1・3 女神の泉(1)
かにんぴょんを抱えて、女神の神殿の前に降り立つ。前世の記憶がある今、パルテノン神殿に壁がついたもののように見える。古代ギリシアは多神教だったけど、我が国は女神ユスティーツの一神教。私を魔法少女にしたのもユスティーツなの。
私に気づいた神官たちが早足でやって来て、ねぎらってくれる。差し出されたタオルを受け取り、神殿の中を進む。最奥に女神像と祭壇があるけれど、そばにある隠し扉を抜けたところが、至聖所なの。そこにあるのは、滾々と水が湧き出る泉だけ。四方は壁で囲まれているけど、天井はない。
女神様が降り立つとされる、神聖な泉。
そしてかにんぴょんと私にとっては、治癒の泉。怪物との戦闘で負った怪我は、不思議なことにここに入れば治る。
「かにんぴょん。泉よ」
息も絶え絶えのかにんぴょんを草の上に寝かし、服を脱ぐ。ムントとの戦いは予想以上に苦戦し、体中キズだらけになってしまった。でもどんなに重傷でも、死んでいなければ泉で治ると女神から聞いている。
一糸まとわぬ姿になり、かにんぴょんを抱き上げる。
ハシバミ色の小さな体はぐにゃりとして力なく、血にまみれている。
「女神様。泉をお借りします」
静かに足を入れる。不思議なことに水は季節によって温度が違う。夏は冷たく冬は温かい。真冬の今は、疲れがほどけていくような温かさを感じるわ。
泉の幅は大柄な男の人が両手を広げたくらいしかないけれど、深さはある。自然にできたらしき段々があるので、それを数段降りたところで段に腰かけた。肩まで泉につかる。
傷口に水がしみて痛いけれど、とうに慣れているわ。もう二年も魔法少女として戦っているのだもの。
片手で水をすくい、かにんぴょんの顔の傷にかける。ひげがピクリと動いた。ほっとする。痛みを感じられるうちは、治る。
かにんぴょんは私の大切な相棒だもの。亡くしたくない。だというのにムリばかりするから、困ってしまう。本来は私のサポート役なのに、自分が矢面に立とうとするのよね。
女神様の話では、彼女が持つ光魔法で魔法少女にできるのは一度にひとりだけなのだそう。それが力の限界なのだとか。魔王に対抗できる勇者にいたってはなにもできることがなく、自然に現れるのを待つだけらしいわ。
正直なところ、とても辛い。身体的にも精神的にも。私が魔法少女だというのは、暗殺を防ぐために一部のひとにしか知らせていなくて、周りにはグチも弱音も吐けないのだもの。かにんぴょんは、そんな私を支えてもくれている大切な相棒なの。
顔を見つめていると、鼻がひくひく動き始めた。かにんぴょんが沈まないように、胸の上で抱き直して目を閉じた。
◇◇
「ひっ!!」
息を呑む音に目を開くと、かにんぴょんは固く目をつむっていた。いつものことだけれど。
「ホッフン! かにんぴょんのことは泉に放り投げておいてって、いつも言っているぴょん!」
声が怒っている。
「溺れてしまうと、私もいつも言っているわ。お願いだから、意識を失うほどの大怪我をしないで」
「市民を守るのが仕事だぴょん!」
「そうだけど」
私たちの身分は、国王直属の戦士ということになっている。だからロートトルペは子供とうさぎでしかない私たちの指示に従ってくれるし、お給金ももらっている。市民を守るのは最重要事項だわ。
それにもし私やかにんぴょんが死んでも、新しいメンバーに変わるだけだから、世間的には問題はないみたい。でも――
「私はかにんぴょんがいなくなるのはイヤなのよ」
彼の小さな額をそっとなでる。
「――かにんぴょんはホッフンが傷つくのがイヤぴょん」
頭を下げ、額にキスする。うさぎサイズでしかないかにんぴょんは、数えきれないほど私をかばって助けてくれている。
女神様の遣いだからなのか、生来の気質なのかはわからないけれど、かにんぴょんは誰よりも勇気があって優しい。
「そうだわ。私ね、勇者がわかったの」
「ほんとぴょん!」
うさぎのような黒い目があらわになった。けど、すぐに隠れる。
かにんぴょんは男の子らしい。見た目や声では、雌雄どちらなのかわからない。でも本人がそう主張していて、だから私の裸体を見るのは悪いと思っているみたい。
けれど神官たちに、泉は神聖だから血や汗にまみれた衣服で入ってはならないと言われているので、こうするほかないのよね。
「いつものところに頼むぴょん」
請われたので、かにんぴょんをそっと動かして、段の上の方にすわらせた。私に背を向ける位置で。