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警報街の少女たち

 今日はきっと、最高の日。明日はきっと、もっといい日。

「お嬢さん! ようこそカイク保護区へ!」

 僕は門番に地図を受取って一目散に駆け出した。


 大きい身振りであたりを見渡す。

 これは、何の音だろう。硬い音、柔らかい音、滑らかな音。

 これは、何の匂いだろう。甘い匂い、香ばしい匂い、温かい匂い。


 きっと、今とてもだらしない顔をしてる。でも仕方ないじゃないか! 保護区に来れるまで、本当に長かったんだもの! 教育区での授業に、生態調査やら検査やら……。僕は5年だったけど、9年も居た子だって居るらしい。それが一段落してようやく保護区。でもすぐ行ける訳じゃなくって、保護区からの申請(おむかえ)を待たなきゃいけない。

 6つ天空島にはそれぞれ異なる保護区がある。規模が大きい順に、万能のリーロイホン保護区、夜行性向けのレーンリィ保護区、昼行性向けのエースチン保護区、大型向けのジーング保護区、小型向けのウィーグ保護区、人より向けのカイク保護区。


「…………ここは、人より向け」

(僕は期待してる。ここに、これからに)


 僕の見た目は教育区の同期たちとは全然違う。同種の子と比べたって、鎖骨はあるし、胸元も、指先も、滑らか(スキニー)だ。垂れ耳(ドロップイヤー)こそあるけれど、尻尾なんて脚衣(ズボン)で見えない短い尻尾(ボブ・テール)。僕はわんわんとも鳴けない。…………でも! ここなら僕と同じ人ばかり!

 よーしっ、と気合を入れようとした瞬間、僕のお腹が、ぐぅーっと情けない音を発した。取り敢えず――


「ごはん、食べなきゃ」


 くるくると回りを見渡した。ここは丁度良いことに食料供給に関する通りらしい。教育区の食堂街とは材料も違うらしくって、匂いを嗅いだって知らない物ばかり。味なんて想像もつかないし、どれが良いのかなんて分かりはしない。あっちは面白い看板だし、こっちは良い匂いがする。僕は悩んだ末に赤い看板の建物を選んだ。

 中はちょっと落ち着く雰囲気。席に座って食べるような店ではなく、棚にある籠から陳列された物を取っていく形式らしい。僕はまず、籠を覗いてみることにした。丸、三角、四角、船型、焦げ茶に薄茶、不思議な匂いのとろとろが掛かっていたり、野菜が入っていたり、色んな種類があるらしかった。


(移送前に教育区で味見した栄養食42番みたい…………)


 考えるだけで口の中にモソモソとした食感と脱水される口内がよみがえってくる。僕は思わずベーッと舌を突き出した。でも、この不思議な茶色たちが美味しくないとは思わなかった。ふかふかかぱりぱりとした感じで表面もつやっとしている。一口、してみるか。僕は目の前にある籠から一つ取り出して口に入れてみる。籠の角から垂れる札には「種実禾本捏焼(ナッツパン)」とある。


種実禾本捏焼(ナッツパン)

 しっとりの甘い生地の中からすごいざくざく感。楽しい食感に香ばしい匂い。ふかふかとざくざく、知らない感覚。しっかり温めなおしてみたらもっと香ばしくなるだろう。


 僕は思わず手帳を取り出してこの感覚を書き留める。そして――


(あ、失敗した)


 僕は一通り書いて、手帳を取り落としかけた。


(先輩とお揃いだから、綺麗なまま保管しようって思ってたのに)


 じっとインクで(けが)れたページを見た。唯一仲が良かった先輩と作った手帳…………。あの人になんだか申し訳ないな。いや、使わないって約束した訳でもないんだ。本当に、一方的に大事にしたいだけ…………。


(使おう、これを機に。書き終わったらエースチンの先輩に輸送を頼もう)


 僕は割と淡白に考えてと他の捏焼(パン)を口に運び始めた。


寒冷禾本(ライ麦)捏焼(パン)

 これは見た目から違う。他より一段と黒く、ずっしり重い。種実(ナッツ)に似た香り。割としっとりした食感、嫌みのない酸味と塩味。僕から見ると、種実(ナッツ)禾本捏焼(パン)より硬くて嬉しい感じだ。


【廃糖蜜酒木栓捏(ババ)焼】

 廃糖蜜酒(ラム酒)風味の糖液(シロップ)が染み込んだ生地。甘い糖液(シロップ)乳攪拌泡(ホイップクリーム)。これほど香り高い味わいの蛋糕(ケーキ)はなかなかない。


「ふぅ……。食べた食べた」


 手巾(ハンカチ)で口元を拭う。持ち帰り用の紙袋に、十何個かを選りすぐって入れてまた僕は外に出た。うっかり地図を見るにも億劫な程に選んでしまった。暫くは捏焼(パン)と暮らすことになるな、とため息を吐く。美味しいからって飽きない訳じゃない。

 そんなことを考えながら右側十二番目の小路に入り、広場まで直進、左に行ってその先を、右に左にと。地図に従って、そうして着いたのが……。


「ここ、…………どこ?」


 一面の森である。正直、道が未舗装になった時には迷子を自覚していた。でも、そこには細い希望があったんだ。到着するかもしれないという希望が…………。周りは人工獣道ばかりで何処から来たかも判らない。確か夕月夜というんだったか。空の赤らみはまだ見えるが月も昇っている、本格的に不味い時間帯だ。僕が悪いとはいえ勘弁してくれ。


「…………はぁ、僕は馬鹿か。区内で遭難なんて…………」


 もう一度あたりを見渡す。人影は無い。遠くに警報(サイレン)塔の影が見えるが、それ以外は目印すらない。街では何人も居た警備が一人も居ない不気味さ…………。整備は行き届いてるし人が少ない訳でもないんだろうが、その不自然に自然な感じが逆に恐怖を生み出している。


パリン! パキャ! メリメリメリメリ…………。


「ひっ!」


 恐怖に身構えていたところに、結界が砕ける不気味な音が響き、僕はしゃがみこんだ。


~~♪~~~~~~♪

「皆様に緊急連絡を申し上げます。緊急連絡を申し上げます。天空島保全隊発表、帝国飛行隊「海淵(かいえん)」「風息(かざいき)」「叢雲(むらくも)」は、上空において密猟者、チェ軍天空飛翔隊と戦闘状態に入りました。帝国飛行隊は密猟者、チェ軍天空飛翔隊と戦闘状態です。…………天空飛翔隊の撃墜を確認。天空飛翔隊「頌主(しょうしゅ)」の撃墜を確認。密猟者に――――


「ど、どうしよう。こんな場所に居る時に…………」


 不気味な警報音(サイレン)と、その後に淡々と続く文に僕はぞっとした。僕らが保護される理由には、この大陸にある沢山の迷信が関わっている。血を飲めば病が治る。毛皮を被れば一生幸福になれる。肉を食べれば不老になる。どう考えたって嘘に決まってるのに! 本当に馬鹿馬鹿しい…………。

 結界だって割れているのに、恐ろしいことにこの近くには警備がいない。獣人は耳が良いから、あの音量の物を街近くに作ったら問題だろう。取り敢えず僕は警報(サイレン)塔の逆に向かって走り出した。少し走った頃――――

 足音が聞こえた。


ぱきっ! みし、みし、みし、ざくっ――


 暗闇から聞こえてくる足音に対し、僕がしたことは――


「ゔっ……、いッ、んぐ……ッ…………、い、いだっ……、い」

「わーーっ! ごめんなさい!」

――頭突き、だった。


 そして、目の前に保護色の男の人が転がる。…………不味いことをしでかしてしまった、という気持ちだけはあった。混乱した僕は手を差し伸べようか、さすろうか、と手だけを慌ただしく揺らす。そうしている内に、あることに気が付いた。


「も、もしかして警備の人ですか?」


 黒い外套(コート)と、その上から連結帯革(ハーネスベルト)を装着する特徴的な形…………間違いない。そう聞くと、男の人は一度深呼吸をして、ゆっくりと立ち上がった。


「う、うん。そうだよ。お嬢さん。避難所まで一緒に行く?」

「ありがとうございます……!」


 警備さんが一通り砂埃を払って僕に手を差し出す。僕はその皮手袋に飛びつくように触れた。彼はなんだか安心した顔をして僕の手をぎゅうっと握った。警備さんだって、こんなに警報音(サイレン)が鳴ってたら不安になるのかしら。目を合わせると、僕を少し無理に笑ってくれる。


「はっ、逸れないでね」


 優しい雰囲気の人だ。茶色い位の金髪、柔らかい緑の目、困り眉。危ない人の顔じゃない。どうにも少し頼りがいが無いけど、…………誠実な人っぽい。

 彼は周囲にびくびくしながら警報音(サイレン)の中を前に進んでいった。辺りはもう、段々暗さが増してすっかり月が上がっている。はじめは彼も話題を振ってくれたりしたのだけど、彼は進む度に段々無口に早足になっていく。


「大丈夫、大丈夫だからね」


 自分に言い聞かせる風な言葉。彼が段々焦っている、というのは割とすぐに気が付いていた。いや緊急避難なんだから、神経も細(おくびょう)そうな彼が焦るのは割と予想通りなんだけども……。でも、表情が明らかに…………、喜んでいる? 明らかに、何か…………、何かが――――


「あっ」

――ここ、血の臭いがする?


 僕はその場に踏ん張って立ち止まった。彼は僕を引き摺ろうとして肩やそこら中を揺すったり、声を掛けたりした。それから獣人の脚力に諦めて立ち止まる。僕は縋る気持ちで声を出した。頼む、誤解であってくれ……。


「…………ぁ、あのッ、絶対、絶対こっちじゃないですよね」


 僕が目線を逸らしながら言うと、警備さんはぐっと一歩踏み込んで、僕の顔を正面からじっと覗き込んだ。僕の二の腕を痛いくらいに掴む。態度が違う、明らかに裏がある人だ。気弱で優し気な顔だったのに、瞳孔がぐっと開いた顔はあまりにも恐ろしかった。


「信じられない……? 大丈夫! 大丈夫。どうぞ、信じて…………」

「は、離してください!!」


 外套(マント)の下に術符が見えた。これ、不味いやつだ…………。馬鹿馬鹿馬鹿、大馬鹿者だ! 何で気付かなかったんだ、僕! 腕を振り回そうとしても抑え込まれる。ぐっと目を瞑り、必死に逃げようと足を踏み出す。抑える力がだんだん強くなっていく。術符が背中に叩きつけられたのが分かった。


「あなたは暫く眠ることになる」


 瞬くような光の後、僕はふらりと彼に倒れ込んだ。

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