14.追跡大作戦
夢を、見ている。
夢の中ではあたしは魔法使いだった。
別の異界へと逃れた魔法使い。
闇しかない世界に逃げ出した魔法使いだ。
その世界では闇に意思があった。
闇は、あたしの思念を読み取り、意思を伝える力があった。
初めは困惑した。
あまりにも想定外の事態だったからだ。
異界が生きるに適さず、行った途端即死する可能性は考えても、異界自体が意思を持っているなど想像したこともなかった。
異界は突如現れたあたしに興味を持っていた。
『あなたはなんですか?』
そういった意思が伝わって来たのだ。
異界から感じる意思の色は好奇心だった。
敵意や悪意は感じられず、むしろ好意すら感じられた。
だからあたしはこの闇と話してみようと決めた。
暖かい闇に包まれた世界に浮きながら、あたしは闇と語らった。
初めのうちは闇が意思を伝えるのはつたなかったが、闇はすぐにそのコツをつかんだようだった。
闇は好奇心旺盛で、なんでも知りたがった。
空間を隔てて、別の世界があること。
色々な生き物が存在すること。
あたしみたいな人間が集まって協力して生活していること。
闇は話を聞いて理解することもあったし、あまり理解できていない時もあった。
話をしているうちに、闇は意思の伝え方を完全にものにしたようだった。
どのくらいの時間が経ったのかわからない。
魔法で肉体の維持をしていたので具体的に判断できる指標がなにもなかったが、一週間程度しか経っていないように思えた。
その頃にはあたしにとって、闇は友人としか思えない存在になっていた。
禁忌の研究に手を出して、世界を追われることになった魔法使い。
その禁忌の力で、異界へと逃げた魔法使い。
異界では人間はいくらも生きていられないのはわかっていた。
元の世界でだって、いくらも生きていられないのはわかっていた。
だから、あたしはこの世界に残ろうと決めた。
時間いっぱい、この寂しい世界に存在する闇の相手をしようと決めた。
『つまり、色々な存在がいると、そのそれぞれに「名前」というものがつけられるのですね?』
「そう、じゃないと話をする上でなにを示しているのかわからなくなっちゃうからね」
あたしは、いいことを思いついた。
「そうだ、あんたに名前をつけてあげようか?」
『わたしに名前をですか?』
闇から驚きの気配を感じた。
自分を包んでいる闇そのものが相手なので、感情が直接伝わってくるのだ。
あたしは考え、考え、考えて、ぴったりな名前を思いついた。
「そうね、ノアールなんてどうかしら?」
***
言っちゃあなんだが暇である。
なにせ、リズは経過を待つしかないのだ。
カルセルの家に移って、ノアールを案内したあの日から一週間以上が経過していたが、叔父から特に進展があった話は聞いていない。
そうなると、やることがないわけである。
いや、勘違いしてはいけない。
リズはなにも、やる気なしのぐうたら生活を満喫しているわけではない。それは違う。
家事だって一部はやっているし、本当に必要だと思われることもしっかりとやっている。
魔法の勉強だ。
それも、実戦的な。
今、リズにとって一番重要なのは、己の身を守ることである。
いつまた継母が何を仕掛けてくるかわからない。
そうなった時に、ただ怯えているだけでは話にならない。
ノアールに守ってもらうにしても、護身の心得はあって損をすることはない。
そういうわけで、日々勉強に訓練である。
図書館は叔父が話を通してくれて、リズもノアールも利用することができるようになった。
リズは、そこで実戦的な魔法訓練や戦闘に関しての本まで色々と借りて、自分がなにをすべきか考えたのだ。
とはいえ、そういった書物はあまり参考になるものでもなかったのだが。
名を残した魔法使いの実戦論というのは数多く存在する。
リズも、その中からいくつか借りて読んでみたのだ。
大雑把に言えば、どれも精神論であった。
どの世界でも大事なのは気合と努力と根性であるらしい。
他にもセヴランという不敗を誇った魔法使いの伝記も読んだ。内容は非常に面白かったのだが、それはリズの求めるようなものとは違った。
セヴランが唱えた必勝法は自分より弱い相手と戦うことであった。
なにを当たり前なことを、と思うかもしれないが、勝つための最終的な結論を言語化した場合、このようになるとセヴランは語っている。
例えば修行を積み、勉強を重ねて力のある魔法使いになる。これはとても立派なことだ。努力をして強くなっているのだから。
ただ、強くなる、というのはどういうことなのか。自分が強くなるということは、相対的に自分より弱い相手を増やすということだ。
偉大な力を持った魔法使いが戦いに勝つのは、こうした理屈で自分より弱い相手と戦うからなのだ。
他にも自分に有利な状況に持ち込む話など、読み物としてかなり楽しめるものであり、リズはあっという間に読んでしまった。
が、リズの役に立つかはまた別だった。
この本に書いてあるのは戦いに勝つための考え方だった。それも割りと手段を選ばず。
継母や義姉に勝ちたいと言えば勝ちたい。だが、実家に殴り込んでガチンコ勝負とかそういうわけではないのだ。
リズに今必要なのは自分の身を守ることだ。
結局、リズが学ぶべきなのは魔法の基本であった。
魔力の扱いを磨くのは絶対に無駄にならない。
リズが襲われたり、それに近い状況になった場合、重要だと思ったのは以下の二点だ。
ノアールがいる状況ならノアールの邪魔にならないようにする。
ノアールがいない場合は逃げる。
どちらにせよ逃げ足が早くて損はない。
魔力の基礎修行、基礎的な身体強化の魔法。この訓練に精を出すことこそリズの今やるべきことだった。
とはいえ。
リズは十七歳の少女であり、修行僧ではない。
毎日毎日起きている間はずっと魔法の訓練に明け暮れるのはちょっと難しい。
たまには息抜きも必要だった。
今は朝で、ノアールを見送った直後である。
ノアールは、図書館を利用できるようになってから、日中は図書館で調べ物をしているのだ。
少なくとも、リズはそう聞いている。
本当だろうか?
もしかしたら、リズのいないところでノアールはなにか悪さをしているのではないか。
図書館に行くふりをして食べ歩きをして遊んでいたり、婦女子をナンパしていたり。
到底想像できないことだが、要するにリズは暇であった。
何かいちゃもんをつけて理由を探したかったのだ。
主人としては、使い魔の素行は見張らなければならない。
だから、リズはノアールを尾行することに決めた。
ノアールが出てから十数えて、リズは椅子から立ち上がった。
誰も見てないのに、まだ家の中なのに、リズは忍び足で歩き、音が立たないように家の入り口の扉を開けた。
***
ノアールの姿はすぐに見つけられた。
家から図書館への道をきびきびとした歩調で歩いている。
リズはその後方、二十歩ほどの距離を隔てて、ノアールを尾行している。
その首からは、紐にくくられた袋が下がっている。
隠れ身の護符というやつだ。
これを身に着けていれば多少なり見つかりにくくなる。
姿を見えなくするわけではなく、意識されにくくなるのだ。
元々は叔父から預かった護身用の道具であるが、リズはいきなり悪用していた。
ノアールをつけて道をゆく。
護符は、たしかに効果があるようだった。
普段感じる道行く人からの視線を今日は感じなかった。
端から見ればリズの挙動は明らかに不審者のそれなのだが、誰もそのことを気にとめない。
それとは逆に、ノアールはずいぶんと人目を引くようであった。
男も、女も、ノアールとすれ違うと振り返る者が多くいた。
ノアールが道を右に折れた。
リズはそれを追い、曲がろうと顔を出したところで、慌てて身を引っ込めた。
ノアールが立ち止まっていたのである。
リズに気づいたのではなく、話しかけられていたのだ。
女の子に。
リズは曲がり角からそっと顔だけ出して様子をうかがう。
女の子はリズと同じくらいの年齢に見えた。
いかにも町娘という感じで快活そうだった。
ノアールになにか話しかけている。
この距離から正確には聞き取れなかったが、どうやらノアールを食事に誘っているようであった。
女から誘うとはなんと破廉恥な、とリズは憤慨する。
それに、ノアールに食事はマズイ。結構な可能性で誘いに乗ってしまう気がした。
しかし、ノアールの反応はリズの予想に反したものだった。
「急いでいますので」
それだけ言って、まともに相手をせずに去ってしまった。
冷たいヤツだ、とリズは思った。断り方にせよもうちょっとなにかあるだろうと思う。
だが、そう考えているリズの表情は、とても不満があるとは思わせぬほど満足げであった。
それから、ノアールは図書館までの道のりに三回も急ぐことになった。
ノアールをひとりで歩かせるのは良くないのでは、とリズは思った。
図書館に着く間際だった。
ノアールはもう小さな広場の水場の近くを歩いていて、リズももうすぐ広場に入るというところだった。
水場の縁に、小さな女の子が座っていたのだ。
小さな女の子は、水場の縁に座って泣いていた。リズにも、それが見えた。
道行く人は女の子に気づいていないのか、興味を持っていないのか、誰も相手をしていなかった。
リズは話しかけようと決めた。その一瞬はノアールのことを忘れていた。
そう思っていると、女の子に誰かが近づいていた。
ノアールだった。
リズは意外さに驚き固まって、すぐに気づかれぬように手近な店の置き看板の裏に隠れて様子をうかがう。
「どうかしましたか?」
ノアールの声が聞こえた。
女の子はノアールを見上げ、泣き止んだ。
女の子の口調は半分泣きながらでぐしゃぐしゃとしていたが、どうやら母親とはぐれてしまったらしい。
「わかりました、では、わたしが一緒に探しましょう」
ノアールはそう言って女の子を抱きかかえて、女の子が指差す方へと行ってしまった。
リズはまだ看板の裏にいる。
ノアールの姿はもう見えないというのに、リズは動かずそこにいた。
あいつ、あんなことするんだ。
意外な一面に、リズは驚いていた。
小さな女の子相手にも、もちろん急ぐと思っていたのだ。
リズはなんだか、急に自分がやっていたことが馬鹿らしくなってしまった。
――――あたしもちゃんとやるべきことをやろ。
そう思いながらリズはノアールを追わず、家路へと戻った。




