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公式に発表が出来るまで、皇徳寺達は秘密裏に講演会の準備を進めようとした。しかし話が舞い込んだ翌週には、町内、市内全域の人々に情報が漏れていた。
山下は皇徳寺から直接口止めをされており、家でも話題にし難い話だった為、秘密を守っていた。龍星は直樹と吉野に話していたが、直樹は自宅で「えらいひと」を母に連呼するだけだった。
「吉野さんは秘密を言う人じゃないです」
龍星の言葉に間違いは無かった。皇徳寺は形式的に山下と龍星に尋ねたが、正直分かっていた。教職員から家族へ。もしくは市教委から家族、そして外部へ。いつの間にか「秘密」との伝言は消えていた。
町内は講演会の話題で持ち切りになった。小学校の関係者以外も見に行きたいと言った。
「吉野さんも、ぜひ行きましょう」
山下の誘いに、吉野は手を横に振った。
小学校には町の人々やマスコミから、問い合わせの電話が頻繁に掛かって来た。しかし皇徳寺を悩ませたのは電話では無かった。
旗とプラカードを手にした市民団体が小学校にやって来た。彼等、彼女等は「反対」を叫んだ。
「あんな好戦的な小説を書いた人を、小学校に呼ぶなんて。教育上問題があります」
市民団体の姿を児童達は遠巻きに眺めた。山下は学校に居る間は押し殺していた思いを、ヤマキタの公園で吐き出した。
「全てを読めば全然、好戦的じゃないって分かるのに。何で一部分だけを拾って、あんな事が出来るのか。私には分かりません」
当該作品を発表した直後の謂れ無い抗議が、西田に海外移住を決断させたとの話は、海外の読者を中心に知られていた。
市民団体の抗議活動に、直樹の母は参加しなかった。直樹が講演会を楽しみにしていたから、母は初めて参加を断った。
「石谷さんって浅はかと言うか。まあ深く考えられない人だから」
以後母が団体から声を掛けられる事は無くなった。
抗議活動は連日続いた。ある日、皇徳寺宛に市教育委員会から電話が掛かって来た。皇徳寺の元同僚である市教委の事務職員は、市教育長の伝言を淡々と伝えた。
「一校で背負うには荷が重いと思われます。市教育委員会が講演会を主催する事になりました」
その日の夕方。教職員の一部団体が市民団体と交渉し、抗議活動は中止となった。
以後も市教委は滞り無く準備を進めた。感染症対策の名分の下、講演会の会場は市民ホールになった。そして参加者も選抜された。市内の各小、中、高校から代表の生徒数名。市内、県内の各種団体の大人達も参加者となった。配慮として、直樹達の小学校とその校区からは、他より多くの参加が認められた。
「六年生は山下さん」
「二年生はあの子でしょ。お爺さんが教育委員会の」
「え、支援学級? 行ってどうするの?」
町内会からは三役の高齢者達が選ばれた。
「選抜は当然でしょう。ヤマキタの薄汚い男が来てしまったら、我が町の恥ですから」
皆は講演会の話題で盛り上がった。一方で校長室の清掃時間に会話は無かった。
しかし講演会を二週間後に控えた日の清掃時間。山下は皇徳寺に言った。
「私は西田先生が大好きです。でも龍星君や、直樹君や、皆が行けないのなら、私は行けないです」
皇徳寺は言葉を返せなかった。口を開いたのは龍星だった。
「行ってください、山下さん。自分たちには山下さんが、どんなのだったって教えてくれれば良いですよ」
龍星は笑顔だった。涙を零した山下に、龍星は柔らかい眼差しを向けていた。
皇徳寺の内で感情が湧いた。龍星に対する否定し難い敬意、そして妬ましさ。感情を整理して思い至ったのは、皇徳寺自身の不甲斐無さだった。
夕方。皇徳寺は市教育委員会に電話を掛けた。電話に出た事務職員に皇徳寺は言った。
「関心を持たない児童達にも、門戸を開く事は出来ませんか?」
電話が保留された。保留音が切れ、電話に出たのは市教育長だった。
「皇徳寺先生。これを市教委が主催する意味が分からないのかね? 参加者として選ばれた意味、我々が選んだ意味だよ。それが我々にどの様な効果をもたらすのか分からないのかね? 残念だよ、皇徳寺先生」
開催一週間前。市教育委員会から各学校、団体に参加者名簿が配布された。六年生に山下の名前は無かった。そして皇徳寺の名前も記されていなかった。