【34】忘れられし聖女(2)
大戦の休戦からまだ五十年ほどしか経っていないにも関わらず、世の中から『聖女』の存在が消えていることに違和感を覚えたウエイダ。
まずはその辺りの疑問をなんとかしないと話が進まない。
「んー、みんながみんな忘れちゃうとかあるのかなー?婆ちゃんのホラ話だって線は?」
「いや、突飛な話は嘘だって言うならお前の存在こそ嘘だろ。」
「まぁそっかー。ファンタジーに不可能は無いよなー。」
「それに『三聖』の件だが、他の二人の名は俺も聞いたことがあるんだ。ガサカとオゾーネは確かに有名人だよ。けど聖女についてはさっぱり…。大戦については一般教養として俺もある程度は学んだつもりなんだが…いや、待てよ…?」
そこまで言って、ウエイダは何かが引っかかった。
「おかしい…『三聖』って呼び名にも覚えがあるぞ?なぜだ…?じゃあ残りの一人は…?そしてなんでこれまで疑問に思わなかった…?」
「それだよ。それが『忘却の呪い』の怖ろしいとこさね。他人から忘れ去られるのさ、その存在に関わる…すべてをね!」
ドンッ!
婆さんは苦々しい顔をしながら机に拳を叩きつけた。
「の、呪い…!だが、そんな広範囲の…!?」
「あるもんはあるのさ。まぁさっきの三聖の違和感からして、若干の不整合は出てるみたいだがねぇ。」
「忘却の…ってことは婆ちゃん、もしかして俺がいまいち勉強できないのも…!」
「それはアンタがアホの子だからだよ。仮にそれが呪いだってんなら呪われてるのは親だねアンタの。」
婆さんは容赦なかった。
「そっかぁ、みんな呪いで忘れてんのかー。そうなると情報集めるのは難しそうだなー。」
「そうだね、だから驚いたんだよ。なんで知ってんだいアホの兄ちゃん?」
「フッ、やっぱ…天才ゆえ?」
「いまいち勉強ができないんじゃなかったのかい?」
「くっ…!」
「まぁアカイケには話せば長い事情があってさ…って、いや待て!だったら婆さんこそなぜ覚えてる?みんな忘れるって話なら、なんでアンタは聖女の存在を忘れてないんだって話になる。」
うっかり見過ごしていた矛盾に気付いたウエイダ。
すると婆さんから、驚きの答えが返ってきた。
「言ったろう?“他人から忘れ去られる”…ってね。」
「ん?他人から…なっ!?じゃあアンタが…まさかアンタがその聖女本人だってのか!?」
「…多分ね。」
婆さんは何やら含みのある言い回しで認めた。
「却下します。」
「なんだって!?」
赤池は明確に却下した。
婆さんは思わず茶を噴いた。
「いや、なんでお前が却下してんだよアカイケ?なんか根拠でもあるのか?」
「いやいや、だって『聖女』だぜ?なんかもっと、こう…なぁ?」
赤池なりにオブラートに包んだようだが、失礼な意味なのは明らかだった。
「ま、確かにこの姿じゃねぇ…」
どうやら婆さん本人も今の姿は不本意らしい。なにやら事情がありそうだ。
「その言い方…元の姿とは違うってことだよね?元の体が変形したのか、別の体に入っちゃったのかというと…?」
「多分後者だね。体格からして違いすぎるし、元いた場所からも遠いし。気付いたらこの姿で倒れてたもんで記憶は曖昧だがね。」
「ふーん。でも曖昧ってことはちょっとは覚えてるんだよね?聖女としての最後の記憶は?」
「毒でも盛られたのか急に高熱が出てね。うなされてる間に、なんだか体の中から何かに押し出されるような感覚があって…気付けば…って感じかねぇ。」
曖昧すぎてどうにも要領を得ない話ではあるが、嘘を言っているようには見えない。
「んー、困ったなー。本人にもわからないってなると、もう何がなんだか…」
「じゃあアカイケ、もしお前みたいに外から来た奴が関係してるとしたら?そういう特殊な存在の影響を受けたんだとしたら…何か考えられるパターンは無いか?」
「んー、俺らの世界からの?誰かの魂を追い出す系の?そんなのあったかなぁ…んんっ?ハッ!もしや…!」
赤池は何かに気付いたようだ。
「もしかして、『憑依系』の影響か…!?」
「憑依系…?それもよくある流れなのか?」
「うん。よくあるパターンとしては、主人公が車に轢かれたり過労死したりしたタイミングで異世界に飛ばされるのが多いんだよ。んで、目が覚めると物語の登場人物に憑依した状態なわけ。生まれ変わって一から始まるのが『転生』だとすると、誰かの人生の途中から始まるのが『憑依』って感じかな。」
「つまりアラータ嬢と同じパターンってわけだ。その場合、元々その体に入ってた人格はどうなるんだ?」
「んー、共存するパターンはあんまり見ないかなー。記憶は共有できても、人格としては大体は憑依した側が乗っ取っちゃう。頭を打ったり高熱出したりして寝込んでて、起きたら憑依されてる…って流れが多いから、元の人格が死んじゃって空っぽになったから憑依されたんだと解釈してたわ。だけど…」
「死んだんじゃなく、追い出されたのかもしれない…。そして、この婆さんがまさにその状態…と言いたいんだな?」
「うん。そう考えると、俺的に都合がいい。」
「確かにそうだがそう言っちまうと身も蓋もないな。」
あくまで赤池の想像ベースのこじつけではあるが、なんとなく婆さんの今の状況に説明がつけられそうな状況になってきた。
「ふむ…全然違う可能性も大いにあり得るが、動かなきゃ話も進まんしなぁ。とりあえず今の推論が正解だと仮定して動く…でいいかアカイケ?」
「ああ、そうしようぜ。どのみち行き詰まってたわけだし。」
「へぇ…信じてくれるのかい、こんな荒唐無稽な話を。やっぱり変わった子らだね。」
「一緒くたにされるのは心外だがな。ま、こっちも他に手がなくてね。」
「あー…でもさ植田、一点だけ引っかかってるんだよ俺。それが解消されないと心からは信じられない。」
「細かいことを気にしないお前が?」
「まぁ大事な話だからな。」
赤池は珍しく真面目な顔をしている。
「んとさ、さっきの話だと婆ちゃんの中身は聖女なわけじゃん?悪魔の王と渡り合えるほどの聖人なわけじゃん?」
「まぁ残念ながら及ばなかったがねぇ。それが?」
「その割に、全然聖女っぽくない。口調も思考もやさぐれてる。」
失礼な話だが言わんとすることはわかる。
「俺の中の聖女は、こう…笑い方は“ウフフ”みたいな、清らか且つお上品な雰囲気がほとばしる存在なわけよ。でも婆ちゃんにはそれが無いんだよ。完全に心が荒んでる。」
「荒んだんだよ。この姿、この境遇で五十年も過ごせば誰だって変わるさ。」
「いやいや、聖女ってほどの存在なら…」
「アンタは女に夢を見過ぎだね。アンタの好きな子だって普通に屁は出るし糞も出すよ?」
「そ、そんなことない!ヤゴッちはウンコなんてしない!屁だって…仮に出ても多分バラとかの香り!」
「ちょっとした化け物じゃないか。夢見るのも大概にしな。」
「まぁ真偽の程はいずれわかるだろ、今は気にするなアカイケ。」
「いや、でもマジでヤゴッちは…」
「そっちの真偽じゃねーよ、婆さんの話だ。というか糞くらい出させてやれよパンクするぞ。」
百年の恋も冷めそうな死因だ。
「あ、もう一個あったわ!もし婆ちゃんの元の体を見つけたとしても…結局そっちもお婆ちゃんだよな?じゃあ戦力にはならないんじゃね?」
「あー…そこは俺も盲点だったわ確かにそうだ。その点はどうなんだ婆さん?」
「もちろん手はあるさ。幻の薬、その名も『逆巻く時の秘薬』…まぁ一言で言うなら“若返りの薬”だね。それさえあれば完全復活だよ。」
「いや、でも荒んだ心は治らないよね?そんな中身が入ったら聖女的には拒絶反応とか出るんじゃね?もしくは浄化の魔法とか唱えた時点で自分が消えるとか。」
「そんっ…そんな、まぁ…んー…うん、考えすぎってことにしときな。」
「ば、婆さん…」
婆さんは大丈夫と言い切る自信が無かった。
ウエイダは思わず同情した。
「じゃあさ植田、次の目的地は婆ちゃんが聖女だった頃に最後にいた場所…ってことだよな?」
「それしか無いな。まぁ本体がずっと同じ場所にいる保証も無いし、生きてる保証すら無いが…他に手は無いだろう。」
「てなわけだけど、婆ちゃんもそれでいいよね?」
「ああ、願ったりさ。今日はここで寝て、夜が明けたら出発しようか。」
「おっと、大胆だな婆ちゃん。」
「誰も一緒に寝るとは言ってないよ。無駄にポジティブなのも大概にしな。」
そして翌朝。
朝食を済ませた三人は、旅立ちの準備も終え、家を出た。
「ところで婆さん、行き先はどこなんだ?五十年あっても向かわなかったってことは、遠いなり危険なり、何かしらの理由があるんだろ?」
「相変わらずいい読みだね。まぁ話としては単純さ、“彼ら”に気に入られないと辿り着ない街…そんな場所があるんだよ。かつてのアタシはそこにいたし、例の秘薬もそこにあるはずだ。」
「認めた者だけが入れる街…まさか『エルフ』の…!?」
「エルフ!ついに出たなエルフ!ド定番!」
「この姿のアタシは駄目だった…だからアンタらに懸かってる。期待してるよ。」
「フフッ、任せてくれ!具体的にはよくわかんないけど了解だぜ!」
「よくわからんのにその自信…ある意味羨ましいな。不安でもあるが。」
テンションが上がってきた赤池と、複雑な心境のウエイダ。
婆さんは長らく住んできたボロ家を複雑な顔でしばらく眺め、そして覚悟を決めたように振り返った。
「じゃあ行こうかね、閉ざされた街…『精霊都市:イシテ』へ。」




