5話
ただの何気ない会話だと思っていた。ただの注意事項。軽いアドバイスだと思っていた。たった1度それをしなかった。
(ただの1度の結果がこれか!?)
女の艶かしい唇が迫ってくる。目が引き寄せられて離せない、体の奥底で警告アラートが鳴り響いているのに彼女の唇を目が追ってしまう。
キスをされたらどうなるのか。
いや、きのこにとってそれはキスなんだろうか。
(キスだけにとどまるのか?)
口を付けた瞬間、口のなかに胞子をばらまいたりしるんじゃないか?
彰人の思考の中で菌糸が延びていく。
口の中をのたうち回る菌糸が喉に入り込んでむくむくと食道を延びていく。肺に入り込み、肺や胃を貫いて身体中に菌糸が巣食っていく。
びちびちと音を立てて血管の中を神経の1本1本を侵していく。その様が脳内に映像化さると細胞の一つ一つからふつふつと恐怖の叫びが上がるようだった。
(嫌だ・・・・・・いやだ)
恐れに震えながら目だけが彼女の唇を追い続けている。
(接合した部分は?)
既にもう体の中を菌糸が這いずり回っているんじゃないのか。思考が止まらない、彼女の唇はもう彰人の唇に触れるほどに近づいている。
「嫌だあぁぁッ!!」
必死に彼女の顔を押し退けるがそれでも女の顔はぐいぐいと寄ってくる。ブルブルと震える腕に力を込めてぐいと押すと、彼女の顔からばりっと嫌な音がした。
「うわぁぁああああッ!!!」
彼女の顔がぱっくりと割れて内側からもうひとつ顔が現れる。
「あああぁぁああっっっ!!」
血走ったギョロ目、大きく真っ赤な口。
菌糸のような髪が彰人の顔にかかる。
「やめろ! やめろ! やめろぉぉおお!!」
彰人の頭を両手で鷲掴みしたきのこ女はにんまりと笑った。
「いまよ」
「・・・・・・っへ?」
「教えてって言ったでしょ」
「な、な・・・・・・」
「食べ頃」
血走ったギョロ目が近づいてくる。血のように真っ赤な唇が彰人の首筋に寄る。
「や、やめろ・・・・・・。やめろッ」
彼女の髪が首にまといつき彰人の顔の上をずるずると這いずっている。
彰人の後頭部に優しく添えた手が万力のように彼の頭を引き寄せて、きのこ女は彼の喉元にキスをした。
それは甘く芳しく。
「あっ・・・・・・あぁ、はぁ」
首から皮が裂ける音がする。
激痛と恐怖が彰人を絡め取っていった。麻痺した心が恐怖を越えた先に一瞬の快楽を感じた。
彰人の呻き声は菌糸に覆われ白い繭に包まれて闇に溶けていった。
数日後。
彰人の住んでいたアパートに回転する赤色灯が野次馬を集めていた。
「腐乱死体だって?」
「変死体だってよ」
「部屋中きのこだらけだったって」
「なにそれ」
白い布が被せられ担架で運ばれていく死体らしき物は、でこぼことして人らしい形をとどめてはいなかった。
事情聴取を終えた男が離れたところから彰人だった物を見ていた。
「1日1回換気しろって喚起してやったのに」
ぼそりと呟く中年男の耳に女の歓喜する声が聞こえていた。
■■■ 完 ■■■
■■■ 忌 ■■■
普段ファンタジーを書いている私が怖がりなりに初めて書いた物語。ホラーを読みなれている方にはとてもライトな内容になっているんじゃないかと思います。ライトホラー少しは楽しんでもらえたでしょうか。そうだといいな。
最後まで読んでいただきありがとうございました。