3・5 祝福
いつもなら神殿前に出て神官たちに挨拶をするけれど、そんな余裕はない。
直接泉の傍に出ると、着衣のまま中に入った。魔法少女でいる間には力もあるから、平均的な貴族青年よりもずっと逞しいジークヴァルトを抱えていても大丈夫。だけど――
いつもの段に腰掛けて、火傷で水ぶくれがひどい彼の顔に水をかけても反応がない。
「女神様! ジークヴァルトが! お願いします、助けて!」
ぽわりと水面が輝き、女神様が降臨した。古代ギリシア人が着ていたような服をまとい、手には長い錫杖を持っている。
「女神様! 助けてください!」
「人間の生死に関与してはならない決まりなの」女神様が錫杖の先で水面を叩く。「これの効果があるのは、私が与えた光魔法を持つ者だけ。姿を保てないということは、力がもうないということだから――」
「そんな! あんまりだわ!」
「……私もそう思う」と女神様。「せっかく昨晩、すんでのところで思いとどまってくれたのに、さすがに可哀想」
「それなら」
女神様はうなずいた。「生死に関われない以上、私が彼にできることはない。代わりにあなたに祝福を授けるわ。これ一回きりよ」
彼女が錫杖を高く掲げた。天から花々が降ってくる。
「あとは自分で考えて」
ジークヴァルトの顔を見る。黒く焼けただれている。面影はほとんどない。
こういうとき、前世ならキスで目覚めるものよね?
静かに唇を重ねる。
ジークヴァルトに私の力を半分譲るわ。だからお願い、回復して――。
ピクリと彼の体が動いた。
離れて様子を見る。
瞼がゆっくりと開く。
「ホッフン……」
「ジークヴァルト!」
「……ホッフ……」
ジークヴァルトはまた目を閉じてしまった。
「もう心配はないわ。回復には時間がかかる。いつもと同じよ」
女神様はそう告げて姿を消した。
◇◇
どれほど経ったのか、元の顔に戻ったジークヴァルトがしっかり目を開いて私を見た。
「――うわっ!」
叫ぶと同時に暴れ、泉の中に頭が落ちる。
慌てて引き上げるとジークヴァルトは咳き込みながら、
「だから放り投げておけと……!」
と真っ赤な顔で文句をつけてきた。
「死にかけていたのよ」
「あ……? かにんぴょんじゃない? 服を着ている?」
うなずく。
「かばってくれて、ありがとう。だけどあなた、かにんぴょんの姿を保てないほどダメージを受けて……。今回助かったのは特別なのよ……」
涙がこぼれ落ちた。
ジークヴァルトがとなりに座り直して、手で涙を拭ってくれる。
「心配させたのは、悪かった」
ジークヴァルトが優しい顔で私を見ている。私がどんなに頼んでも泣いても、きっとまたかばってくれるのだわ。私たちが魔法少女と魔法生物でいるかぎり。
だけどそれを昨晩選んだのは、私たち自身なのよ。
「死にかけたのも悪いわよ」
そう告げたのは女神様だった。いつの間にか泉の中央に立って私たちを見下ろしている。
「死んだならば私は新しい戦士を選ぶ。だけどあなたたちが一番の適任者なの。最後まで務めてほしい」
「敵が強すぎる」
ジークヴァルトの言葉に私も賛同する。
「クリストハルトを覚醒させなさい。安全に。反省をしているから、あなたたちに従うはずよ」と女神様。
確かに彼は途中から私たちのサポートをし、フェアラートとも戦っていた。怪物を憎んでいるのは確かなのだから、適切な覚醒をすれば勇者になってくれるかもしれない。
「それと、リーゼロッテに聖女の力を授けたわ。治癒治療専門ね」
彼女も戦闘中であることをどこで知ったのか駆けつけてきて、唯一の得意技である治癒で怪我人を治していた。
「今回の負傷者は彼女がおおかた治したから。死者は出ていないわよ」
「良かった!」
「あなたたちへの褒美よ。あの状況で諦めてくれるとは思わなかったわ。邪魔をしておいて言うことではないけど、驚いたもの」
女神様は無垢な笑顔を浮かべる。
「魔王を倒し終えるまで、純潔を貫いてね」
ジークヴァルトが魂が抜けそうなほどに深い嘆息をして、私の頭に額をつけた。
「……あんまりだ。ようやくツェツィーリエが俺の元に帰ってきたのに」
そうなのよね。どうやら魔法少女と生物になれる条件のひとつが純潔らしいの。
昨晩ジークヴァルトと、その――よい感じに進んでいたところに突然、
「それ以上はダメーーー!!」
という制止の声と共に女神様が現れて、説明された。女神様は『光の力を授けたときに話さなかったかしら』ととぼけていたけれど、ジークヴァルトも私も聞いていない。許されるのはキスまでなんですって。
それを知らされたジークヴァルトは石像にでもなったかのように硬直して、かなり長い間、葛藤していたわ。だけれど最終的に、『ロートトルペ隊と市民を守らなければな』と言って、かにんぴょんを続ける選択をしたの。もちろん私も同じ考えだわ。
「『帰ってきた』もなにも、遠ざけていたのはあなたでしょう」
と女神様がズバリと切り込み、ジークヴァルトは気まずそうなうめき声をあげた。
女神様が笑顔を私に向ける。
「三年近くもツェツィーリエを悲しませていたのだから、ちょうどいい罰じゃないかしら」
「私は別に。罰なんて望んでいませんわ」
女神様が肩をすくめる。
「こんな自分勝手で幼稚な男のどこがいいのかしら」
「我欲より国民の平和を優先するところです」
「――そうね」
女神様はにっこり微笑み、ジークヴァルトは額にキスをしてくれた。
「ちょっと待て」とジークヴァルト。「ツェツィーリエの服が違う」
「レベルアップしたの」
「それは凄い。――だが、なんだこれは。露出が多すぎるぞ!」
それは私も気になっていたわ。胸元の開きが大きすぎるもの。
「足も! なにもはいていないのか!」
ワナワナと震えているジークヴァルトは真っ赤な顔になっている。
「あら、本当ね」
そこは気づかなかったわ。戦っているときに足なんて見ないもの。私のボトムスはおしりを隠す程度のミニ丈スカートに編み上げ厚底サンダルだけ。
「破廉恥すぎる! 変えてくれ!」
「無理よ。コスチュームはこれと決まっているの」と女神様。
「ツェツィーリエの肌を見ていいのは俺だけだ!」
「変態くさい発言はやめてくれるかしら」女神様が若干身を引き目をすがめている。
「女神様。私もこれはかなり恥ずかしいですわ」
「心配しないで。下はちゃんと見せパンよ」
「そういう問題ではありません!」
「まあ、いいわ。私もちょっとひどいとは思っていたの」
良かった、と安堵する。
「次回からは編み上げブーツにしてあげる。そのほうが可愛いもの。楽しみにしていて」
女神様はウインクをして、消えた。
なんの解決にもなっていないわ……。
でもそれは後回し。大切なことをしっかり伝えないとね。
愛するひとの膝の上に移動して、抱きしめる。
「大好きよ、ジークヴァルト。魔王を倒すまでお互いに死んではダメよ」
返ってきたのは短い抱擁だけだった。
約束をしてくれる気はないのね。それが彼の覚悟なのだろうけれど――。
「ツェツィーリエ」
返事だわ!
嬉しくなって彼の顔を見上げると、恐ろしく凶悪な表情であらぬ方を向いていた。
「悪いがのいてくれ。その格好では俺の理性がもたない」
「まあ」
渾身のお願いをしたつもりだったのに、ジークヴァルトには別の効果があったのね。
「約束してくれたなら、どくわ」
「それはずるい」
苦しそうにギュッと目をつむるジークヴァルト。
「『お互いに』よ」
彼は目を開き、ゆっくりと私を見た。
「そうだな、『お互いに』だ。努力すると約束しよう」
「もう! 頑固なのだから。それなら知らないわ」
ジークヴァルトを抱きしめなおして、肩にもたれる。
「ツェツィーリエ!」
ジークヴァルトの小さな悲鳴と同時に、『言い忘れたわ』と女神様の声がした。『泉に入ることは禊でもあるの。今回は特別に許すけど、次回からはちゃんと汚れた衣服を脱ぎなさい』
ジークヴァルトの絶望的なうめき声が聞こえた。
とりあえず、頭をよしよししてあげればいいかしら。