17.熱に浮かされて
夢を、見ている。
いつも見る夢。
闇に抱かれる夢。
闇と対話する夢。
起きたら、いつも忘れてしまう夢だ。
夢の中で、あたしは闇と姿形についての話をしていた。
暖かい闇に包まれて浮かびながら、それ以外はなにもない世界で、話をしていた。
『では、違う世界では、全てのものに違った形というものがあるのですね?』
「そう、あたしと同じ種族の人間だって、みんな違う姿をしてるんだから」
『……想像できませんね。わたしには姿も形もないので』
「あるんじゃない?」
『え?』
「いや、なんでもない」
『なんですか? 気になります』
その頃にはもう、あたしは闇を闇とは認識しなくなっていたのだ。
その頃のあたしの中には、闇の姿のイメージがあった。
自分と同じ、人間としてのイメージだ。
「ほんとになんでもないってあたしの勝手な想像」
『どんな想像ですか?』
「あんたが人間だったらどんなんだろうって言うあたしの勝手な想像」
『わたしが人間になるのですか?』
「だからあたしの勝手な想像だってば」
『聞きたいです』
闇はいつになく強情であった。
「もー、しょうがないなー」
あたしは改めて考える。気づかないうちに、自然に思い浮かべていた闇の姿を。
「まず、ものすごい美形で、性別は男ね。艶のいい黒髪で、長さは長くも短くもないけど、変に整えずにいつも無造作な感じにしてる。瞳の色は黒曜石みたいな黒。鼻は少しだけ高くて、肌の色は薄め。無表情ではないけど、あなたの表情はそれを見慣れた人じゃないとはっきりわからない。身長は高めで体つきはほっそりしてる。でもガリガリってわけじゃなくて引き締まった身体をしてるの」
あたしは他に伝えてないところがないか思い返す。
「そうだ、あとはなぜか執事みたいな服を着ているの」
『執事?』
「召使いっていうのかな。わからないけどあたしの世界ではそういう仕事があるの。それで、その人たちは黒いスーツみたいな服を着るの。あなたが着てるのはそれ」
『なるほど、それがわたしの姿なんですね』
「いや、だからあたしの勝手な想像だって」
『いいえ、わたしはそれが気に入りました。それがわたしの姿です』
闇はあたしの想像が気に入ったみたいだった。
姿形が色々ある、ということすら今知ったのだから具体的なイメージはできていないはずだが、それでも闇はあたしの考えこそが自分の姿であると信じたようだ。
それ以上はなにを言っても聞きそうになかったし、ただの言葉遊びでそこまで意地になっても仕方ないと思ったのだ。
「わかったわ、ノアール。それがあなたの姿」
***
カルセルでは春の終わり頃に祭りがある。
収穫祭と鎮魂祭を足して二で割ったような祭りで、その時にはカルセルの外から来る人間も多く、それなりの賑わいを見せる。
祭りの特色は、フィナーレに行われる魂送りだ。
教会が魔法で空へと無数の光の玉を浮かばせるのだ。
夜闇の中、白くぼんやりとした光がいくつもいくつも天へと昇っていく様は、あらゆる生物の魂が天に召されていくように見える。
それを魂と見立て、この一年に亡くなった人に、我々の糧となった生き物に祈りを捧げるのだ。
リズが叔父の元へ来るのは、たいていこの時期だった。
なぜならリズはお祭りが大好きだからだ。
いつもと違った行事というのはそれだけでワクワクするし、それがみんなで集まって楽しむためといえばもっとワクワクする。
今日は、お祭りの二日目の、しかももう昼過ぎである。
だというのに、リズは家のベッドで横になっていた。
ベッドの側にはノアールが椅子を持ってきて座っている。
「ねえ、あたしやっぱり死んじゃうかも」
「死にませんよ。そんなこと言っている元気があるなら、大人しく寝ていてください」
リズは絶賛風邪ひき中であった。
あろうことか、祭りの一日前にリズは体調を崩した。
前日の夜からその兆候はあったのだが、朝になって風邪が本格化した。
全身が気だるく、身体が震えて寒い。
いつまでも起きてこないリズをノアールが起こしに来て、リズは
「あたしもうだめかも……」
と言い出して大いにノアールを慌てさせた。
生命力、魔力ともに問題なさそうなので、風邪というものでは? と主張するノアールにリズは異議を申し立て、ノアールに叔父の元まで行ってもらいわざわざ医者まで頼んだのだ。
診察の結果は、普通に風邪であった。
風邪の診断は消去法によってなされる。リズに他に該当しそうな病気の兆候はなく、風邪としか思えない症状を発している。それに加えて、ノアールの魔法的な観点から見た状態も問題ないのであれば、それはもう間違いなく風邪であった。
が、リズはそれでも認めなかった。
リズは身体が丈夫だ。
身体に悪いところはないし、病気だって滅多にかからない。
人生において風邪にかかった回数だって数えるほどだ。
リズは、病気になりにくい分だけ、病気になったときは弱気になるタイプであった。
リズは熱に浮かされた頭で、現代の医学では特定できない新たな病気である可能性に本気で怯えている。
だって、寒いし、苦しいし、こんなのただごとではないと思う。
ノアールがベッドの側にいるのだってリズのわがままである。
ノアールがいたところでなにができるわけでもない。
多くの病気と一緒で、風邪も魔法で治すことはできず、自然な治癒を待つしかないのだ。
そうなるとノアールがいてもなにもないのだが、リズはいつ病状が急変するかわからないので近くに居てくれと頼んだわけだ。
寝てしまえばいいのに、リズはベッドで寝返りを繰り返しながら、ぼやけた頭でぐずぐずと考えている。
一日目はアンヌとお祭りに行って、二日目はノアールとお祭りに行くはずだったのに。
最近はいいことしかなく、なにもかも順調だったので、その反動かリズは落ち込んでいた。
突然リズは自分が世界で一番不幸なのではと思い始める。
継母と義姉にはいじめられるし、闇使いと判定されるし、お母さんはもういないし、病気にもなるし。
お母さんがいたころ、幼いリズが風邪を引くと、お母さんはずっと付き添ってくれて、リズの手を握っててくれたものだ。
今、その場所にはノアールがいる。
寝返りをうってノアールを見ると、ノアールはいつもどおりの端正な顔立ちでリズを見ていた。
「ねえノアール」
「なんですか?」
「もうちょっと椅子を近づけて」
ノアールは言われた通り、床に椅子を引きずってベッドへと近づけた。
リズは仰向けになったまま、ノアールに手を差し出した。
「手、握ってて」
「母君がしてくれたようにですか?」
「そう」
ノアールがリズの手を握る。ひんやりとした感触が伝わってくる。
リズは急に安心して、全身の力が抜けるような気がした。
おかしな点には、何も疑問を持たなかった。
リズが熱に浮かされていなければ、なぜ母がそうしてくれたのを知っているのか? と疑問を抱いたはずなのに、気付きもしなかった。
リズはノアールに手を握られたまま、意識に霞がかかり、次第に眠りの中に落ちていった。
***
目が覚めると、もう日が落ちかけていた。
部屋は窓から入ってくる微かな明かりのみで、だいぶ薄暗い。
だというのに、ノアールはまだベッドの側にいた。
「起きましたか、体調はどうですか?」
言われて、リズは体調が幾分よくなっていることに気づいた。
起きたばっかりなせいか、まだ頭がぼんやりとしているが、寒かったり身体が痛かったりはもうしていなかった。
「ちょっと、よくなったかも」
「それは良かった、このまま寝ていれば明日には治りますよ、きっと」
ずっと側にいてくれたのだろうか、と思う。
今は何時だろう。時間を知りたかった。
外の様子を見ると、ほんの僅かながら夕日の赤が見えた。
ということは午後の六時あたりだろうか。
リズの予想は当たっていた。
その証拠に、いくらもしないうちに、窓から空へと浮かぶ不思議な光が目に入ったからだ。
祭りの終わりの、魂送りである。
「ねえノアール」
「なんです?」
「あれを外で見たい」
「大人しくしていたほうがいいですよ」
「でも、お願い、あれだけは見たいの」
祭りをまったく楽しめなかったのだ。リズとしてもわがままだと思うが、それくらいは見せてほしかった。
ノアールが小さなため息をついた。
「仕方ないですね」
いきなりだった。
ノアールが立ち上がり、仰向けに寝ているリズの首と膝裏に手を差し込んだのだ。
そのまま、ノアールはリズを軽々と持ち上げる。
「ちょ、ちょっと! なにしてるの!?」
「なにって、外で見たいのでは?」
「そうだけど! これは!?」
「おとなしくしていてください」
視界が突然ぼやけて、妙な浮遊感があった。
そして、魔法のようなことが起こった。事実、魔法だったのだろう。
それだけで、リズは家の部屋ではなく、別の場所にいた。
外だ。
それに少し高い場所だった。
リズは都市を見下ろせる場所にいた。
ノアールに抱きかかえられているせいで、視界が制限され、自分がどこにいるのか気づくまで時間がかかった。
城壁の上だ。
リズとノアールは、カルセルの城壁の縁にいた。
ノアールはリズの重さを感じさせない動きで歩き、胸壁の凹んでいる部分にリズを座らせた。次いで、ノアールもリズの隣に座る。
「これでよろしいですか?」
あまりにも事態が急激に変化したので、リズはすぐに答えを返せなかった。
起きてからまだほんの数分しか経っていないはずだ。
胸壁からは、都市の様子がとてもよく見えた。
立ち並ぶ建物、道を歩く人、祭りのために増やされた夜の明かり。
今日は良く晴れていて、夜空も良く見える。
月はまだ昇っていないが、夜空の闇に輝く無数の星が目に入る。
そして、空へと昇っていく白い光だ。
都市の中心部から昇っていく、いくつもの淡い光がここからはよく見えた。
リズはしばらくその光景に見惚れ、返事を返すのを忘れていた。
ぼんやりと昇りゆく光を見ながら、ノアールからの質問を急に思い出したように、
「うん……」
とだけ答える。
城壁のどの部分かはわからないが、周囲に人の気配はまったくなかった。
胸壁の凹んだ部分から足を投げ出して、ふたりだけで座っている。
リズは天へと昇ってゆく光をながめながら、あるいはこれも夢の延長なのではとぼんやり考える。
風はあったが暖かく、高所だというのに怖いとは感じず、胸壁の上で都市全体をながめながら、リズは幻想的な心地よさに浸っていた。
「リズ様」
「なに?」
「もし、ご自身の資質を変えられるとしたらどうしますか?」
いきなりなんの話だろう、とリズはすぐにその言葉の意味が理解できなかった。
リズが闇使いであり、それを変えられるならどうするか? ということを婉曲的に質問したのだろう。しばらく考えて、リズはようやくそれを理解した。
「変えられるなら変えたいわよ。いきなりどうしたの?」
「いえ」
ノアールはそれだけ言って黙ってしまった。
白い光は、まだ昇っていた。
自分は、継母と義姉に追い出される形で、このカルセルに来た。リズはそのことを、最近忘れがちだった。
なぜ忘れてしまうのかといえば、今の生活にあまり不満がないからだ。
屋敷での生活は不満だらけだった。
それに比べると、カルセルでの生活は純粋に楽しかった。
ノアールがいて、叔父もいて、友達もできて、屋敷での生活と比べるべくもない充実に、継母の理不尽な行いも忘れてしまいそうだった。
屋敷は、今頃どうなっているのだろう。
叔父からは何の続報もない。
連絡が取れないのか、それともなにかしらの情報は得ているが、リズには話す段階ではないと考えているのか。
屋敷でのことを思い出して、リズは急に不安になった。
この生活が急に壊れてしまいそうな、そんな不安だ。
ノアールの様子をうかがうと、リズの方は見ずに、都市の中心から天へと昇る光をじっと見つめていた。
リズは体を傾け、ノアールの肩に頭を預けるようによりかかった。
「どうしました? 体調がよくないのですか?」
リズも、なぜそうしようと思ったのかは説明できなかった。
不安になって、そうしたくなったとしか言いようがない。
「ううん、しばらくこうさせて」
ノアールはそれ以上なにも言わなかった。
二人は胸壁の上で天へと昇っていく光を見ている。
いつしか祭りが終わって、昇る光はなくなった。
それでもしばらく、ふたりは夜空をながめながら寄り添っていた。




