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8.嘘か真か


 今日は旅の準備を整え、出発は明日の早朝。リズはそう考えていた。

 朝食を終え、部屋に戻り、一休みしてから買い物に出るつもりだった。

 買い物に出るついでに、おばさんに今日の宿泊も頼んだ方がいいかもしれない。 


 リズはベッドに腰かけ、ノアールは部屋の机に備え付けてある小さな椅子に座る。

 朝食による満腹感がありがたかった。このまま昼寝でもしたい気分だったが、あまりのんびりとしているわけにもいかない。


「リズ様、ひとつ提案があるのですが、よろしいですか?」


 いきなり提案と言われ、リズは内心驚いた。ノアールの方からこういう風に話しかけられるのは初めてな気がする。


「なに?」

「そのカルセル、という場所は、どちらの方向で、どのくらい離れてるのでしょうか?」


 リズはノアールの質問を(いぶか)しんだ。


「どうして?」

「いえ、わたしの力で跳べるかと思いまして」

「飛べるって、空を?」

「いえ、なんと言いますか、空間をです」


 は?

 というのがそれを聞いたリズの率直な感想だった。


 空間を跳ぶ。

 聞き間違いでなければ、それはつまり空間転移を意味しているのだろう。

 リズもそういった魔法が存在することは知っている。

 書物の中で見たことがあるからだ。

 その書物は魔導書ではなく、おとぎ話だが。

 

「つまり、ノアールは空間転移ができるっていうこと?」

「ええ、だいたいの距離と方向さえ教えてもらえれば、すぐに着けると思いますよ」

「それが歩いて半月以上かかる距離でも?」

「問題ないと思います」


 ノアールの顔にはまったく曇りがなく、冗談を言うようにも思えない。

 それでもリズには信じがたかった。


 たぶん、今この世界にそんな魔法が使える人間は存在しない。

 ごく短距離の転移ならできる人間もいるかもしれないが、それはもはや宮廷魔術師とかそういう次元の話である。

 まあ、人間の枠に闇の眷属を当てはめるのは正しい考え方とは言えないかもしれない。

 魔法というのは相性の問題で、人間には不可能とも言えるような術が、ある種族にとっては当たり前だったりするし、人間が当たり前に使う術が他の種族には珍しいものだったりはよくあることだ。

 しかし、超長距離の転移と言われると、リズの魔法観からはどうしても信じられない。


 考えに(ふけ)るリズを、ノアールはすこし困ったような顔をして見ている。


「なにか問題がありますか? 途中に寄りたい場所があるとか?」

「いえ、ないわ」


 本当に転移などできるならば、それ以上の手はないとは思う。

 リズは旅慣れていないため、本当にカルセルにたどり着けるかわからない。

 歩く距離や路銀以外にも旅で心配することは山ほどある。


 ノアールが護衛についてくれているとしても、疲労から病気などの可能性だって考えられる。

 それに、継母と義姉がどう動くかもわからないのだ。

 叔父の元に早くたどりつくのは間違いなく最善であり、それを目指した方針をとるべきだ。


「では距離と方向を教えてください。準備ができ次第参りましょう」

「参りましょうって、ここから?」

「はい、そのつもりですが」

「それは、ちょっと、まずいかな」

「なぜです?」

「だって、部屋から急にいなくなったらおばさんがびっくりしちゃう」



***

 


 リズとノアールは荷物をまとめて宿を出た。

 荷物、といってもリズが着ていた服と路銀を入れてある袋くらいしかないのだが。


 空を見上げると太陽が頂点に達するのはもうすこし、といったところだ。

 まだらな雲が青空を漂い、雲の流れる早さから上空にはそれなりに風があるのが見て取れる。

 森に囲まれた村なためか、外に出ると緑の匂いがすごい。


 転移が本当にできるならば、人の目につかない場所でするべきだった。

 適当なのは森の中か、街道をすこし行った先だろう。

 

 リズは村の出口を指差し、


「村の外でやりましょうか」

「わかりました」


 ふたりは村の外へ出てもしばらく歩き続けた。


 リズの体調はすっかり良くなっていた。

 服も靴も普段の服装よりもずっと動きやすく、なんなら歩きでカルセルまで向かうのも難しくない気すらした。

 無論、それはいっときの勘違いだろうが、晴れた森の中を歩くリズの気分はそれくらい清々しかったのだ。


「ここらへんでいいかもね」


 何の変哲もない森の中の街道で、リズは立ち止まった。


 道行く先からも、村側からも、人の気配はなかった。

 ここならば何かあったとしても誰かを驚かせることはなさそうだ。

 リズは緊張しているのを感じた。転移ができるというのは本当に本当なのだろうか?


「ではだいたいの方角を教えてもらえますか?」

「だいたいでいいならあっちだと思う」


 リズはカルセルがあるであろう方向を指し示した。おおよその方角は村で調べてきた。


「そのカルセルという場所は、人口はどれくらいですか?」


 人口、といきなり言われても、リズはそんなことはわからなかった。

 リズが答えられずにいると、


「どのくらいの規模か、でも大丈夫だと思います。こちらの方角でそれよりも大きい都市があるかないかなどでも」

「北の方の都市では、たぶん二番目に大きいっていう話だったと思うわ」

「わかりました」


 ノアールはしばらく無言で立っていた。


「見つけました。たぶんここですかね」


 ここ、と言われてもリズにはなにもわからない。


「本当に転移できるの?」

「できますよ、普通に」


 ノアールはそう言い切った。

 ここまで来てもリズは転移ができるという話を信じきれなかった。

 リズが疑心暗鬼というわけではない。超長距離の転移というのはそれほどに突拍子もない魔法なのだ。


 リズは覚悟を決めて言う。


「じゃあお願い」


 ノアールは、手のひらを上にして、腕を下から上にすっと動かした。

 その動きは自然で淀みがない。

 たったそれだけで、ノアールの前に、黒く歪んだ穴のようなものが出現した。


 リズは、その黒い穴を見て良い想像をすることができなかった。

 リズがその穴を目にして抱いた感情は『怖い』のみだった。

 自然ではありえない空間の歪みを目にして、リズは原始的な恐怖を感じていた。


 そこから嫌な想像が膨れ上がる。


 これは本当に転移なのだろうか?

 これに入ればカルセルに行けるのだろうか?


 想像が暴走し、闇の眷属の罠という可能性を考えてしまう。

 召喚者を信頼させ、転移できますよと伝え、自らの世界に引き込むのだ。

 空間転移の非現実性を考慮すると、カルセルにたどり着くよりも、むしろその方がありそうに思えた。


「どうしました?」


 ノアールがかすかに首を傾げてきいてくる。

 リズはなんと答えるか迷った挙げ句、


「怖いの……」


 想像したことは伏せて、思っていることをそのまま伝えた。

 それを聞いてノアールは笑った、と思う。表情ではなく身体全体の気配で笑った。リズはそのように感じた。


「わたしを信じてください」


 ノアールはそう言いながらリズに手を差し出した。


 リズはその動きから、昨日のことを思い出した。

 腰を抜かしてしまい、手を貸してくれたノアールを。

 見た目よりもずっと力強い手を。

 まだ出会ってから一日だというのに、助けてもらった無数の記憶を。


 リズの中の恐怖が、すっと消えていくのを感じた。

 

「信じるわ」


 もしも、もしも本当に闇の眷属の罠だったとしても、それはそれで構わない気がした。

 もともと拾ったような命だ。ノアールからは、すでにそれだけの借りは受けたと思う。


 リズはノアールの手を取った。

 手袋をつけていない分、昨日よりもノアールの体温がはっきりと感じられた。

 リズよりも幾分体温の低い、すべすべとした手だった。


 リズはノアールに先導され、目の前の黒い空間の歪みへと足を踏み入れた。

誤字・脱字報告ありがとうございます。

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