29.Happily ever after
「ノアール」
リズが声をかけると、ノアールは閉じかけていた目を開いた。
「はい。決心はしてくれましたか?」
「ええ、使うわ。それを」
ノアールは永竜の真核をずっと握ったままだった。
そんなにリズの願いを叶えるものが大切なのだろうか。
そういえば、倒れている時すらも握っていたような気がする。
リズはなんだかそれがおかしくなって、笑った。
「なにかありましたか?」
「ううん、なんでもない」
リズは、ノアールから永竜の真核を受け取った。
冷たい金属のような感触を想像していたが、手にしてみるとそれはぼんやりと熱を持って暖かかった。
「これは、どう使えばいいの?」
「伝承にもはっきりとは残っていなかったので正確ではありませんが、強く願えばそれでいいはずです。多くの魔道具と同じで、声に出してもいいし、心の中で願ってもいい。重要なのはその願いを明確にイメージできているかなはずです」
「そう、わかったわ」
リズは、自分の手の中にある真珠のような球体をじっと見る。
その頼りない重さに、これが本当に願いを叶えられるのか、すこしだけ不安になる。
ノアールはリズを見て優しく微笑んでいた。
「どうしたの、そんな顔して」
「嬉しいのですよ、リズ様が精霊使いになる場面に立ち会えて」
確かに、ノアールの顔は本当に嬉しそうに見えた。
そう思うと、リズはなんだか申し訳ない気がした。
願いを、叶えようと思う。
リズは、最後にもう一度だけノアールを見た。
その整った顔は、見慣れた今でも、じっと見つめていると照れくさくなってしまう。
リズは、目を閉じた。
願いを叶えるためには、強く願わなければならない。
その願いを正確にイメージしなければならない。
だから、リズは思い出す。
ノアールと過ごした日々を。
馬車で襲われたとき、リズは召喚に失敗し、ノアールはそれを利用する形でこちらの世界に来た。
ノアールは必死だったはずだ。
刺客を追い払ったときも、リズを助け起こしてくれるときも、ノアールは落ち着いて、感情らしい感情はなにも感じさせなかった。
今思うと、内心はどうだったのだろう。その心の中には、見た目とはまったく違った感情が渦巻いていたのではないか。
それを想像して、リズは愉快な気分になった。
村の宿に泊まった時のことを思い出す。
ノアールは、朝食の味に感動していた。食べ物の味、というものに感動していた。
確か興味がある、と言っていた気がする。
食べ物については知っていても、味というものが予想外の感覚だったのだろう。
リズは今でもあの時のノアールの表情を鮮明に思い出せた。
リズはふたりで出かけた時のことを思い出す。
リズはもしやこれはデートなのでは、と焦った記憶がある。
リズは、ノアールがカルセルの情報を把握したいだけだと自分に言い聞かせた。
けど、やっぱりあれはデートだったんだと思う。
ノアールも、リズと出かけたかったから、ああいった誘いをしたのだろう。
今ならそう思えた。
リズはそう考えると、なんだかとても幸せな気分になった。
リズが、ノアールのために料理を作った時のことを思い出す。
今後のため、などと自分の中で理屈をこねたが、結局のところリズはノアールに喜んでほしかった。
あの頃にはもう、リズはノアールを好きになっていたのだ。
あの時のノアールの言葉を思い出す。
――――リズ様の料理を口にできて幸せです。
あれは、本心だったのだろう。
リズと過ごすことで、ノアールも幸せだと感じていたのだ。
リズはそれを思うと、喜びで弾けそうで、なんだか胸が苦しいような気がした。
リズが体調を崩してしまった時のことを思い出す。
あの時のリズはわがまま放題で、ノアールに力いっぱい甘えてしまった。
今思い出すと、なんだかそれが恥ずかしい。
それでも、ノアールはリズのために動いてくれた。
城壁から見た光景は、今でもリズのまぶたに焼き付いている。
大霊から救ってくれた時のことを思い出す。
あの時、リズは本当に死ぬ覚悟をした。
ノアールが、そんな窮地から救ってくれた。
もしかしたら、急激に力を使いすぎたが故に、こうして弱るのが早くなってしまったのかもしれない。
けれども、リズは嬉しかった。
契約のためでもなく、ノアール自身のためでもなく、心からリズのために力をふるってくれたことが。
助けてくれたことが。
今思い返せば、どれも宝石のような思い出だった。
リズの人生の中で、ノアールと過ごした時間が最も濃密であった。
ノアールと過ごした時間が、最も幸せだった。
だから、リズは願いを決めた。
永竜の真核は、存在に干渉する力だ。
ならば、できるはずだ。
この世界に、ノアールを適応させることが。
ノアールを消えさせないことが。
一か八かの賭けではあった。
しかし、リズには不思議とそれができるという確信があった。
それは、リズの魂の中にある魔法使いの後押しだったのか、あるいは単なる女の勘だったのかもしれない。
いずれにせよ、リズには絶対に成功するという揺るぎない確信があった。
失敗をする怖さは、微塵もなかった。
だから、それは完全にイメージされた願いとなった。
リズは、ノアールと過ごすこれからを思い描いた。
一緒に過ごす明日を。
幸せに暮らす日々を。
リズは目を開き、永竜の真核を見つめた。
言う。
「真核よ。ノアールをこの世界にいられるようにして」
途端、永竜の真核は砕け散り、薄い靄のような光が漏れ出した。
その光は、ノアールを優しく包み込み、ノアールに宿るように消えていった。
「リズ様、どうしてこんな……」
ノアールは、リズの行いに狼狽、といっていい態度を顕にした。
リズはそれを見て微笑み、
「調子はどう?」
聞かずとも、リズにはわかった。
ノアールの気配が変わった。
どんな表情にも混じっていた眠そうな気配が、今はどこにもない。
ノアールがベッドから立ち上がる。その動きはごく自然で、まったくのいつも通りに見えた。
リズもそれに合わせて立ち上がり、腰を曲げてノアールの顔を下から覗き込むように見る。
ノアールは両手を何度か握って感触を確かめてから言った。
「いいと、思います」
「よかった!」
ノアールは、困惑していた。
それが、見てわかった。
「リズ様、これでは精霊使いは……」
ノアールのうろたえっぷりといったらなかった。
リズはそんなノアールが面白くて、愛しくて、満面の笑みを浮かべている。
「ノアールの望みは、あたしが精霊使いになることじゃないでしょ?」
「いえ、そんなことは……」
「そう? さっき、あなたはなんて言ったっけ?」
ノアールは、考えるような沈黙。
ノアールの答えを待たずに、リズは口を開いた。
それは、さきほどノアールが言ってくれた言葉。
リズが伝えられた言葉で、生まれてから一番嬉しかった言葉だ。
「ノアール、あなたはあたしを幸せにしたいんでしょう?」
リズは、いたずらっぽく笑って言う。
「なら、これがその方法!」
ノアールの表情が色を変えた。
きっと、リズの想いはすべて伝わった。
ノアールの困惑が「しょうがない人だ」とでも言いたげな微笑みに変わった。
リズはそうして笑うノアールが愛しくて、ノアールとこれからも一緒にいられるのが嬉しくて、この気持を形にしなければどうにかなってしまいそうだった。
身体は、自然に動いた。
リズはノアールの背に手を回し、背伸びをするように唇を重ねた。
ノアールは、それに応えるようにリズをそっと抱き寄せてくれた。
変わらないものはない。
そうかもしれない。
けれど、それがどういった方向に変わるかは、変わってみるまではわからない。
リズとノアールの関係は、変わったのだと思う。
きっと、より良いものに。
***
これで、あたしの話はおしまい。
え? このあとはどうなったかって?
本当に、本当に、いろんなことがあったわ。
でも、そんなものはへっちゃらだった。
だってノアールと一緒だったんだもの。
だからこの先の結末はあなたが想像した通り。
あたしの物語はこうして幕を閉じるの。
ふたりはいつまでも、いつまでも、幸せに暮らしましたとさ。
ここまで読んでくれてありがとうございました!
少しでもよかった、面白いと思っていただけましたら、☆での評価、いいね、感想などいただけると嬉しいです。今後の励みになります。




