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直樹は特別支援学級を、それなりに楽しんでいた。それなりであるのは、直樹が通っていた療育機関より、特別支援学級は重度障害児が多かった。直樹を含めて六名在籍していたが、トランポリンは勿論、援助無しに給食を摂れる児童は直樹だけだった。他児童との交流は図れず、教師は二人居たが直樹以外に手が掛かり、直樹は余り構って貰えなかった。
普通学級に目を向けると、直樹と同程度の児童が多数在籍している事に、直樹は療育の経験を通して気付いていた。一組のあの子とあの子。二組のあの子等々。名前を知らず、親の体裁という意味も直樹には理解出来ず、友達になれそうな児童が一杯居ても声を掛ける機会は無く、直樹は彼等との交流を諦めてしまった。
福祉教育の時間以外で、普通学級の児童が直樹と接するのは、昼休みや放課後に直樹をからかう時だった。直樹をからかうのは、特定の幼稚園の卒園者達だった。
その幼稚園は入園準備金だけで数十万円を要し、高度な学問や運動等を厳しく指導する方針だった。園児の大半が平均を超える知識や技能を習得する為、高所得層の親達には抜群の人気があった。卒園した彼等は小学校で、他の幼稚園等を出た児童達に、その差を見せ付けていた。
直樹をからかう児童の内で特に執拗な三人組は、卒園者の中では秀でた部類で無かった。しかし語彙は豊富で、彼等は直樹を「ショウガイシャ」と呼んだ。
いいな、お前は。誰からも期待されなくて。
直樹には、言葉の意味が分からなかった。
ホント幸せだな。
直樹が頷くと、彼等は笑った。
俺達とお前の秘密の暗号は、薄弱。
はくやく?
彼等は大笑い。
他で言うなよ、俺達の前だけで言うんだぞ。
なあ、言ってみろよ。
はくだく。
更に大笑い。彼等が笑うので直樹も笑みを見せると、彼等はもっと笑った。
彼等は笑いながら、直樹の被る帽子を取った。
キタねえ帽子。
コイツん家、生保だし。
帽子を投げられる事に問題は無かった。これまでに何度も経験して、帽子はまた拾えば良かった。
しかし頭を触られるのは苦手だった。彼等が直樹の頭に触れると、直樹は嫌々をした。すると直樹の手の平は激しく波打ち、彼等は蛸踊りと言って笑った。困った事に、頭に触れる事で踊りが始まると彼等は知っていた。
俺もう触りたくねえし。ビョーキうつるじゃん。
なら俺がやるから。
よっしゃ、踊った踊った。
踊り続ける直樹。笑い続ける彼等。それでも問題無いと直樹は思った。永遠に続かない事を直樹は知っていた。いつか飽きて、何処かへ行ってしまう。今までもそうだった。
しかし、この日は違った。
名前を知らない男の子。休み時間、一人で廊下を歩いている男の子。直樹も彼に気付いていた。
その彼が現れた。しかも飛び蹴りで。そんな姿で登場した人物を、直樹はヒーロー物のテレビ番組以外で見た事が無かった。
飛び蹴りを受けた一人は廊下に転げて、他の二人は逃げ出した。泣きながら起き上がった一人は、縺れる足で二人の後を追った。彼等の姿は正に、ヒーロー番組に出て来る悪の手下だと直樹には見えた。
男の子、龍星は直樹の帽子を拾った。そして何も言わず直樹に渡した。
直樹は、何か伝えるべきとの思いはあった。しかし直樹を助けてくれた児童は初めてで、ただでさえ語彙の少ない直樹は、伝える言葉を見付けられなかった。
ただ視線だけは龍星に送った。龍星は、直樹が支援学級の児童だと知っていたので、言葉を発さない事が不快では無かった。
「アイツらに、ムカついただけだし」
龍星自身も生活保護世帯で、癪に障った部分があった。更に日頃から教室で、他児童との違いを鼻に掛ける彼等に苛立ちを覚えていた。
加えて皆の言う「なかよし学級」の児童を苛める事は許さないと、盗んだバイクで校庭を疾走した兄を許容した龍星の父でさえ言っていたので、龍星なりの信条に従った行動だった。そこに多少なりともヒーローの心地はあり、飛び蹴りも、ヒーロー物のテレビ番組を意識した事は確かだった。
龍星は立ち去った。龍星の寡言は、ヒーローを気取った自分自身への照れだった。
しかし直樹にとって龍星は、紛れも無くヒーローだった。