【05】絶望の果てに
小雨がパラつく夜の河川敷。高架下にひっそりと出店していた小汚いラーメン屋台を訪れたのは、おぼつかない足取りでフラフラと歩く植田。一目でまともな状態でないのはわかった。
“あの日”から、一週間が経過していた。
「ヘイらっしゃい!学生さんか?こんな夜中に珍しい。」
五十代半ばほどと思われる店主は、見るからに訳アリな植田の様子に触れることなく普通に話しかけた。
「…少し前に…ダチから聞いて。」
しばしの静寂の後、ようやく植田は言葉を発した。
「おおっ、そりゃありがてぇ。嬉しいねぇ評判になるほどウマいってか?」
「いや、死ぬほどマズいと。」
「オーケーわかった、そいつ連れて来いブッ殺す!」
笑えない冗談に対して、さらに笑えない冗談が返ってきた。
「…ハハッ、そりゃあ手間ぁ省けましたね…死んだんスよ、この前…そいつ。」
「やっぱり訳アリみてぇだな…。俺で良けりゃ聞くぜ?」
もとより誰かに話を聞いてほしくて訪れていた植田は、赤池の身に起きたことについて一通り話して聞かせた。
「ま、マジかよ…。あの…赤池のアンちゃん…死んじまったのか。」
「ええ、この店に来る途中で…一足先に…」
「なんだテメェ、どのみちウチのラーメン食ったら死ぬ運命だったみたく言いやがって…!」
植田はかなりの“やさぐれモード”に突入していた。
「でもそうか…だいぶ夢見がちなアンちゃんだったが、勢い余って本当に夢の世界に旅立っちまうとはな…。早すぎるだろオイ…」
植田への怒りが鎮まり、改めて赤池の件に話を戻した店主は、堪らず声を詰まらせた。
植田も完成したラーメンを前に箸を付けられずにいた。
「…だがまぁ、腹が減ってちゃ余計に参っちまう。さ、とりあえず食いな!」
「すんません、なんか…いろんな意味で箸が付けられなくて。」
「てめぇ絶対それ悪意あんだろ!?意外と余裕あんのかオイ!?」
ラーメンはまず見た目から怪しかった。
「というか…正確にはアイツ、死んではいないんスよ。トラックに撥ねられた後、川に落ちて…行方不明で…」
「けど一週間前の話だろ?こう言っちゃなんだが、もう…なぁ?」
「ッ!!!」
「す、すまねぇ!お前さんも辛いってのに、俺って奴は…気の利かねぇことを…」
「いや、ガチでマズいなと思って。」
「だからちったぁ気ぃ利かせろよ!傷心ならなんでも許されると思うなよ!?」
普段は誰よりも常識人である植田だが、やさぐれすぎてとても攻撃的になっていた。
そんな彼の怒りの矛先は、今度は店主ではない別の人間に向くことになる。
「…なに見てんスか爺さん?悪いけど俺、今スゲー気分最悪なんスよ。」
ふいに視線に気付いた植田は、その視線の主を睨みつけた。
その相手は植田よりも先に座っていた老人。白髪交じりの伸ばしっぱなしの髪と薄汚れた衣服。浮浪者のような出で立ちだった。
「あ~、気にするなアンちゃん。少し前から見かける爺さんでな、大事そうに妙な袋を抱えてるだけでろくに話もしねぇ。ボケちまってんだよ。まぁこちとら商売だし金さえあるなら客は客だが、こう薄気味悪いとなぁ…正直迷惑してんだ。」
店主の言う通り老人はボケてしまっているようで、面と向かって悪く言われても気にする様子も無かった。
しかしその代わりに老人は、なぜかおもむろに謎の袋の中に手を突っ込むと、古ぼけた一冊の本を取り出したのだ。
「んっ。」
植田の目を黙って見つめながら、その本を差し出す老人。
「え…?いや、何を…」
「んんっ!」
どうやら植田に“受け取れ”と言っているようだ。
「あ~、受け取ってやりなアンちゃん。そのナリだしな、俺も最初は同情でお代は要らんと言ったんだが…その調子で握らされちまってなぁ。そん時と同じ目ぇしてるわ。下手に拒否ると無駄に長引くぜ?」
「け、けど…」
「いいじゃねぇか、人の厚意は黙って受けとくもんだ。」
「いや、小汚いなぁと。」
「そうだがお前…」
植田のあんまりな言葉に店主が絶句している間に、カウンターに代金を残し、老人は姿を消していた。
「で?結局なんなんだいアンちゃんその本は?随分と古ぼけた本だが…」
「えっと…『Traum-Bilderbuch』…ドイツ語かな?夢…絵本…?」
第二外国語の授業で少しドイツ語をかじっていた植田は、本の表紙に書かれていた文字の一部を読むことができた。
すると店主が、意外な反応を見せたのだ。
「ほぉ、『夢絵本』か…。そりゃまた随分と胡散臭い。」
「え?何か知ってんスか?」
「ガキの頃に爺さんに聞いたことがある。こう見えて俺ぁクォーターでな、爺さんはドイツの生まれなんだわ。国が遠かったもんで俺もあまり会うことのない爺さんだったが、眠れない夜に一度だけ話してくれたのがそいつの話さ。夢絵本に選ばれし者は、本の中の…“夢の世界”に行けるんだ~ってな。」
「ッ!!?」
「なんだアンちゃん、またマズいとか言う気じゃねぇよな?いい加減にしねぇとさすがの俺も…」
「夢の世界…異世界…」
「お…オイオイ、まさか信じちまったのか?赤池のアンちゃんもだいぶ夢見がちだったが、お前さんもかなりの…」
それまで死人のようだった植田の瞳に、一筋の光が射していた。
「親父さんは何もわかっちゃいない。アイツのことも、そして出汁の取り方も。」
「なっ、なんだと…?いろんな意味でなんだとぉ!?」
「そうか…そうだよな…。アイツがそう簡単に死ぬはずがないんだ。」
「あ、アンちゃん…?」
「あれだけ異世界について語り合った日々、絵に描いたようなトラック事故、見つからない遺体、そして現れた異世界へと繋がるアイテム…これだけフラグ立てられて信じないとか、アイツの親友としてはありえない。」
そう言うと植田は、カウンターに代金を置きながら立ち上がった。
「ありがとう親父さん。ラーメン美味かったよ…って言えないのが残念だけど。」
「いや言えよ!嘘でも言ってけ!」
「さーて、どうやら少し…忙しくなりそうだ。」
植田の眼鏡がキラリと光った。
そして三日後。
「悪いな今日は。みんなに集まってもらったのは他でもない。」
植田の呼び出しで学食に集まったのは、三人の男女。全員植田と同学年だ。
「やっほーウエピー。何日ぶりだっけ?」
そのうちの一人は荒畑。先日の赤池との浦島太郎談義は記憶に新しい。
口ぶりこそいつも通りだが、無理して明るく振る舞っているようでどこか表情は暗い。
「ったく、もうじきバイトだってのに何の用だよ?いやまぁ…わかるがな。」
三人のうち一人は男で、名は平針。
一見ガラは悪いが、ぶっきら棒なだけで別に不良というわけではない。
「アッキーの件…だよね?ウッちゃん大丈夫?ちゃんと食べれてる?」
少しやつれた植田を心配する、最後の一人の名は八事。
見た目も中身もおっとりとした彼女は、赤池が密かに想いを寄せていた相手でもある。
「あ~、悪いな心配かけて。だが残念ながら…これからもっと心配かけることになると思う。」
「え…?ウッちゃん…?」
その意味深な発言に、八事だけでなく他の二人も怪訝な顔で植田を見つめた。
「なぁお前ら、異世界…行かないか?」
そして告げられた、どこかの誰かが言いそうな言葉。
「植田、お前…マジか。」
「ああ、マジだ平針。行こうぜ異世界。」
「いや、“頭大丈夫か”って意味で言ったんだが。」
「だよなそうだよな。うん、逆の立場だったら俺もきっとそう言うわ。というか言ってきた実績があるわ。」
どうやら植田は壊れてしまったわけではないらしい。
何か考えがあるようだ。
「じゃあみんな聞いてくれ。正気の俺が考えた、イカれた話を。」