1・4 女神の泉(2)
「それで勇者は誰ぴょん」
「クリストハルト・グヴィナーよ」
「あいつぴょん!?」
嫌悪の混じった声だった。
クリストハルトは魔力量は甚大で、技術の会得も素晴らしく早い。だから本来学生は入れないロートトルペに、特別実習生として所属している。期待の逸材であり、彼が勇者ではないかと考える向きも多い。
でもなぜか、かにんぴょんは彼を嫌いみたい。はっきり口にしたことはないものの、言葉や口調の端々にそれが垣間見える。
「かにんぴょんにはそうは思えないぴょん」
彼の長い耳がひょこひょこと動いている。
「……婚約者を理由なく疎い悪口を言いふらし、ほかの娘と深い仲になっているぴょん。倫理観のなさが勇者ではないぴょん」
「そんな風に思っていたの?」
かにんぴょんは私がツェツィーリエ・バルヒェットだと知っている。でもクリストハルトに関しては、婚約者だということ以外はなにも伝えていないはず。
「事実だぴょん」
「そうだけど、よく知っているわね」
「……あの娘を監視していればわかるぴょん」
「それもそうね。あ、証拠になりそうな品を拾ったの。でも先に説明が必要ね」
突然前世の記憶を取り戻したこと、この世界が読んでいた創作物にそっくりなこと、その主人公がクリストハルトだから彼が勇者だと考えられることを簡単に説明した。
「信じてくれるかしら」
「もちろんだぴょん。だけど、どうして急に記憶が蘇ったんだぴょん?」
「誰かに背中を押されて、学校の階段から落ちて頭を打ったの。その拍子よ。私を突き飛ばしたのはたぶん――」
「ユリアーネ・ハンゼンだぴょんか?」
「ええ」
マンガではヒロインのユリアーネ。でも彼女は魔王の手先の可能性が高い。彼女は入学式に遅れること三ヶ月、転入生として学校にやってきた。そのころから怪物の強化種が増え始め、かにんぴょんと私が必死に探り出した弱点への攻撃が効かなくなった。
更に、戦闘地域で何度か彼女の姿を見ている。なにをしているわけでもないのだけど、かといって避難もしない。本人はステルス魔法を使って姿を隠しているつもりのようで、実際ロートトルペ隊は彼女を認識できないのだけど、かにんぴょんと私には丸見えなのよね。
私は学内でユリアーネに接触して、様子をさぐっている。あくまで情報収集で、おかしなことは一切していない。
だけど――と考える。
今までは深く考えなかったけれど、このことをユリアーネは周囲に『意地悪をされた』と吹聴しまわっているのではないかしら。だからクリストハルトは私を余計に疎み、マンガのツェツィーリエは悪役令嬢だったのだわ。
それにしてもクリストハルトは大好きなユリアーネの嘘を信じ、好みではない私のことは信じないのね。ならば、確かに勇者らしくない人間だわ。
まあ、いいわ。とりあえず彼のことは置いておく。
「それで証拠だけど。さっきの現場で、ユリアーネの学生証を拾ったのよ」
「ほんとぴょん!?」
「ええ」
学校は全寮制で、無断で敷地外に出ることは禁じられている。一部の例外(たとえば私や王太子のジークヴァルト)を除いて、届け出を出し、許可がおりてから可能となる。そして陛下が先週内密に、ユリアーネの外出許可は絶対に出してはならないと学園に命じたばかりなのよね。
だから学生証を本人に突きつければ、彼女に揺さぶりを掛けられる。そしてマンガの私は、そうしたのではないかしら。ホッフンではなくツェツィーリエの姿で。
「いい証拠になるぴょん!」
「そうね。――さっきの創作物の内容に戻るわ。私が知っているのは明後日までの展開なの」
「どうなるぴょん」
「まず明日の期末パーティーで、私がクリストハルトに婚約破棄されるの」
「っ!?」
かにんぴょんが振り返り、目が合うと慌てて前を向いた。
「創作物の中で私は悪女として描かれているから、読者からすると小気味良く感じる場面なの」
「ありえないぴょん!」
「きっとユリアーネがそう信じるよう、クリストハルトを誘導しているのよ」
「……魔王側もアイツを勇者と予測して、ユリアーネを近づけさせたぴょんか」
「恐らくは」
「あの男はなにを考えているぴょん。たかが男爵家のくせにホッフンに婚約破棄を宣告するなんて、通常の神経ではできないぴょん」
かにんぴょんの声が怒りに満ち満ちている。
「……彼が怪物討伐に全身全霊をかけているのは事実だと思うの」
それがタイトルに関わっていると、ファンの間では考察されていたし。
「ただ創作物情報だと、魔法学校生で唯一ロートトルペの隊員であることに、相当な誇りを持っているの」
「他者より優れているから、身分が上の公爵令嬢を粗雑に扱っても構わないということぴょんか」
「ありていに言えば。それにね、かにんぴょんが気絶している間に功績をあげたのよ」
「意気揚々ぴょん?」
「ええ」
かにんぴょんのため息が聞こえた。