13.まるでデートのように
図書館までの道すがらも、ノアールは様々なものに興味を示していた。
リズの見立てによると、ノアールが興味を示すのは、自分かリズが利用する可能性のあるものが中心であるようだった。
料理屋だったり、雑貨屋だったり、市内を巡る馬車のシステムや市内の警備に関してなどだ。
広場を説明したのは間違いではなかったが、ノアールが知りたかったのはどうも、もっと身近なものだった。
図書館は広場から西にすこし行ったところにある小広場に面している。
円形の小広場の中心には小さな水場があり、水場を囲む石の縁には午後の休憩時間を潰していると思しき人々が幾人も座っていた。
ここらへんは富裕層向けの店が多い。
宝石店や家具店など都市の中心の広場にある店とはあきらかに違った様相を呈する。
ここで目立つ建物はやはり図書館だ。
それに対面には劇場もある。この劇場もカルセルの中では目立った施設だろう。
リズもカルセルに滞在している時に何度か来たことがある。
リズとノアールが図書館の前に立った。
図書館は石造りの立派な建物で、入り口の前に石碑があり、そこには文字でカルセル市図書館と書いてある。
文字でその建物が何であるか示してある、というのは意外と珍しい。
例えば職人ギルドはハンマーを彫った木の看板がかかっているだけだったように、普通この建物が何であるかはたいてい絵図で示される。
図書館が例外なのは、文字が読めない人間にはそもそも用がない場所だからなのだろう。
「ここが図書館よ」
「図書館、これが」
「そう、ここは本が借りられる場所」
「借りられる? 買うのではないのですか?」
「借りられるのよ。もちろん決まった期限以内に返さなきゃならないけど」
ノアールが図書館を眺めながら、
「それは、わたしでも利用できるのですか」
「あ……」
リズはすっかり忘れていた。
図書館が利用できるのは、市民権があるものに限られるのだ。
「でも、叔父様に言えばなんとかなると思うな」
「なるほど、では、よろしければリズ様から叔父様にお願いしていただけませんか?」
「そんなに本が読みたいの?」
「ええ、色々と調べたいものでして」
「そう。わかった、なら頼んでみる。たぶん大丈夫だと思うわ」
「ありがとうございます」
そう言って、ノアールがまた笑ったと思う。
口元がすこし持ち上がるだけの、どこか戸惑ったような笑みだが、それでもノアールが笑っている。
リズがノアールの細かい変化をわかるようになっているのか、それとも徐々にノアールの表情が豊かになっているのか。
両方かもしれない、とリズは思う。
リズはポシェットから時計を取り出して時刻を確認する。
午後の一時半。日没まではまだすこし時間があった。
「まだ時間があるけどどうする? なにか他に案内してほしいところとかある?」
「そうですね、主要な場所は教えてもらいましたし、図書館の存在もわかったので概ね必要なことはわかったと思いますが」
ノアールが、図書館の対面にある建物を示した。
建物の外観は木造で、円形に造られた特徴的な建物であった。
「ところで、あの建物はなんです?」
「あれは劇場。劇だったり、演奏だったりを披露する場所かな」
「劇というと、物語を人が演じるものですね?」
「知ってるんだ。そう、それで合ってるわ」
ノアールは、じっと劇場を見ている。
「もしかして、興味あるの?」
「ええ」
意外だった。
ノアールはてっきり、毒か薬にしか興味がないタイプだと思っていたのだ。
自分の役に立つものか、自分の敵にしか意識を向けないタイプ。
見た目の雰囲気からか、娯楽になどまったく興味がないとリズは勝手に思いこんでいた。
しかし、よくよく考えてみると食事からも、そうではないのは明白だったかもしれない。
宿に泊まった時は不審に思われぬように食べてもらったが、ノアールの言う通りならば生命を維持するための食事は必要ないわけだ。
それなのにノアールはリズと同じく食事を摂る。
リズはいちいち突っ込まなかったが、必要ないと言わないあたり、娯楽として食事を楽しんでいたのだろう。
時間はまだある。
リズは中央の噴水をまわって劇場前に立った。
劇場前には看板が置いてあり、看板には粘土板がくくりつけられて、今日の上演予定が書いてあった。
次の上映は二時。
今から観るにはちょうどいいと言えばちょうどいい時間だ。
「二時から次がやるみたい、ちょっと観てみる?」
***
この時間からでも椅子席が取れた。
劇場には屋根がなく、今の時間は空からの日差しがよく入っていた。
劇場は半円形になっていて、中央に半円状の舞台があり、その周囲を囲む形で観客席がある。
王都にある闘技場を真っ二つにした縮小版、といった趣だ。
リズたちはその二階の観客席に座っていた。
客の入り具合はまばらだった。それもそのはずで、平日の日中に来る人間など限られているからだ。
ノアールが劇に興味あるようなので入ってみたが、リズは劇に関してはあまり期待していなかった。
劇が嫌い、というわけではない。リズは演劇は大好きであり、観劇は趣味のひとつと言ってもいいくらいだ。
ただ、リズは物語にはなかなかにうるさいのだ。
平日の昼間というのは、客の入りが期待できる時間ではない。
そうなると劇場の方も人の入りが悪い。そういう時間は安く劇団に貸すし、入場料も安くするのだ。
こういう時間は、有名な劇団はまず公演をしない。公演をするのは、小規模だったり新規の劇団だけだ。
この場合、劇の面白さはあまり期待できない。普通に観られれば僥倖で、ハズレを引くのも十分に覚悟した方が、劇場を出るときにしょんぼりしないですむ。
入っている客層もそれを感じさせる。
演劇を真剣に観ようというよりも、単に時間つぶしに来ていそうな人の割合がかなり多い。
隣に座っているノアールを見ると、真剣な眼差しでまだなにも始まっていない舞台上を見ている。
たぶん、この劇場で誰よりも真剣に劇を観ようと思っているのはノアールなんじゃないだろうか。
しばらくすると、舞台の挨拶が始まった。
なんでも今日上演する演劇は、この劇団のオリジナルらしい。
リズはそれを聞いてげんなりする。
有名なものがいい、というわけではないが、有名な物語というのは有名になっているだけあって、それなりの質が保証されているものだ。
今回は、ノアールの初めての観劇である。
リズとしてはできれば誰もが知っている手垢にまみれた劇のほうが良いと願っていた。どうせなら『彩の国』とか『春の夜の夢』みたいな喜劇であってほしかった。
劇が始まり、主役の女性が狼に襲われている。
どこかで見た場面に、リズは苦笑した。
そこに、突然狼男が現れ、女性を助け出すのだ。
リズは、ノアールを意識しながら劇を観ていた。
ノアールは真剣に劇を観ているが、そこにはただ整った顔があるのみで、その表情からは何もうかがうことができない。
劇の出来は、それほど悪くなかった。
役者も悪くないし、話の内容もそれほど悪くない。
話の内容はこうだ。
狼に襲われている娘を助けた狼男は、助けた女性に恋をしてしまうのだ。
後日、狼男は人間の姿で娘に会いにいく。
娘は最初こそ不審がるが、男の人柄に次第に惹かれていった。
だが、男には妙なところがある。
必ず夜になる前には帰ってしまうのだ。
不思議に思った娘は、帰る男を尾行することにした。
すると、男はいつぞや自分を助けてくれた狼男だったではないか。
娘は、狼男を怖がったりはしなかった。
正体が知られたらおしまいだと思っていた狼男は、娘に受け入れられたことに感動する。
そうしてふたりは結ばれるのだ。
ここまでは、悪くなかったのだ。
リズはこういう話は大好物である。
いつの間にかノアールのことも忘れて見入ってしまっていた。
しかし、しかしだ。
この話にはまだ続きがあった。
なんと、娘が病気になってしまうのだ。
医者の手にかかってもなんの病気かはわからず、衰弱だけが進んでいく。
狼男はあの手この手を尽くすが、いっこうによくならない。
狼男は、娘に必ず治す手段を探すと出ていくのだ。
その探す手段とは、魔女に相談することであった。
魔女は症状を聞いて病気を特定し、治す薬を教えてくれた。
ただし、その病気を治す薬には問題があった。
その材料には『月に魅入られし者の肝』が必要であった。
狼男は迷い、迷い、迷い――――
娘の元に、薬は届けられた。
娘はその薬を飲んで、奇跡的な回復を遂げた。
しかし、男はいつまで経っても帰ってこない。
真実を知るのは魔女と観客だけ。
娘はいつまでもいつまでも、男を待ち続けるのだった。
***
しょんぼりである。
リズは劇場からの帰り道、劇の内容を思い出しながらふてくされている。
だって、あんまりではないか。
理屈はわかる。
今、巷では悲劇が流行っているのだ。
だからそれを取り入れて作った話なのだろう。
劇団とて商売である。小さな劇団となると兼業が当たり前で、趣味どころか生活の負担になってまで劇をやっている役者は数多くいる。
流行り物を取り入れて収入を得ようという試みは否定しきれない。
「リズ様、どうかしましたか?」
振り返るノアールに呼ばれて、リズはようやく気づいた。
いつのまにか、ノアールよりも足並みが遅れていた。
それどころか、考えに夢中で周りもあまり見えていなかった。
時刻はもう夕方だった。
黄昏が街を紅く照らし、道行く人は誰もが家路を急いでいる。
リズたちと同じく住宅街に向かう人が多く、夕日に照らされながら歩く人の流れはどこか不思議な寂しさを感じさせた。
「いえ、なんでもないわ」
リズは足取りを早め、ノアールを抜いて先導するように歩く。
もうここまでくれば一本道なので先を行く必要もないのだが、主人としては先を行かねばならないという意思から、リズは前に歩み出た。
歩きながら、リズはまた悶々と考える。
リズは悲劇は嫌いなのだ。
だって物語が悲しい結末を迎えたら、観ていた方だって悲しくなってしまう。
どうして悲劇が流行るのかまったくわからない。
リズが観たいのは憧れるような恋愛の物語や喜劇なのだ。
そして、物語の幕は必ずめでたしめでたしで締められるべきなのだ。
これは絶対に譲れない。
だって、そうすれば観たあとも幸せな気持ちになれるし、そのあとも色々と考えなくていい。
それに比べて悲劇だと悲しい気持ちになるし、物語が終わったあとも色々考えてしまう。
とってつけたような病気は納得がいかないし、狼男の決断もリズからしたら納得がいかない。
悲劇にしなければという意思の元に作った感じが見え見えで、物語としての完成度が落ちてしまっていると思う。
しかし、こういう物語が好きな人がいるのも事実なのだろう。
劇が終わったあと、少数ではあったが、泣いている人がいたのだ。
それに良かったと言っている人がいるのも帰り際に聞こえてきた。
「リズ様?」
また遅れていた。
いつの間にかノアールよりうしろを歩いている。
ノアールも歩調を緩めてくれればいいのに、と一瞬思ったがさすがにそれはわがままかと思い直した。
そういえば、ノアールはどうだったのだろう。
初めて観るにしてはあまりいいものではなかった気がするが、それは劇を見慣れたリズの意見だ。
劇、というものに対してまっさらなノアールはどう感じたのかリズは気になった。
だから、聞いてみようと思ったのだ。
「ねえ、ノアールは楽しかった?」
ノアールは歩きながらリズの方を振り返り、今までで一番優しい感じのする微笑みを浮かべて言った。
「そうですね。今日はリズ様に一日案内してもらって、楽しかったですよ」
リズは劇が楽しかったかを、きいたつもりだったのだ。
その返答は思いもよらぬものであり、完全な不意打ちだった。
胸を中心に身体を締め付けられるような気配に、顔が驚くほど熱くなるのがわかった。
絶対に、赤くなっている。
今ノアールに顔を見られたら恥ずかしくて死ぬ気がした。
リズは下をうつむきながら、おかしな歩調でノアールを抜きにかかる。
なぜなら、前に出てしまえばノアールに顔を見られることはないから。
市内の道といえど、歩くには注意が必要だ。
主要な通りは石畳で舗装されて歩きやすくなっているとはいえ、石畳には凸凹がそれなりにある。
例えば、下をうつむきながらまったく別のことを考えて早歩きなんかしているととても危ない。
こけた。
リズは石畳の膨れた部分に足をひっかけ、体勢を立て直すことができずに倒れかけた。
「リズ様!」
ノアールが即座に動いて、倒れそうなリズを抱きかかえた。
密着して体温が伝わってくる。リズは自分の心臓の鼓動を感じた。
これ以上こうしていたら心臓が破裂してしまうのではないかと思い、ノアールの手から逃れようとした。
が、ノアールはリズを絶対に怪我させない構えなのか、わずかに身体をよじった程度ではその腕からは逃れられなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だから離して」
ノアールが手の力を緩め、リズはノアールの身体によりかかり、体重を支えながら体勢を直した。
「ありがと」
「ちゃんと前を見てください。危ないですよ」
それからリズはちゃんと前を見た。
ノアールの先に出て、まっすぐ行く先を見つめている。
リズは家に帰るまで一度も振り返らず、絶対に前を譲らず、ノアールにその真っ赤な顔を見せることはなかった。




