11.口元にクリームを
服をどうするか散々悩んだ挙げ句、結局、馬車に乗っていた時の服を着ていくことに決めた。
汚れた服は叔父の屋敷で洗濯してくれるというので預けていて、昨日の昼過ぎにわざわざじいやが来て届けてくれたのだ。
リズは姿見の前に立って自分の姿を確認する。
――――よし!
なかなかキマっていると思う。
白いブラウスに濃い藍色のスカートがリズの長い栗色の毛とよく合っている。
姿見の中のリズは実に育ちが良さそうに見えた。
気になるのは一点のみ、目つきだ。
リズは目尻がすこし上がっていて、どうしても気の強そうな顔に見えてしまうのだ。
両の目尻に指を当てて下にさげてみる。変な顔。すぐに指を離してもとに戻す。
リズは姿見を離れ、ポシェットを肩にかける。
家にあったポシェットでなんの色気もない茶色い革製だが、そう悪くはないと思う。サイズが小さくてかわいい。
他に忘れ物がないか部屋を確認し、問題ないと納得してリズは部屋を出た。
廊下に出て階段を降りる。
案内をするコースは昨日のうちに考えてある。
案内、といってもリズもカルセルの隅から隅まで知っているというわけではない。
基本的には広場とその周辺を除けば、細かく案内はできないだろう。
だが、主要な施設は広場を中心として固まっているので、その周辺を案内できれば十分だろうとは思う。
そもそも、カルセル全体を案内、なんてことになったら一日ではとても無理だ。
階下に降りると、ノアールがすでに待っていた。
リズは緊張を飲み込むように小さく深呼吸をした。
ノアールはいつも通りの燕尾服でリズを待ち構えている。
その服で出るのはどうなのだろう、とリズは一瞬思ったが、すぐにまあいいか、と思い直した。
本人にこだわりがあるようだし、似合っているのは間違いない。
リズと一緒に歩けばまさしく「お嬢様とその執事」に見えるはずだし、それはそれで都合が良さそうだった。
「準備はできてる?」
「ええ、いつでも出られます」
「じゃあ行きましょう」
声が上ずったりしないことにリズは安心した。
ノアールが入り口の扉を開いて一歩下がり、リズが先に歩み出る。
外は天気が良く、気持ちのいい日差しがさしている。
そういえば、昨日の時点では今日が雨になる可能性は微塵も考えなかったな、と今になって思う。
晴れていてくれてよかった。
リズが先導してノアールがそれに続く。
家の前から街の中心へと続く道を、ふたりはのんびりとしたペースで歩いた。
リズは歩きながらノアールに質問してみる。
「まずは広場に行くわ。というかあたしがちゃんと案内できるのは広場の周辺だけなんだけど、それで大丈夫?」
「ええ、この周辺と主要な場所がわかれば十分です」
「それじゃ、まずはご飯から済ませましょう」
「食事、ですか?」
「そう、いいお店を知ってるの。昼にはすこし早いけど、今なら入れないってことはないと思うし」
リズたちは家から南に進み、都市の中心を目指す。
リズは、道すがら自分の知っていることを話した。
「このあたりは住宅街で、普通の人はだいたいここに住んでいるの。叔父様が住んでいるのは西側で、あっちには富裕層が多い。南は昨日も通ったと思うけど、宿が多かったり、商人が店を構えてたりするわ」
「たしかに入り口付近には商売をしている人が多いように見えましたね」
「それで、東側が職人が多くいる場所。でも、そっち側は治安が悪いって話で、あたしは行ったことがないからどうなってるのかはわからないわ」
人通りはほどほど、といったところだった。この時間だとリズたちと同じように都市の中心を目指す人が多く、住宅街へと戻る人間とはほとんどすれ違わなかった。
広場に近づくにつれて人の気配が増してくる。
大きな袋を担いだ職人風の男、手を繋いでふたりで歩いている母娘、道の脇に座って皿を置いている乞食に、その皿に小銭を入れるお婆さん。
広場のすこし手前にその店はあった。
店の名前は「デルシーユ」という。
数年前に叔父に連れて行ってもらった店で、とても美味しい店だったと記憶している。
リズには比べられるほど料理屋に入った経験はないが、普段食べている食事と比較しても、相当に美味しい店だという自信があった。
店構えは凝ったものではなく素朴で、なにかの片手間に料理屋をやっているのかと疑いそうな店構えだ。
リズは叔父にこの店に連れてこられた時には、店の見た目で本当に美味しいのだろうかと疑ってしまった。
店の入り口を見ても並んでいる様子はなく、すぐに入れそうに見えた。
「ここよ、入りましょう」
店に入ると、すぐにウェイターに案内された。
店の中程の窓際の席で、外の様子を見ながら食事できるようだった。
外は広場近くの通りなのでそう面白いものもないが、閉鎖感を感じないのは良かった。
リズの椅子を引こうとするノアールを制し、リズは自分で椅子を引いて奥側の席に座り、ノアールが手前側の席に座った。
「何が食べたいとかある?」
「いえ、わからないのでリズ様にお任せします」
ウエイターが水を運んできたのでリズは適当に注文した。
うさぎのシチューに子牛のパテ、パンにサラダに、ソーセージ。
ソーセージはノアールが前回気に入っていたようなので頼んでみたのだ。
ウエイターが下がって、あとは注文を待つだけだった。
困った。
今、リズはノアールとテーブルを挟んで対面している。
そして、今は注文した品を待つだけであり、他になにもすることがない。
そうなるとノアールと会話をして待つのが自然なのであるが、リズは変に緊張してしまい、なにを話せばいいかわからなくなってしまった。
なにかここで説明すべきことはないか、と考えるのだが、店の中で説明できることと言えば、すでに道中で色々と話してしまってもう種切れであった。
「リズ様はこの店に来たことはあるのですか?」
意外なことに、ノアールの方から話題を振ってきた。
緊張で頭が空っぽであったリズは、すぐさまその話題に飛びついた。
「ここは叔父様と来たことがあるの。お祭りのときだったからすごく混んでたんだけど叔父様は予約を取ってくれてて、その時とっても美味しかったからまた来よう、って思ったの。ノアールもたぶん気にいると思うよ」
いつもより早口であり、リズを良く知っている人間ならすぐにその緊張に気づいたことだろう。
ノアールはそれがわかっているのかいないのか、気にせぬ風に会話を続けた。
「カルセルにはどのくらいの頻度で来ていたのですか?」
「一、二年に一度かな。だいたいお祭りの季節。お祭りは春と秋にあって、春のお祭りはすこしさきだけど、もしかしたらそれまでここにいて、お祭りにも行けるかもね」
「お祭り、ですか」
「ノアールはお祭りってわかる?」
「一応は。何かを祝ったりするものですよね?」
「だいたい合ってるかな。祝ったり、祈ったりね。つぎのお祭りはどっちかと言うと祈る方のお祭りかな」
そうしてしばらく会話を続けていると料理が運ばれてきた。
注文した料理が机に並べられる。
宿屋の時と同じように、ノアールはリズの真似をして食べ始めた。
スープひと口でも、ノアールの目がいつもより大きく開いたのがわかった。
「どう? 美味しいでしょ?」
「はい、とても」
食事が始まるなり、ノアールの口数はいきなり減った。
コースで運ばれる料理ならともかく、こうした食事の席で話してばかりいるのはよろしくないので正しいといえば正しい。
が、口数が減ったのは礼儀からではないのが目に見えてるので、リズはなんとも言えない気分だった。
リズは食べきる前にウエイターを呼んでデザートを注文した。
これこそがリズがこの店を選んだ一番の理由だ。
叔父から聞いた話で、たしか店長の奥さんの趣味だったかで作っているケーキが絶品なのだ。数が限られていて、早い時間にこないとなくなってしまうと言っていた。
「なにを注文したのですか?」
「それは来てからのお楽しみ」
ケーキはすぐに運ばれてきた。
クリームに包まれたスポンジに、木苺がいくつかのっている。
「さあ、召し上がれ」
ノアールの反応が見たくて、リズは自分のケーキには手をつけずに、ノアールをじっと見つめた。
ノアールはフォークでケーキの先を切り、それを突き刺して口に運んだ。
ノアールの表情を見て、リズは勝ちを確信した。
もぐもぐごっくん。ケーキを飲み込んでから、ノアールが神妙な顔をして言った。
「リズ様、これは……」
「これは?」
「最高ですね、こんなに美味しいものがあるとは」
「でしょでしょ?」
作ったのは店側であるというのに、リズは自分の手柄のような得意顔をした。
リズもケーキを口に運ぶ。
うん、美味しい。前に来た時と変わらない味だ。
リズが半分も食べないうちに、ノアールはケーキを食べきってしまった。
こんなに喜ぶのならば、もうひとつくらい注文してやってもいいのではないか、そう思ってノアールの顔を見ると、
「んっ」
ケーキが変なところに入ったわけではない。笑いを飲み込んだのだ。
ノアールの口元に、クリームがべったりとついているのだ。
だめだった。
端正な顔に、子供のようにクリームをつけている様は、不思議な滑稽さがあった。
一度は笑うのを我慢したものの、結局笑いをせき止めていた堤防はあっけなく突き崩され、一度決壊してしまってからはまったく笑いを堪えられなかった。
「どうしましたか?」
ノアールが不思議そうな顔をしている。口元にクリームをべったりとつけて。
「ちょっと、やめてよもう」
リズは笑いながらポシェットからハンカチを出してノアールの口元を拭いてやった。
ノアールは、リズがなにをしているかわけがわからぬようであったが、ハンカチについたクリームを見て納得したようだった。
クリームを拭って、ハンカチをしまっても、ノアールの顔を見るたびに偶発的な笑いが吹き出して、なかなかケーキを食べ終わることができなかった。
ケーキをようやく食べ終わり、支払いをすませ、リズはノアールを引き連れて店を出た。
その頃にはもう、リズは緊張していたことすら忘れていた。




