25.もしも願いが叶うなら
「いいわよ、ここで話す? それとも下で?」
「下にしましょうか」
「わかった。じゃあ下で待ってるわ」
リズは椅子を元あった位置に戻してノアールの部屋を出た。
落ち着いた態度を装っていたが、リズは激しく動揺していた。
すこしお話を、ノアールはそう言っていた。
そんな切り出し方は、出会ってから今まで一度もなかった。
いい予感がなにもしなかった。
リズは「お話」の内容を想像する。
契約に関してのことだろうか。リズは未だに、自分とノアールの間にどのような契約があって主従関係が成立しているのか知らない。
実は期限付きの契約で、あと数日で終了となりますが、といった話である可能性は否定できない。
他にもっと馬鹿らしい理由でノアールを怒らせるようなことをしてないか、リズは必死に思い出す。
ノアールの買ってきたお菓子を勝手に食べちゃったとか。
あまりにも馬鹿らしすぎると思うかもしれないが、実際にあったのだ。
リズがノアールの買ってきた飴を勝手に食べた。
ノアールは時々お菓子を買ってくる。リズはたいてい分けてもらうし、たまに勝手に食べたりする。
普段なら勝手に食べてもなにも言わないのだが、一度だけノアールが不満そうにしていたことがあったのだ。
それが飴、である。
小さなキャンディが詰まった小袋で、居間のテーブル上に置いてあった。
リズは適当にひとつ摘んでそれを食べたのだ。
リズが適当に選んだ飴は、ノアールがまだ食べたことない味であり、それはその小袋の中で唯一のものだったらしい。
その時のノアールは文句こそ言わなかったが、あきらかにムッとしていた。
リズは以来、ノアールの買ってきたお菓子を食べる時はちゃんと許可をとるようになったのだ。
そういった馬鹿らしいなにかがないかと考えたが、ありそうなものはひとつもなかった。
リズは一階へと降りて、居間の食卓に座る。
手前のノアールの席に座ってから、間違えに気付いて自分の席に座りなおす。
ノアールが見ていなくて良かったとひとりで安堵する。
ノアールはいくらもしないうちに降りてきた。
降りてきたノアールの手には、なにかが握られていた。
ノアールがリズの対面に座る。
「それで? 話っていうのは?」
「これです」
そう言ってノアールは手を開き、テーブルの上にあるものを置いた。
それは、巨大な真珠のように見えた。
「なに? これは?」
魔道具であるのはリズにもわかった。隠しようのない魔力が漂っているのだ。
ただ、見ただけではそれ以上のことはなにもわからなかった。
「リズ様は、ご自身の資質でお悩みですね?」
いきなりの話題にリズは戸惑いながらも答える。
「そ、それはそうだけど」
ノアールは、言う。
「これがその解決法です」
言っている意味が、よくわからなかった。
リズの悩みの解決法、それは言葉としてはわかったが、頭では意味を理解できなかった。
「永竜の真核というのをご存知ですか?」
もちろん、ご存知だった。
魔法を学んでいてそれを知らない者はいない。それどころか、おとぎ話を知っている者ならほとんどがそれを知っているはずだ。
永竜の真核は、ある種の『願いを叶える秘宝』である。
ある種、といったのはその願いの範囲が限定されるからだ。
リズも真面目な文献で読んだわけではなく、物語からの知識が主だ。
その願いを叶えられる範囲は、存在の在り方に干渉するものだったはずだ。
永竜の真核はその性質上、多くの物語の題材とされているのだ。
例えば、富くじを当たるようにしてくれ、だとか、この国の王にしてくれ、だとか、そういった願いが叶うものではない。
事象を叶えるのではなく、存在を変化させる秘宝なのだ。
身長を伸ばしてくれ、と願えば身長は伸びる。
痩せさせてくれ、といえばもちろん痩せる。
それどころか不老不死だろうと実現できるし、人間が狼男になったり、人間が竜になったりすることもできる。
その干渉は身体だけではなく、魔法的な部分から魂にまで及ぶ。
過去にも、この永竜の真核を使って大魔法使いとなり、歴史に名を残した人間が実在する。
つまり、リズの資質を、闇使いから精霊使いにしてくれ、と願えば、それは叶うのだ。
伝説が、本当ならば。
「リズ様の悩みを解決する方法を色々と調べました。その中で、一番現実的だったのがこれです」
ノアールの現実的は、リズにはまったく現実的ではないように思えた。
「これ、本当に本物なの?」
「はい」
ノアールの返事は、どこまでも落ち着いている。
永竜の真核の特筆すべきところは、それが本当に実在している、というところにある。
伝説上の多くの秘宝は、もはや失われてしまったり、そもそもが空想の産物であることが多い。
だが、永竜の真核は明確に存在するものとして広く知れ渡っている。
実在していながらも、歴史の中で永竜の真核が使われたと記録されているのは二件だけ。
古の大魔法使いと、東の大陸の初代皇帝が使ったとされるのみだ。
なぜそれほど使用例がすくないかと言えば、実質的な入手が不可能だからだ。
永竜の真核は、極めて長く生き、極めて強大な力を持った古竜の核だ。
そして、そんな古竜を倒せる生き物は、この世には存在しない。
「倒したの? 竜を」
「はい」
ノアールは、そう言い切った。
ノアールの瞳からは、嘘の様子は微塵も感じられない。
「リズ様、これを使ってどうか願いを叶えてください」
間違いなく、本物なのだろう。
それでも、まるで現実感がなかった。
もし、願いごとがなんでも叶うならどうするか。
リズは真っ先に精霊使いになりたい、そう願うと思っていた。
しかし、その「もし」が現実になった時、リズはすぐにそれを願うことができなかった。
突然過ぎたせいもある。
リズはさっきまで、ノアールの口から良くないなにかが告げられると思っていたのだ。
それがいきなり「あなたの願いが叶います」だ。頭を切り替えられないというのも当然だ。
それに永竜の真核が、あまりにも大それたものであったせいもある。
永竜の真核は秘宝中の秘宝とも呼べる代物である。
騎士の家系の令嬢であるリズ程度が手にしていいものではない。
目の前にある大きな真珠にしか見えないコレは、すべての力あるもの、野心あるものが欲する秘宝だ。
まるで、長寿を願っただけで不老不死の霊薬を出されてしまったような衝撃があった。
これ一個のために国が傾くような戦争が起こってもなんらおかしくないし、これを王に献上すれば、ウィルスタイン家の家格はみっつもよっつも跳ね上がるだろう。
仮に永竜の真核を売れば、リズの代から十代は遊んで暮らせるはずだ。
それほどのものをいきなりころんと出されて使ってくださいと言われても、考えなしに願いを叶えるなどできなかった。
それにもうひとつ。
リズにはこれら以上に気になることがあった。
「ちょっと、考えさせて」
リズは、ノアールから目を逸らして立ち上がった。
そのまま、家の出口まで歩く。
「どこへ行くのですか?」
「お昼食べてくる。お腹空いちゃった」
リズは足早に外へと出た。
お腹が減っていたのは本当だったが、それ以上に外の空気を吸って考えをまとめたかった。
精霊使いになれる。それは、リズの長年の夢であり、今起きている事態のひとつの解決策である。
それが本当に叶うならば、リズにとってそれ以上のことはないように思えた。
それでも、リズはすぐにそれを願うつもりにはなれなかった。
ノアールがいるから、である。
ノアールは、リズが忌み嫌われる闇使いであるからこそ、呼び出せたのだ。
リズが闇使いだから今も側で従ってくれているはずなのだ。
リズが精霊使いになってしまったら、ノアールはどうなるのか。
リズには、考える時間が必要だった。




