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 貴方の小説を、大好きな子供がいます。

 貴方が描く世界を、知らない子供達がいます。

 世界に羽ばたいた貴方は、子供達に無限の可能性を伝える事が出来る人です。


 直樹の通う小学校の校長、皇徳寺(こうとくじ)は市教育委員会に長年勤務し、資格要件の特例を受けて教頭、そして校長になった。その為周りの教職員から好かれていないと皇徳寺は思っていた。しかし実際は、好かれないだけの行動はとっていた。

 皇徳寺は学級運営の細部にわたって、教育委員会の定めに固執した。文書の体裁にも必要以上の拘りを見せて、教職員の負担を過重にさせていた。その上学校に教育委員会の要職者が来れば、話す内容がいかなるものであっても必要以上に相槌を打った。一方で目下の者の話には、腕組みをして、時には首を傾げて見せた。

 皇徳寺は教職員の気持ちを読み解けなかった。今であれば一歳半、三歳児健診で保健師から指摘を受けるのだろうが、六十年近く前にそれを望むのは無理があった。

 皇徳寺の祖父、そして父も校長だった。幼少期は校長の家系である事をからかいの種にされていたが、小学校の高学年になると、その立場は有利に働いた。教職員の全てが皇徳寺の味方である事を児童達は察し、児童達は皇徳寺と関わらなくなった。対人関係の不得手な皇徳寺は一人で過ごす事が出来た。

 地元の国立大学に進んだ皇徳寺は、教員免許を取得した。皇徳寺の特徴を知っていた為か、父の計らいで教員では無く教育委員会に入職した。皇徳寺の仕事は書類と向き合う事だった。

 見合い相手は引く手数多で、両家の合意で美人妻と結婚した。しかし結婚当初から妻との間に会話は無かった。二子をもうけた事で体面は保たれたはずだったが、現在長女はひきこもり、長男は不登校だった。

 母は十年以上前に死んだ。父は認知症を患い、当初は初期費用一千万円超の老人ホームに入居していたが、徘徊、他人の私物を漁る、興奮しての粗暴行為、介助への抵抗。介護スタッフが充実した施設でも看切れずに、今年初頭から長期入院諾の精神科病院に入院した。

 精神科では医師の一声で四肢を拘束出来た。一ヶ月もせずに歩けなくなり徘徊は無くなった。ただ入浴時の奇声は勿論、職員に噛み付こうとする事もあり、皇徳寺は面会の度に看護師の長から愚痴を聞かされていた。

 しかし今、父の愚痴は聞かなくなった。半年を超える身体拘束の結果、四肢は硬縮し動かなくなった。頬に張り付いた皮膚だけでは口を動かせない様で、食事は鼻から管を通していた。応答の無い父に皇徳寺が声を掛ける必要は無くなった。加えて感染症の流行で面会が制限され、病院に足を運ばない口実も出来た。

 父は校長の職を全うした後、県の教育委員会で要職を担った。その末路だった。

 皇徳寺自身も年を取った。その為、父の末路を自分自身と重ねる事が出来た。残念な人生。校長生活最後の一年となり、皇徳寺の内で頻回に浮かぶ言葉だった。

 昼休み後の清掃時間。校長室には六年生から山下結花が来ていた。皇徳寺は勿論、山下を目に掛けていた。

 しかしもう一人、二年生から松原龍星が来ていた。

「龍星君。この台を運ぶの手伝って」

「あっちを先に動かした方が良くないですか?」

「確かに。龍星君の方が構造的って言うか、理系の考え方が出来るよね」

「りけいって何ですか?」

「言葉の数は私の勝ちだけどね」

「それは山下さんが年だからです」

「ひどい、おばちゃん呼ばわり」

 二人は笑った。

 皇徳寺は解せなかった。なぜ優等生の山下と、あの松原龍星が親しくしているのか。龍星の一件。権力に媚を売った故の失態は、教職員達にとって満足度の高い陰口の種となっていた。

「校長先生、市教委からお電話です」

 教員の一人が職員室側の扉から皇徳寺に声を掛けた。台を運ぶ手を止めた二人に皇徳寺は「続けなさい」と言った。物音を立てない様に二人は作業を続けた。校長室で電話を取った皇徳寺の声は二人に聞こえた。

「講演会? 我が校で」

「小説家の、西田幸恵?」

 山下が大きな物音を立てた。視線を向けた校長に頭を下げたのは龍星だった。

 西田幸恵。国内で数々の文学賞を受賞し、海外移住後も各国で賞賛を得て、一昨年にノーベル文学賞を受賞した。現在も精力的に執筆活動を続けている西田が公の場に出る事は殆ど無く、講演会を行った事は少なくとも国内では無かった。

「今回出版社を通じて市教委に話があったそうだ。我が校での講演会を、西田氏は希望しているとの事だ」

 職員会議で皇徳寺は言った。全国的な関心を集めるであろう出来事の唐突な出現に、教職員達は内心色めき立っていた。しかしそれを表に出す者は居なかった。教職員達には予測があった。市教委側も急な話である為、断る事を容認していた。

「たった二ヶ月先に、行事の予定を新たに入れる事は有り得ない。加えて感染症対策を今以上に徹底する必要がある。マスコミも多数押し掛けるだろう」

 無言の教職員達に皇徳寺は続けた。

「期間は短い。抜かり無く準備を進めよう」

 教職員達の発言は無かった。しかし場は騒めいた。

 皇徳寺は市教委に開催の意思を伝えた。残念な人生。父の人生は残念な余生で、皇徳寺自身は余生どころか、過去も現在も残念な人生。定年前の皇徳寺にとって、せめて市の教育史に名を残す最後にして最大の機会だった。

 加えて皇徳寺は、あれ程に目を爛々と輝かせた山下を初めて見た。目を掛けている山下に、下品な家庭で育つ龍星との親しさ以上の体験を提供出来るとの高揚感は、意識の底に押し止めた。

 放課後、ヤマキタの公園。ベンチの傍で屈んで顔を伏せる山下の背中を、直樹はさすった。龍星は直樹に言った。

「大丈夫。山下さん、気分悪いんじゃないから」

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