23.夢の終わり
この夢も、何度目だろう。
また同じ夢を見ている。
その夢ではあたしは違う世界へ逃げた魔法使いだった。
あたしは逃げた先で、世界そのものと話すのだ。
暖かい闇と、時には笑いながら、幸せに。
あたしは穏やかな時間を過ごす中で考えた。
なぜ、自分は違った世界に行きたかったのだろう、と。
魔導協会が禁忌とする異界の研究を、なぜ続けたのだろう、と。
元の世界にいた時は、色々な題目を掲げていたと記憶がある。
異界の存在が確認されているのになぜそれから目を逸らすのか。研究しなければ可能性はいつまで経っても広がらない、とか。
召喚術に類するものだって異界に関わる術であり、異界そのものの研究を禁止するのは理に適っていない、とか。
あたしは、自分でもそれを信じこんでいた。
魔を探究するものが確認できている未知に踏み込まないわけにはいかないと。
それこそが世界の魔法を発展させる礎になると。
それこそが自分の役割であると。
でも、そんなのはうそ。
もうなにも気にしなくていい穏やかな時間を過ごして、自分を見つめ直して、今ならなぜあたしが異界へ行きたかったのかよくわかる。
あたしには、居場所がなかったんだと思う。
どこにいても浮いていた。
どこにいても、自分だけは皆と違う気がした。
誰と話しても、相手との利害を考えてしまった。
誰ともなかよくなることはできなかった。
だから、あたしは逃げたかったんだと思う。
元いた世界とはどこか違う世界に。
自分と通じてくれるなにかがいる世界に。
その夢は、叶った。
あたしは、闇と語らう時間に満足していた。
元の世界ではなかった幸せな時間だった。
そうして、あたしは自分に残された時間をどう使うかを考えた。
あたしの夢は叶った。じゃあその次は?
そんなのは、決まっていた。
この世界には、あたし以外にはもうひとりしかいないのだから。
あたしは残った時間で、この寂しい闇をできるだけ楽しませてあげようと思った。
幸せな気分にしてあげようと思った。
だから色々な話をした。
あたしのこと。あたしの世界のこと。暮らしのこと、魔法のこと、生き物のこと。
それからあたしの知っている色々な物語を。
闇は、最初の方はあたしの言っていることが理解できないときも多かったが、最後の方にはあたしの話は全部理解できていたと思う。
最後の方は、と言ったのは、あたしがもう力尽きかけていたから。
空腹ではない。全く活動せずに魔法の力を使えば、空腹は二ヶ月は凌げるものだ。
最後が近いのは、違う世界に居続けているからだ。
違う世界にいると、存在自体に負荷がかかり続けるのだ。
その負荷は身体を蝕み続け、いつかは死に至る。
苦しかったり、痛かったりはしない。
ただ力が入らなくなり、眠い時間が多くなる。
終わりは近かった。
あたしは、最後に闇に教えなければならなかった。
それは、人間は死んでしまうということ。
あたしがいなくなるということ。
闇はあたしの最後の話を、殊更静かに聞いていた。
闇は、死の概念は理解していた。
それはそうだ。あたしが話した物語の中にも、人間が死ぬ話はいくらかあったのだから。
あたしはそれがちゃんとあたしと繋がっているかが心配だったのだ。
しかし、闇はそれも理解していた。
あたしは、闇がそれを知ったら取り乱すと思っていた。
けれども、そんなことはなかった。
闇は別れがくると理解していた。
ただ、闇は死についてあたしの説明に納得していないようだった。
『たぶん、それは間違っていると思いますよ』
そう闇が言ったのだった。
「? 何がどう違うというの?」
あたしがそう聞いても、闇ははっきりとは答えなかった。
そうして、終わりはやってきた。
ただひたすらに眠かった。
目を開けていたいのに、どうしてもまぶたが降りてきてしまう。
喋るのもひどくおっくうで、なにをすることもできない。
闇の暖かさが、心地よかった。
初めのうちは、できるだけ最後まで起きていようと思っていたけれど、その心地良さに逆らうのは難しかった。
闇は最後になにか言っていたように思えたが、もうあたしはそれがなにかわからなくなっていた。
目を閉じる。
不思議な浮遊感が心地よい。
闇の暖かさが心地よい。
あたしは意識が薄れ、眠るようにその鼓動を止めた。
***
夢を、見ている。
あたしは死んだはずなのに、あたしはなぜかまだ、闇だけの世界を見ていた。
闇には、あたしの遺体が浮いていた。
闇の中には、それだけしかなかった。
広大な闇の中に、ただ浮かんでいた。
どれだけの時間が経ったかわからない。
それは唐突に、何の前触れもなく起きた。
闇の遥か上から一筋の光が入りこんできたのだ。
遺体は、その光に吸い込まれるように上昇していき、そして光に飲み込まれて闇の世界から姿を消した。
あたしに、闇の声が聞こえた。
『いつか、会いに行きます』




