今の私は、ここの使用人だからね」
そう言っていたずらっぽくウインクしてみせたサリュートに、チェリエは『そもそもここにいる使用人の役割は給仕ではなく見張りなのでは……』と思ったが、結局そのことを口にすることはなかった。
その後は二人で、「貴族令嬢にあるまじき行儀の悪さだけど、これはこれで楽しいよね」と笑いあいながら、焼きたてのクッキーを摘んで食べた。
帰り際、サリュートはチェリエのクッキーを相当気に入ってくれたのか、持ち帰っていい分があれば持ち帰りたいと願い出てきたので、チェリエは彼のためにクッキーを包んで持たせてあげた。
チェリエにとっては、ものすごく久しぶりに得られた、穏やかで幸せな時間だった。
◇◆◇
――翌日。
夕刻、父の部屋に呼び出されたチェリエは、父からサリュートについて隣国に行くことを認めるという言葉と、謹慎を解くので再び学園に通っていいという許しを得た。
父からは、サリュートとどんな話をしたのかは教えてもらえなかった。
二人の話し合いも、チェリエの家で行われたわけではなく父がサリュートのところまで出向いてのものだった。
(……一体、どうやったのかしら)
あの、昔気質で頑固な父を説得することなど到底無理だと思っていたチェリエは、サリュートの手腕にあらためて驚かされた。
(……でも、よかった)
これで、堂々と胸を張ってサリュートについていくことができる。
初めて、自分で望んだ未来に進んでいくことができる。
母はまだ納得がいっていないのか釈然としない顔をしていたが、父が決めたことには反論はしないのだろう。
なにせ彼女は、典型的なドルトムントの貴婦人なのだ。
チェリエが自分の部屋に戻ると、部屋には白い花弁が幾重にも重なった美しい花が新しく生けられていた。
(あれは……)
サリュートが最初にチェリエにプロポーズをした時に、チェリエに差し出してきた花だ。
この花が今、自分の部屋に生けられているのは偶然なのだろうか?
それとも――?
そう思いながらチェリエは、その花に近づくとしっとりとしたその花弁にそっと触れた。
――あの時。
プロポーズは断ってしまったけれど、差し出されたあの花は受け取っておけばよかった。
そんなことを、今更ながらに後悔したのだった。




