15.麗しき常連さん
アンヌはカルセルの料理屋の娘だ。
料理屋の娘であり、その料理屋で働いている以上は看板娘、ということに自動的になるのだろう。
ただ、アンヌ自身としてはそんな気持ちはなかった。
見た目も平凡で、愛嬌に関しては並以下だと自覚している。
その上、アンヌは軽い吃音があって、人と話すのは苦手だった。接客業に向いているとはいい難いと自分でも感じている。
料理屋の給仕などあまり向いてないと思うのだが、仕事がそんなに嫌いというわけではない。
アンヌは自分には自信はないが、料理屋の味には自信がある。
父が店主で、父の料理は最高だと思っている。同じ材料を使ってならば父の右に出る者はそうそういないんじゃないかと思う。
そのおかげか、店は繁盛していた。
昼間の飯時は並びができることもあって、客足はなかなか途切れない。
アンヌは今日も大忙しで、昼の戦争を生き延びて、午後も半ばになってようやく自分も昼食にありつける、といったところだった。
店にいる客は今はもうひとりだけだ。
お腹はぺこぺこで、早く父に頼んで昼食を摂った方がいいはずなのに、アンヌはそうしない。
ひとり残った客をキッチン側からじっと見つめている。
ずいぶんと綺麗な女性だった。
栗色の長く艶のある髪に、薄い茶色の瞳、白いブラウスに藍色のスカート。
歳の頃はたぶんアンヌと同じくらいだと思うのだが、その雰囲気からもしかしたら若く見えるだけでずっと年上かもしれない。
食事が来るのを落ち着いて待っているのも様になっていて、午後の日差しの元で優雅に過ごすその姿は、絵にしたらなかなかいい作品になるのではないかと思う。
この女性は最近になってできた常連さんだ。
お昼過ぎの空いている時間に来るのが常で、来るペースは三日に一回くらいだろうか。
一度だけ、ものすごい美形の従者らしき人と一緒に食事に来ていたので、もしかしたらお貴族様なのかもしれない。
そうであるならば見た目も相まって、世の中にはなんでも持っている人がいるんだなぁ、とアンヌは思う。
ただ、貴族がこんな店に通うのもおかしい気はする。
父の料理の味に惹かれてお忍び、ということなら嬉しいが、貴族がそんなことするかなぁ、とも思うのだ。
アンヌはそんな正体不明の常連さんについて色々な想像をして、いつしか憧れに近い感情を抱いていた。
考えながらアンヌはその女性を見続けてしまった。
数分間も見つめられれば、当然見られている側も気づくものである。
女性がアンヌに顔を向け、笑って小さく手を振った。
アンヌは心臓が飛び跳ねるのを感じた。釣られて身体ごと跳ねてしまいそうなのをなんとか抑える。
そのとき最初に抱いた感情は「えっ、かわいい」であった。
女性が見せた笑顔は思いのほか幼さを感じさせ、今までが深窓の令嬢といった雰囲気だったのに、急に同年代の女の子に見えた。
しかし、次第に状況を理解して紅潮しかけた顔が白くなる。
ずっと見ていたことがバレていたのだ。
しかも常連さんに。
恥ずかしくて今すぐ逃げ出したくなった。
そうだお父さんに言って昼食にしよう。普段ならカウンター席で食べるのだが、今日は奥の倉庫に引っ込んで食べようそうしようと思ったところで、父が声をかけてきた。
「アンヌ、あのお客さんに料理を運んで」
急な死刑宣告だった。
この時間になると、店には基本父ともうひとり、母かアンヌのどちらかがいるという組み合わせである。
アンヌがいるということは母がいないということであり、つまりは料理を運ぶ人間はアンヌ以外は誰もいないということだ。
父に助けを求める視線を投げるが、父はまったく理解してくれずに、早くしろと料理を差し出すだけであった。
女性の方を見る。女性も料理ができたことに気づいたようで、アンヌの方を見ていた。
覚悟を、決める。
ずっと見ていた自分が悪いのだ。仕事はしなければならない。
トレイに料理を載せ、アンヌはどこかおぼつかない足取りでトレイを運んだ。
テーブルに着き「お、お待たせしました」と言って料理を並べた。
アンヌは給仕を終えてすぐさま戻ろうとしたが、女性はにこりと笑って、
「ねぇ、なんでずっとこっちを見てたの?」
「す、すす、すいません!!」
アンヌはひとたまりもなく狼狽したが、女性はそれを困っている様子であった。
「別に謝らなくてもいいってば! 単になんで見てたのか気になっただけよ」
「そ、それは、すごく綺麗な人だなって……」
女性は一瞬言葉に詰まったようであったが、すぐに優雅な笑みを浮かべて、
「そう、ありがと」
とだけ言った。
アンヌはその様を見て感心してしまった。アンヌが綺麗とか美人とか褒められたら、たちまち照れてまともに喋れなくなってしまうと思う。
それなのに、この女性は堂々とお礼を言った。たぶん、言われ慣れているんだろうな、と遠い存在のように感じてしまう。
「ねえ」
女性はなにやら周囲を見回し、他に客がいないのを確認しているようであった。
「よかったら、ちょっとお話しない?」
「え!? え!? お話ですか!?」
「そう、お客さんも落ち着いてるみたいだし、食事中に。だめかな?」
光栄には違いない。憧れていた人と同席して、どんな人かわかるかもしれないのだから。
しかし、アンヌは人見知りが激しくうまく喋れる自信がない。それに、自分の店とは言え一応は店員の立場である。
父の方を見ると、父はにこやかに笑って、
「アンヌ、休憩入っていいぞ、飯もそっちに持っていこう」
逃げ場をなくされてしまった。
アンヌはおそるおそる、椅子を引いて、女性の対面に座った。
「やった! ありがと。あたし、こっちに来てから知り合いがあんまりいなくって」
「こ、こっち、って最近越してきたりしたんですか?」
「うん。ウィランスの方から来たの。そういえば自己紹介しなきゃね」
女性はアンヌの目をしっかり見て、
「あたしはエリザベート・ウィルスタイン。リズでいいよ」
リズでいいよ、と言われても。
やはり貴族であった。
西地区にそういったお屋敷があるのはアンヌも知っていた。おそらくは親族なのだろう。
自分が同席して本当に良かったのだろうかとアンヌは不安になってしまう。
「わ、わたしはアンヌです」
リズがそれを聞いて満足げに笑う。
なんだか不思議な人だな、とアンヌは思った。
見た目はまるっきり貴族の令嬢なのに、どこか雰囲気が柔らかいというか、快活な町娘のようにも感じるのだ。
「ねえ、アンヌっていくつなの?」
「え、えと、ついこの間十七になったばっかりです」
「わ! あたしと一緒だ!」
「え? リズ様も十七歳なんですか?」
「うん。あたしもついこの間十七になったばっかり。いつもあたしと同じくらいの子が働いてるな、って思ってたけど、ホントに同い年だったんだ」
「わ、わたしもびっくりです。リズ様はわたしよりずっと年上かと思ってました」
「えー、なんで?」
「だ、だって、わたしよりずっと大人びてますし、雰囲気も落ち着いてますし、そ、それにすこし前にすごくかっこいい従者さん? と一緒に来てましたし」
父が料理を運んできてくれた。
テーブルにふたり分の食事が並ぶ。
「あの人、やっぱり従者さんなんですか? いつもリズ様はひとりでうちに来てますけど」
「うーん。たぶんそう?」
リズはなにやら考えているような顔で、曖昧な返事をする。
アンヌはこれ以上深く聞かない方が良さそうだと思った。
なにか事情があるのだろう。例えば、かっこいいから親族間で取り合いになっている従者さんとか。それとももしかして許されない特別な関係だったりとか?
すごい想像をしてしまったことに自分でも驚いて、アンヌは必死に気持ちを抑える。
リズが食事に手をつけていたので、アンヌも食べることにした。
ふたりは、色々なことを話した。
普段の生活のこと、好きな物語のこと、家族のこと。
意外なことに、リズは聞き手に回ることが多かった。貴族なはずなのに、アンヌに対して同年代の友達のように接してくれた。
こんなに話しやすい人は、家族以外では初めてかもしれないと思った。
アンヌの話を真剣に聞いてくれて、卑下するところが一切ないからだろう。知らず知らずのうちに、アンヌは色々なことを話してしまった。
食事はあっという間に終わった。
食事を終え、アンヌはリズを店の外まで送った。
アンヌはどう挨拶すべきか迷っていた。単にさよならでは冷たい感じがするかもしれないし、また来てくださいだと商売っ気を感じさせてしまうかもしれない。
すると、リズがアンヌに振り返った。
リズの様子はどこかおかしかった。今までのような堂々とした態度が薄れ、どこか弱気さを感じさせる。
リズが口を開く。
「ねぇ、アンヌ、よかったら友達になってくれない? あたし、こっちに来て友達いなくて」
聞き間違いかと思った。
アンヌは耳に入った言葉をもう一度反芻し、間違いがないことを確認してから答えた。
「もちろんです。わ、わたしも友達すくないんで、嬉しいです」
リズが笑った。満面の笑みは真昼の太陽のような明るさを帯びていた。
「それじゃまた来るね、今日は楽しかったよ」
リズはそう言って手を振って踵を返した。
アンヌはそんなリズを、見えなくなるまで見送っていた。
***
夜。
アンヌはベッドでなかなか寝付けないでいる。
あれからアンヌは、どこか心ここにあらずな感じで一日を過ごしていた。
夢を見ていたのではないだろうか、と何度も何度も思った。
今もほっぺたを引っ張って確認してみる。
ふつうにいたい。
あんな綺麗な人が、自分なんかに友達になってくれと頼むなんて、夢でだって許されない気がした。
そんな出来事が現実で起きたとはとても思えなかった。
どこからか夢を見ていて、今もその夢の中にいるのではないかという疑いがいつまでも晴れない。
まあ夢の中でもいいのかもしれない。
夢であったとしてもアンヌは嬉しかったし楽しかった。
良い夢を見るのは得なことだと思う。
そんなことを考えながら、アンヌは夢の世界へ旅立ったのだった。




