一つの手紙
「ごめん。伝えた授業、衛生のだ」
1年生の授業は沢山ある。魔術、国語、チェルーシ語、タヌレゼ語、星瀧語、歴史、地理、幾何、代数、物理、化学、心理論理、修身、法制経済。特殊授業は、教練、陣中勤務、剣術・体術、射撃、獣術、訓話。何が言いたいかというと、予習が外れたこの状況は破滅である。僕は急いで左隣のアリスの筆記帳を見た。
「1時間目は歴史学だよ」
「偉大な帝国の話、眠い」
「なるほど」
「お給金出てるから……。寝れない」
「本当につまんないよ~…………。偉大な指導者が悪い国をやっつけましたってばっかり! こんなに良いとこばかりらしいのに、不思議と景気は悪いし人種差別は蔓延ってるし…………。第一次北海大戦に敗戦したって部分は真っ白! ばっかばかしい!」
アリスが術符で防音結界を作ったと思うと、燃え上るように文句を垂れ流し伏せた。そこから授業が始まるも、確かに遠回し過ぎてわかりにくい。地理にも詳しくないから、アリスの筆記帳ぺらぺらぺらぺら。今から吸収して理解するしかない。
「ん」
ギアが僕の足元にいつの間にかあった鞄を開ける。中には僕の名前が書かれた筆記帳があった。多分僕のらしい筆記帳に、ギアが穴が開いた肺もどきを描いた。なんだこれ、と思っているとそこに線が書き込まれる。左側の丸っこい方に帝国の名前を見つけて気が付く。これは地図なのか。
「地図、教える」
14年前の帝国は左側の豆のほんの下半分だけだった。そこから金属を求めて北上、あっという間の快進撃で2つの国を飲み込み、今の曲がった太い棒型になったそうだ。で、同じ大陸左側の国たちもそれの余波で変化する。メガディリア魔術王国は海と帝国領土で完全に包囲され、経済依存から実質的な植民地として行動。エルトリア・カレロ・アハブジア王国は海を挟んだ星瀧皇国と連邦として結束。チェルーシ神聖社会主義共和国は内戦によりセルヴァツカ王国とオルサム共産主義国、コーシャ公国が独立。どこもかしこもが大変そうである。
「うげ、やばいね…………」
「勝ったら、歴史も減る」
「やっぱ、一番楽しーのは演習だね。あと獣術。hityairu乗れるもん」
「面白そうだね」
「次は訓話、好きな子はめっちゃ好きだよ」
――――
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。ーーーーーーーー。ーーーーーーーーーー。ーーーーーーーーーー。ーーーー」
「欠片も分かんないんだけど…………」
「私達も2割くらいしか分かる単語無いよ」
「医療の重要性の話。試験無いからいい」
なんだかわからないが試験に出ないなら聞き流していいだろう。最後尾だが真面目な顔だけ作って地理歴史の学習を続ける。
「ギアわかるの? 法務とか行けばいいのに~」
「法務は人間じゃない。金髪青目血統主義」
「あーー、そういや…………」
金髪青目の横はやめとけ、ってのは共通認識らしい。金髪青目の知り合いが居ないので分からないが、身分か何かで格差があるんだろう。もし皆が同じ毛色になったらつまらないのに……。人間って不思議だなぁ。友達以外の見分けがつく気がしない。
「金髪青目ってそんな駄目なの?」
「いや、周りの人がね、やばいんだよね~。大体、本人は良い人なんだけどね」
「血統に夢を見てる人が多い」
よくわからないが結構根強い問題らしい。2人は考えるのも嫌だというように頭を振った。
――――
「貴様らにチェルーシ語を長々教えてきたが、不要だこんなもん。いずれ帝国により言語は統一され――
「この授業、ちょっと思想強くない?」
「まぁまぁ」
「チェルーシ語って、法則さえ慣れれば本当に意味ないんだよね~。基本伸ばす位置変わるだけだから」
「無駄」
「それな?」
黒板をどんどんと叩く音の度、僕が座ったまま小さく飛び跳ねる。なんだこの人、生徒を威嚇するな! 帽子にしまっていても繊細な耳に騒音が響く。最悪な授業じゃないか、2度と受けたくない。
「年寄りに権力って良くないね~。ヴィムもどんどんしかめっ面! あっはっは」
「……総統」
「…………うーん。それはもう、素直に休んでほしい」
「今年で67。健康状態は酷そう」
「後継者は誰かな~。護国軍、親衛隊、愛妾、宗教に騙された馬鹿ども」
「無彩色の悪魔じゃなきゃ、なんだって」
「うー、政治って難しいね」
そろそろ潮時だろうが、周りがそれを許すかどうか…………。ああ、これが金髪青目とか黒い絨毯の席の問題なのか。学生でも負けず劣らずの思想が根付いてるあたり、もし決まらなかったら帝国内も大変なことになりそうだ。
――――
「俺は今日着任したベーロイジア・スーティン・ニークト戦略運命師だ。お前たちの魔術学教育にあたることになる」
「ん」
「ね」
僕とギアは目を合わせてにっと笑った。今朝、部屋に尋ねてきたばかりの赤毛の彼だ。どもりはないが緊張が見て取れる。もし彼の階級が僕らより高くなかったら相当可愛がられていただろう。一生懸命でなんだが微笑ましい。
「前の先生、どんな人だったの?」
「これだから青毛は~、とか変えようのないことを攻撃してくる人~」
「嫌だった」
「黒塗りの部屋に入ってから、だーれも見てないらしーよ」
「うぇっ、怖い」
黒塗りの部屋には近付かない、決めた。だって明らかに何者かによって消されてるじゃないか! 関係あるかわかんないけど、その人の後任のベーロイジアさんにも最低限以外近づかないことにしよう…………。
「黒塗りの部屋ってどんなだろう?」
「お、答えましょう。複数の説があるんだ。1、標本室。生きたまま解剖された人が磔になってる。2、階段。どこかに繋がっていて戻ってきた人は居ない。3、研究室。怪しい魔法陣がいっぱいある。4、運命術の蜘蛛――
「黙って。お願い」
本気で怯えたギアが止めに入る。僕はこういう話、そこそこ好きなんだけどギアは違うらしい。黒塗りの部屋に俄然興味が湧いた。いやいや、近づいちゃ駄目だって決めたんだけど…………。
――――
昼食
【携行食】
完全に栄養食42番と同じ味がする。僕が犠牲になって感想を出したのになんだこの出来は…………。もそもそざくざくとした感覚が不快だ。今日が携行食に慣れる10日に1回の日だと聞いて安心した。お腹が空いて毎日これを食べさせられたら心を壊すことになる。
――――…………
ありがたーい授業と2人の豆知識により頭がぱんぱんになる。1日で憶えられるものには限りがあるんだ、と僕をこの学校に突然放り込んだやつの耳元で叫ばせてほしい。脳味噌は今すぐに風呂へ入って寝たいと不満を垂れているが、僕には今から確認したいことがあった。
「僕、お手洗い行ってくる」
「待ってた方が良い~?」
「うん、鞄お願い」
僕はアリスに手提げ鞄を頼み、ぺこぺことアリスに頭を下げた。駆け足で入り込むのは手前の個室。鍵はきっちりと閉めた。そして衣嚢の中から目的の物を広げた。これ、両面印刷された1枚の紙かと思っていたが違う。縁がくっついて中に隙間が出来た状態になっている。僕は印刷の無い部分をびりっと破いて取り出した。書かれていたのは――
「南方にて待つ…………?」
暗号のようで、その他の部分には一切白紙。紙をぺらぺら観察して分かったのは、これは手帳から千切り取った1枚であること。その手帳というのは、件の、お揃いの手帳。紙に特徴がある訳では無いが不思議と分かった。丸っこい文字、言葉選び、書き損じ方。
(…………先輩? 先輩が僕に??)
そう気が付いた瞬間、視界がちかちかっと点滅した。始めは心理的な衝撃が表出したのかと思ったが、すぐに光がどこかで瞬いているのだと気が付いた。僕の獣の勘がまずいまずいと騒いでいる。僕は急いで全部衣嚢に押し込んで個室の扉を開けた。その瞬間、校舎ががたがた揺れ出した。
「ヴィム! 大丈夫ー?!」
外からアリスの心配する声が響いた。彼女を落ち着けようと口を開いた瞬間、頭上の方からごろごろとした音が響く。まずいまずい何かの重量に耐え切れず裂けていく感じの音…………。
ミシミシミシ、バキ、バキ! ゴン!
瓦礫と、黒い何かが、上から――――
「ひっ!」
書置きが尽きました~。3日くらい暖めてきます。