鬼の室(2)
大津の宮を辞去して、南へ下った。青海の湖の波音を右手に聞きながら集斯は歩いていた。穏やかな夕暮れ時だ。
平和だ。平和な国だ。先の白村江の戦いでは破れたと言うものの、この国には平和が根付いている。朝廷の中の警護の兵士からして、何も無くて当たり前という顔で動いている。悪く言えば緊張感がないのだ。
右手の湖を見た。大きな湖だ。水の流れを見ると思い出されるのは百済の王都である|泗沘《しひ》の風景だった。ゆるやかな白馬江の流れに包まれるように泗沘の都はあった。似ていると集斯は思った。百済滅亡の折には扶蘇山城の落下岩から追い詰められた宮女三千人が白馬江へ飛び込んだと聞いている。
目頭が熱くなった。
「いかんいかん、つまらないことを」と独り言を呟いた。
それにしても父の福信は、どんな思いで戦ったのか。集斯は、父の福信の事を考えていた。父を最後に見たのは百済が滅びる前であった。父は西部の恩率で出向いたが、自分は学問のために|泗沘《しひ》に残った。
臥薪嘗胆、そんな言葉が良く似合う男だった。武骨者だが、やけに人懐っこいところがあった。その上、自分にも人にも厳しいところがあった。子供の頃には良く殴られた。
自分は学問が嫌いで武骨者で通したくせに儂には学問を求めた。
此度の新羅出兵は百済人の中でも意見が割れている。海を渡って倭国に落ち着いて八年の月日が経っている。未だに半島では戦いが治まっていないから、今でも海を越えて来る者達が後を絶たない。三百年以上前から高句麗・新羅・百済の三国は争ってきた。ところが唐の介入により百済高句麗は既に滅んだ。いまは高句麗復興運動に新羅兵が助力することで、唐と新羅の全面戦争に変わっている。
唐の高宗は倭国軍の介入を呼びかけている。いま倭国が介入して新羅の王都である鶏林へ向かえば十分な勝機があると思う。半島じゅうに戦線が拡大している新羅兵供は帰る場所を失うのだ。小気味良いではないか。倭国が介入して新羅を滅ぼせば高宗は旧百済の地と旧新羅の地を与えると聞いているが、これが今ひとつ信用できない。新羅滅亡後、唐と倭国の対決となれば海を渡って戦わねばならない倭国が不利なのは火を見るより明らかだ。
しかし約束が守られるのであれば、百済へ帰りたい。白馬江の流れに身を委ねたい。
父の福信が暮らしたと言う岩窟を見てみたいと思った。幅三間、高さ一間、奥行き二間程と聞いた。父はそこで鬼となって生き、鬼として死んだ。最後は糺解(余豊璋の王名)に謀反を疑われて斬られた。儂も鬼として生きれるだろうか。
しかし、百済人も大和人もみな父を悪く言う者など居ない。父あっての百済復興運動だったのだ。儂が賜爵されたのは父の功ではないか。父が生きていれば白村江でも勝っていたやも知れぬ。世間知らずの王を持った父親の無念を思うと涙が零れた。