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16.手料理と蒼月花


 リズはぼんやりと家の食卓に置いてある、花瓶に挿さった花を見ている。

 蒼月花という花で、春の終わり頃に咲く青い花だ。

 なぜ花があるのかといえば、ノアールが持ってきたからだ。

 なぜ持ってきたのかというと、それはリズにもわからない。

 

 つい昨日のことで、いつも通り夕方頃になってノアールが帰ってきたのだ。

 リズは「おかえりー」と気楽に迎えたが、次に出てきた言葉は「なにそれ」だった。


 ノアールが花を持っていたからである。

 ノアールはその花束というには少し貧弱な花をリズに「どうぞ」と手渡してきたのだ。

 リズはわけもわからず花を受け取る。


「なに? これは?」

「蒼月花というものだそうです。綺麗だと思ったので」

「飾るの?」

「いえ、女性は花を贈られると喜ぶと聞きました」


 リズは一瞬固まり、


「あ、ありがと」


 それだけ伝え、詳細はロクに聞けなかった。


 結局、こうして花瓶に挿して飾っているわけなのだが、本当になんのつもりなんだろうかと思う。

 

――――女性は花を贈られると喜ぶと聞きました。


 その言葉をそのまま信じるならば、ノアールはリズを喜ばせたかったということになる。

 あいつ、もしかしてあたしのことが好きなんじゃと思いかけ、

 いやいやいやいや、いや、いや?

 実際のところ、どうなんだろう。

 しばらくノアールと過ごして、ノアールの方は感情表現が豊かになったとは思う。

 リズの方もノアールに対してだいぶ気安さが出てきた。

 

 しかし、今思うと、ノアールは最初から根本の部分ではずっと同じ態度を貫いている気がするのだ。

 この花も、それと同じなのかもしれない。リズが喜びそうだから買ってきた。要するにリズのためだ。


 使い魔としての務めなんだろうか。

 リズは再び花を見る。

 確かに綺麗な花だ。

 見ていると心が落ち着く気がする。


 料理でもしてみようかな、とリズはふと思った。

 リズたちの食生活は、買ってきたものを家に持ち込んで食べるか、外食かの完全二択である。

 リズもノアールも料理はできないし、いつまでこの生活が続くのかもわからなかったので、覚えようとは考えなかったのである。

 けれども、よくよく考えてみると料理くらい覚えてみてもいいのかもしれない。


 リズが料理を覚えれば、外食するよりは食費が浮いて叔父に迷惑をかける量も多少なり減る。

 それに、リズはこういった体験をしてわかったが、人生はなにを経験しても無駄にはならない。

 料理を覚えれば、今は役に立たなかったとしても、将来的に役立つ可能性もある。

 

 そうだ、そうしよう。

 リズは決めた。

 まったくの独学となるのであれば、リズは料理に挑戦してみようと決心しなかったかもしれない。


 だが、今はリズにも料理を教えてくれそうな友達がいるのだ。

 アンヌだ。


 アンヌならば、料理屋の娘なのでもちろんある程度は料理ができるだろう。

 実際にリズが店に行った時にも、アンヌは給仕だけではなく、調理を手伝っているところも見かけたことがあるのだ。


 アンヌなら、頼めば料理を教えてくれるだろう。

 それに、友達を家に招く理由にもなる、一石二鳥というわけだ。

 料理を作ったら、夕食にはノアールと食べることになる。

 ノアールはそれほどの出来でなくとも食事を楽しむことが多いので、リズが作った料理でも喜ぶかもしれない。


 が、それは関係ない。

 リズの目的は、料理をできるようになることである。

 いつか役に立つかもしれない技術を、今の時間を無駄にせず学んでおくのだ。

 その結果、ノアールが喜ぶことになったとしてもそれは関係ないのだ。


 あくまでもリズは料理を覚えることを決心している。

 副次的な利益は勘定に入れていない。


 リズは自分の作った料理を想像してウキウキしている。

 いきなりそんなことはできるはずもないのに、王宮に並ぶフルコースのような料理を食卓に並べ、それを見て驚くノアールを思い浮かべている。


――――よし! さっそく明日アンヌに頼んでみよっと!



***



「料理ですか? 休みの日ならいいですよ」


 アンヌはそう言って快く引き受けてくれた。


 広場で待ち合わせをしてリズの家に移動し、そこでリズは作れるようになりたいメニューをアンヌに伝えた。

 図書館にあった数少ない料理本の中で作り方を指南したものがあったのだ。リズはそこから作りたいもののページを次々アンヌに見せた。 


 リズの提示したメニューは秒で却下された。


「リ、リズ様、いきなりこんなのは無理ですよ!」

「でも、高い目標を掲げた方が力もつくんじゃない?」

「料理はそういうものじゃないですし、調理器具の問題もあります。そ、それに、家庭料理の方がいつも作るものですし、ノアールさんも喜ぶと思いますよ?」


 リズはしばし石像のように固まって考え、


「そうね、何事も基本が大事よね」

「そうです。基本が大事です」

「じゃあ作りやすい家庭料理を教えて」

「それなら任せてください」


 リズは結局初心者でも作れるようなメニューを教えてもらうことにした。

 教えてもらうのは、ローストビーフにホワイトシチュー、茹で野菜のサラダという実に面白みのないメニューになった。


 ノアールには、今日は夕方まで絶対に帰らないように伝えてある。

 ノアールは微かに困惑している様子はあったが、深くは聞かずに「わかりました」とだけ言って出かけていた。


 まず、材料の買い出しから始めた。

 行きがけにアンヌと一緒に外で昼食を摂る。アンヌの家が料理屋なのだからアンヌの家にでも、とリズは思ったが、アンヌ曰く自分の家の料理はさすがに食べ飽きているので他の店で食べたいとのことだった。

 適当な店を探して昼食を終え、材料を買い揃えて家に戻った。


「じゃ、じゃあ始めましょうか」

「先生! よろしくお願いします!」


 リズがふざけると、アンヌは顔を赤くして動かなくなってしまう。


「ご、ごめん、続けて」

「はい、料理をする上で一番大事なのってなんだと思いますか?」


 リズは考えてみる。


「えーと、愛情?」

「いえ、あー、間違ってないんですけど、それも大事なんですけどそういうんじゃなくて」

「心構えとか?」

「なんですか、こ、心構えって」

「ぜったいおいしくしてやるぞー! みたいな?」

「それも間違ってないんですけど、とりあえず精神論から離れてください」


 リズは冗談を言っているわけではない。魔法においてはイメージや自信といった精神的な要因は極めて重要なのだ。

 だから料理も、と思ったのだがどうやら違うらしい。


 リズはさらに考えてみる。精神的なものでないとすれば物質的なものであるはずだ。そこから考えるならば、材料や調理器具が料理で使う物である。けれども、アンヌの話しぶりからすると求めている答えはそうではないような気がした。


「降参、なにが一番大事なの?」

「ちゃんとレシピ通りに作ることです」

「レシピ通り? どういうこと?」

「リ、リズ様が持ってきてくれた本にレシピが書いてあるじゃないですか。ここに書いてある分量通りに作るんです」


 リズはアンヌを見てなにを当たり前なことを、という顔をしている。

 アンヌは、リズの胸中を見事に見抜いた。


「なにを当たり前なことを、と思うかも知れませんが、初心者で一番ありがちなのは自分流のアレンジをしてしまうことなんです。わたしも昔やりました。レシピ、というのは先人がこれが最も美味しいと研究した成果なんですよ。だから、まずはこの通りにちゃんと作れるようになることが大事です。それが完璧になったら、どの部分は手を加えて大丈夫なのか、どの部分は手を加えたらいけないのかを把握してそこからアレンジできるようになるわけです。そういうことがわからずにこうすればより美味しくなるはずだ! なんてやるとたいてい酷いことになります」

「なるほどね、言いたいことはわかったわ」

「それじゃ、や、やっていきましょうか」


 料理は、基本的にはリズがすべてやり、アンヌはやり方を指示するだけという方式で行われた。

 一番手間取ったのは刃物の扱いであった。

 リズは箱入りのお嬢様であり、包丁なんて恐ろしいものは生まれてこの方一度たりとも握ったことはなかった。

 野菜を切るのは実にゆったりとした速度で、慎重に行われた。


 リズが褒められたのは、肉の扱いに関してだ。

 肉、というのは慣れてない人間だと気持ち悪く感じたりすることもあるらしい。

 リズはとくになにも感じなかった。生きた動物をどうにかしろ、と言われたらさすがに躊躇(ちゅうちょ)するが、生肉を扱う分には匂いが多少気になる程度で気持ち悪いとは思わなかった。


 遅々とした歩みではあったが調理の工程は順調に進み、いよいよ味つけ、といったところで問題が発生した。


「レシピ通り作るのが一番大事なのよね?」

「そうです」

「少々、ってなに?」

「少々は、少々です」

「適量っていうのは?」

「適量は、適量です」


 リズは思わず料理本をぶん投げたくなる衝動に駆られ、それを必死に抑えつけた。


「具体的にどれくらい、っていうのが全然わからないんだけど」

「そ、そこらへんは好みの味になるまでで、少々や適量はその目安ですね。徐々に足して味見しながら、といった感じです」

「だいたいこれくらいって適当に入れちゃって大丈夫なの?」

「少しずつ、がいいと思います。最初は少ないかな? くらいから足していく感じで。味が濃すぎる場合は薄くするのが大変ですけど、薄ければ足すだけでいいので」

「わかりやすいわ。やってみる」


 調理は、夕方になるギリギリまでかかった。

 リズの料理は、ノアールが帰ってくるまでに、なんとか形になった。



***



 ノアールが帰ってきて、リズは真っ先にノアールを食卓に連れて行った。


「どう?」


 リズは腰に手を当て、堂々とした態度で食卓の上を見せつける。

 そこにはなんの変哲もないローストビーフと、パンと、クリームシチューと、茹で野菜のサラダがあった。

 それを見たノアールは、すぐに察したようだった。


「まさか、リズ様が作ったのですか?」

「そう、早速食べましょ」


 リズは得意気な様子を隠しもしない。

 ノアールより先に席に着いてナプキンを広げる。

 ノアールも席に着いた。


「どうして料理を作ってみようと?」

「そ、それはなんでも覚えておいた方がいいと思って」

「なるほど」

「それより早く食べてみましょ。ちゃんとできてるかわからないし」


 実際は味見をしているのでそれなりなのはわかっていたが、早くリズの作った料理をノアールに口にしてほしかった。


「それではいただきます」


 リズもノアールに合わせてシチューに手をつけた。

 うん、悪くない。

 贔屓目(ひいきめ)に見なければごくごく普通のシチューだ。だが、何もわからなかった自分がごく普通のシチューを作れたのはかなりの躍進だと思う。アンヌには感謝しなければならない。


 ノアールもリズの料理を口にして頷いている。


「どう? 美味しい?」

「ええ、リズ様の料理を口にできて幸せです」

「大げさよ。でも、うまく作れて良かったわ」


 そう言ってリズは笑った。

 お世辞、ということはないだろう。ノアールは本当に美味しそうに食べている。リズも作った甲斐があったというものだ。

 ノアールの反応は、花のお礼としては十分だったと感じさせた。

 それにリズは満足感を覚えた。


 それにしても、とリズはノアールを見て思う。

 自分は、ノアールとどんな契約を結んでいるのだろうかと改めて思う。

 契約の対価が料理だったりなら、いくらでも作ってあげるのに。


 ノアールに直接どういった契約なのか聞けば素直に教えてくれそうな気はする。

 今までの行動が全部演技だったり、嘘の契約内容を教えてリズを陥れたりは絶対にないと今なら確信できる。


 それでも、リズはなぜかノアールにそれを聞こうとは思わなかったのだ。

 理由はわからない、ただの勘であり、なんの根拠もない。

 それでも、聞いてしまったが最後、今までの関係ではいられない気がしたのだ。


 ふたりは他愛もない話をしながら食事を進めた。

 

 食卓の上には、リズの作った料理と、蒼月花が飾ってある。



***



 花には、花言葉というものがある。

 もちろん、蒼月花にも花言葉は存在する。


 リズは蒼月花の花言葉を知らないし、ノアールだって調べて買ってきたわけではない。

 いくつかある蒼月花の花言葉のひとつに、こんなものがある。


 『変わらぬものはない』

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