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2.竜の卵

 どんどん夜に近づいていくこの島で、何をすべきか、何をしてから死ぬべきか、そんな考えがぐるぐると頭の中で反芻する中、不意に腹からぐぅ、と音が鳴る。



「腹...減ったな。 死ぬにしても気分良く死にたいし、何か食べるか」



 そう言って立ち上がり、服についた砂をはたき落とす。

 状況を把握するために近くを見て回った時、何が食べれそうかは目星をつけていた。



「まずはこのヤシの木...っぽいやつ。 正直、詳しくないから見た目で判断してるんだけど、多分ヤシの木」



 と言って砂浜にポツンポツンと生えている木を見上げると、そこにはココナッツのように見える茶色い毛の生えたボールぐらいの身が見える。

 ココナッツは水分とかも補給できるらしいし、栄養補給も兼ねて狙い目だ。

 まずこれが第一候補。



「次は、あっちの木に生えている黄色い果物かな。 形はリンゴっぽいけどやや丸すぎな形状をしてて、近づいた時は独特な匂いがした。今まで見たことがないから食べても大丈夫かは分からない」



 島の中央部に大量に生えている木々の中には、果実をつけているものがあり、それの殆どが黄色い実をつけていた。

 一介のサラリーマンが、無人島に生えている果物の詳細を知っているわけがなく、毒があるか、そもそも食用に適しているのかどうかさえ何も分からない。

 取り敢えず、第二候補。



「最後はやっぱり海! 岩肌を歩いてる蟹とかいたし、魚はいなくても最悪蟹を捕まえればよし! 問題なのは、捕まえれるかは俺の体力次第なのと、火を用意しないと食えなさそう。 ...毒で死ぬのは別にいいんだけど、食あたり起こして地味な苦しみが続くのが一番嫌だからな...」



 夜に近づくに近づくにつれて、輝いていた海も、太陽が沈みだすと、オレンジ色を滲ませながら藍色に染まっており、幻想的な風景が広がっており、明かりでも用意しなければ何かを見つけること自体が難しそうだ。



「...となると、一番食えそうなココナッツにしてみるか」



 取り敢えず、思いつく限りで食料を確保できそうな物を並べてみたが、まずは第一候補のヤシの木へと近づいてみた。

 太くしっかりとした幹となっており、目的の実は遥か頭上にあり、どうやって取ろうかとヤシの木の前で首を傾ける。



「蹴って落とすとか...?」



 幹をペタペタと触って硬さを調べて見ると、岩のような感触が伝わり、あの実が落ちるまで衝撃を与えるのはこっちの骨が折れそうだ。



「となると、あんなに高いと物を当てて...だとかは無理そうだし... まぁ、登るしかないか」



 うんうんと唸って考えたが『よじ登る』しか思いつけなかった俺は、一息をついてヤシの木に飛んで幹をガッチリと掴む。



「よいしょ、っと... う、意外と...キツイな...」



 両腕にかかる自分の重さから、目的であるヤシの木が手に入るのはかなりの重労働だということを直感的に理解するが、空腹と喉の乾きから贅沢は言ってられず慎重に、ジリジリとよじ登る。



「...あと、もう少し...!」



 時間をかけてなんとか、あと手を伸ばし目的のココナッツを取ろうとする。

 何回か指先を掠めてもどかしい思いをしながら、やっと掴みとる。



「やった...!」



 と、そのまま木から引き離し、これで食べ物にありつけると思ったのも束の間、首筋にチリッとした感覚が伝わる。



「...?」



 ふっ、と自分の頭上を影が横切る。

 思わず上空を見上げると、居た。


 現実離れした姿をしたものが、この中で一番強固な現実として存在していた。

 “ソレ”は悠然と空を飛び、どんな動物より大きいその両翼で空気を掴み、表面を這う細やかな光沢は、“ソレ”に生えている鱗たちが宝石かのように輝いている様を見せつけていた。

 爬虫類のような牙の生えた顔は、何を見ているのか、まるで地上のものは興味がないと言うような表情は、とても神秘的で超然的だった。



「竜...?」



 口をついた言葉は、それを端的に表現していた。

 今、自分の頭上に飛んでいるのは数mの大きさにもなる巨大な竜の姿だった。


 ふと、その竜を見上げて呆けていると、視線に気づいたのか竜は首を動かし、チラリ、と俺を見た。



「...!!!!!」



 その瞬間、胃の底から湧き立つような言いようもしれないドロドロとした感情が、脳内に「逃げろ」と警鐘を鳴らし続け、動物的な本能が恐怖で体を震わせる。

 まるで蛇に睨まれた蛙かのように、自分の存在がいかに矮小で取るに足らない存在なのかを思わせるその眼差しは、『生きる死ぬか』を選べると思っていた自分がいかに楽観的で幸せな考えを持っていたのかと、これでもかと思い知らされる。


 ただ遥か上空を飛んでいるだけだというのに、この竜がその気になれば自分はいとも簡単に滅ぼされる、それを直感的に理解した俺は、ただ何も出来ずにいた。



(死ぬ)



 そんな考えが脳裏に浮かぶ。

 ヒュッ、と息が止まる。



『...』



 本当に自分を見ているのか、まるで何もない無を見ていると思うほど無感情なその表情は、ただジィと俺を見ていて。

 


(...死ぬ、のか。俺は)



 その腕を振るわれれば、簡単に人間など鮮血を撒き散らしてミンチになるだろう。

 その翼で風を起こせば、どんな大男でも吹っ飛び全身の骨を折ってしまうだろう。

 その尻尾を薙げば、どんなものであろうと粉微塵になって姿を消すしまうだろう。


 ごくりと、喉を鳴らす。



(...やっと、死ねるのか)



 恐怖なのか、それとも喜びによるものか、ただ頬に一筋の涙を流す。

 


 今までの人生で何かを成せたことなど何もなかった。

 田舎育ちの俺は、難病を患った父親の治療費を稼ぐために、身入りの良い会社に就職するべく上京し、中小企業に就職した。

 そこで俺は色んな失敗を起こした。

 簡単に人の頼み事を安請け合いしてしまう性格だった為、同僚から上司から仕事を投げ渡され、最初は『期待されてる』だなんて喜んでいたが、その仕事をこなした結果、成果を全て横取りされ自分の手元に残る功績など何もなかった。

 それでも自分を納得させ、『成長するためだ』と言ってそんな生活を続けていた。


 膨大な仕事をこなすため何時間も残業をし続けていたがそれが祟り、集中力不足によるミスを起こすと、怒り狂った上司から何時間も皆の前で立たされ人格否定をされ続けた。

 最初は内心こちらも反抗しようとしていたが、何日、何週間も繰り返されると、まるで自分がどんなに無価値で迷惑な人間か錯覚し始めていた、

 それでも、『辞めたところで他に行くところなんてない』と、上司の言葉一つ一つに謝罪をして、なんとかここに残してもらおうとなんでもした。


 それがいけなかった。


 その結果が、会社の屋上からの飛び降りだ。


 少し考えれば、自分が出来ることを超過していたのを分かるはずだと言うのに、『少しでも親を楽にさせたい』なんて言い訳をして、反抗することを諦めていた。

 それで、全部を放り出そうとして逃げたんだ。

 仕事からも、同僚からも、上司からも、親からも。



(...なんて卑怯な人間だ。 死んで当然だ)



 飛び降りる直前、躊躇してしまったのが本当に情けない。


 幸か不幸か、体の震えはもう止まっていた。

 こんな人間が死を恐怖する必要はもうないからだ。



 竜は、ずっと上空に留まりながら俺を見ていた。

 その双眼は俺の心境を全て見抜いているかのように感じた。

 数秒して静かに、俺がいる砂浜に降り立つ。



「...」



 俺は竜の姿を見ながら、木からゆっくり降りて、見つめ合っていた。



「あの...」


『貴様は、面白いな』


「...!」



 見つめ合いながら静かな時間が数秒過ぎた時、無意識に声をだすと、竜が口を開いた。

 腹の底に響く息と男性か女性かも分からない中性的な声で、竜は話しかける。



『恨みを抱かないのか?』


 一瞬、何を言われたのか分からず顔を見たまま固まってしまう。


「恨、み...ですか...?」


『ああ。 貴様をそこまでさせたのは周囲の人間だろう。ではなぜ、周りに敵意を向けない? 自暴自棄になるのであれば、恨みを果たしてからも遅くないと考えないのか』



 自然と畏まった口調になりながら、竜が言った言葉の意味を考える。

 『人を傷つけるなんて』と思わず言ってしまいそうになったが、人間が会社で自殺をすると被害を被るのは当然、その会社の人々で、死のうとした時点でその言葉を言うことはできないことに気づいた。



「し、死ぬことで、あいつらに『お前たちはここまで自分を追い詰めたんだ』って思い知らせるだけで、充分でした...から」


『嘘だな。 それならば死ぬこともなく、言葉と慟哭を持って知らせればいい。行動によって示すと言うが、お前がしたことは誰に何も伝えてないぞ?』


「それは...」



 竜の言葉に何も言えず、地面を向いて俯いてしまう。

 竜の表情は、玩具を見つけた子供のように綻んでいて、頬から牙を覗かせる。



『...この世の人間ではない者がどんな輩か気になったが、誠に面白い。 貴様、名は何という』


「え、あ... 坂村(さかむら) 慶次(けいじ)と言います...」


『ほう。 ならばケイジよ。貴様はこれから如何する?』


「どうする...」



 『これからどうするか』それはずっと脳裏にあった疑問で、他人から改めて問われると未だに自分がどうしたいかがよく分からないことに気がついた。



「...分かりません。 生きたいのか、死にたいのかも」



 曲がりなりにも自分は自殺をした結果、この島に来ている。

 心を病んだ原因の会社の人達はここにはおらず、この島で死んだところで、何の意味もないことは自分でも分かっている。

 しかし、だからと言ってすぐさま前を向いて生きようとする気力は、既に枯れていて、ふわふわとした不安定な精神状態で行動していたのだ。

 明確な目的など、何もなかった。



「どうすれば、いいんでしょうか。 私は...」



 この問いかけを他人するのはとても愚かだというのはわかっていたが、目の前にいる神秘的な存在に縋らずにはいられなかった。

 生きるも死ぬも、他人に言われればそれに従ってしまう。

 今の坂村 慶次の状態はそんな危ういものだった。



『ふっ... 竜に、委ねるか。貴様は、自分で成したいことはないのか?』


「はい... 自分でもよく分からないんです。 屋上から滑り落ちた時、『やっと終わる』と思ってたのに、目が覚めたらよく分からない島にいて... はは、何なんでしょうか... 死ぬ価値すらも、ないんでしょうか。 私は...」



 顔を押さえながら涙を流す。

 視線はブレて何を見ているかも分からない。



『...ふふふ、ははは!! いいだろう、いいだろう。 我が貴様の願いを聞き遂げてやる』



 そんな俺に、竜は大口を開けてひとしきり笑った後、ゾッとするような、黒い絵の具をぶちまけた画用紙のような漆黒の感情を纏わせて、俺に言った。



『ケイジよ。貴様は自分の命を持て余しているようだな? であるなら、我がそれを好きに使ったところで何も文句はあるまい』


「...はい」



 竜が何を言っているかは分からなかったが、性根に根付いていた奴隷根性が無意識に頷いていた。



『くくく...。 良い、良いぞ。人間とは畜生如きものだと思っておったが、貴様は格別に愛い奴ではないか。 我が好きに人間を弄ぶことはあったが、人間自ら弄ばされることを望むとは! では、貴様の望み通り、一つ貴様に指針を与えよう』



 竜は値踏みをするかのような視線を向けながら口を裂いたように歪ませて、両翼を靡かせた。

 すると、一回の羽ばたきだと言うのに立っていられない強風が渦巻き、顔面に叩きつけられる衝撃に思わず両腕で顔を庇って目を瞑ってしまう。

 

 風が収まった頃に、目を開けてみると、先程までそこになかったと言うのに、砂浜に一つの白い卵が現れていた。



『これは我の伴侶が産んだ卵だ』


「...たまご?」



 なぜ卵を取り出したのか、その意図が読めずに首を傾げてしまう。



『これをお前が育てろ』



 竜はニヤついた表情をしながらそう言い放つ。

 何を言ったのか理解出来ず、ボヤッとしていたが、段々と自分が何を託されたのか理解すると、大声を出しながら尻餅をついてしまう。



「...え?えっ、ええっ!? おれ...私が、ですか!?」


『そうだが? ...お前の命、好きに使ってよいのだろう?』



 冗談のような口振りだが、辺りの空気はどす黒い吐き気を催すものになっており、有無を言わせないその風体は、俺に選択肢などないことを突きつけていた。


 俺は何に命を託してしまったのか、その不安だけが腹の中で渦巻いていた。


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