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2―1 暗夜

出席番号9番 小島明音の話



 制服を整えるために鏡を見る。いつもどおりそこには冴えないわたしがうつっていて、なんだかため息をつきたくなった。


 目にかかるくらい長い前髪は昔からのことで、こんな性格だから下を向いちゃって。でも、変わろうなんて思えなかった。


 ちゃんと手入れはしているからサラサラしてるし、重たい黒髪もストンとまっすぐ落ちればきれいに見える。けどやっぱり暗いのは、わたしの顔のせいかなあ。


 胸くらいまであるセミロングは、今日も窓から吹き込む風にゆらゆら揺れる。



 前よりはよくなったの。ストレスのせいか随分痩せたきりそのまま、ニキビもあの頃に比べるとほとんどなくなった。



 けど、なあ。


 机の上の写真立て。飾られた写真は今日も視界に入らない。今は大学のために一人暮らししてるお姉ちゃんと、何年も前に撮ったツーショット。わたしの、コンプレックス。



 これじゃあダメだと思ったときもあった。変わらなきゃいけないんだって思ったときもあったの。自分が変わらなきゃなにも変わらないんだって。


 でも実際、そんなことはないんだよ。わたしだけじゃどうにもならないことだってあるの。全部が全部、自分から動けばなんとかなるものではない。



 傷つけられた分、人って臆病になってしまう。裏切られた分、人を信じたくなくなってしまう。


 重ねれば重ねるほどそれは枷になって、どんどん動きにくくなる。どんどん動けなくなってくる。



 脳裏に焼き付けられたあの人たちの笑みと笑い声は今日も消えない。頭の奥で響いてわたしを笑う。


 変われば変わるほどわたしを嘲笑う世界も、今日も消えない。わたしから消えるしかないのかなって、何度も思った。消える勇気はないけれど。



 どの方向を向いたって、批判をする人はいるんだろうけど、きっと肯定してくれる人だっているはず、だよね。それが間違った方角でなければきっとそうだよね。


 ああそれならわたしが向いてきたのはどれも間違いだったんだって、気づけば四方八方向いていて。わたしは結局なにも変われないままだった。




 だけど、そんなわたしにとって救いだったのはあのクラスの存在だった。安らぐことができるオアシスといっても過言ではないかもしれない。


 みんな、わたしのことを嘲笑ったりしないから、安心して安らげる。背負ったものは消えなくても、今がそれなりに穏やかならもういいかなと、そう思うの。




 準備を整えたわたしは学校へと向かう。両親との挨拶はほとんど作業。行ってきますにも行ってらっしゃいにも、なにもこもらないな。


 お姉ちゃんみたいな、優秀な子じゃなくてごめんね。



 時計の長い針がてっぺんをちょうどすぎる頃、わたしは教室に足を踏み入れる。電車の時間は遅延がない限り大きく変わらないなら、毎日その誤差は三、四分。


 わたしが教室に入るのはたいてい二番目で、一番目に来た人は準備を終えたところで席についている。手元にはいつもどおりいくつかの課題。



 いつも一番目に来るのは、隣の席の椎名晃。


 「椎名くん、おはよう」


 いつものように声をかける。そうすると彼は課題をやる手を止めて、こちらをちゃんと向く。


 「おはよう、小島」


 ゆったりと、こんなわたしにも微笑みかけてくれる。だからわたしも、できる限りの笑顔で返す。


 ただ笑顔で挨拶されるだけでも心が救われる。中学の頃はこんなことなかったから。



 認識されたくない、人と関わりたくないという人がいるように、認識されたい人もいる。わたしは認識されたい側。


 正確に言うと、いない者として扱われるのが辛いほう。確かに人は信用できないけれど、人と積極的に関わりたいとは思わないけど、無視されることはまた嫌な記憶を引きずり出す。



 「それ、今日までのやつ?」

 「そう。終わんなくて」


 椎名くんは一生懸命考えながら、わりと難しい課題に取り組んでいる。それなのに、わたしの問いを無視しない。



 椎名くんはわかってる。他のみんなもわかってる。わたしが無視されるのが苦手なこと。


 視線は合わなくてもいいからこちらを向いてほしい、私も向くから。なにかしながらなら言葉だけでいい。構わないでほしいなら優しく断ってほしい。


 わがままと言われるかもしれない。でも、無視されて、見下され続けると、それに匹敵するような誰かの仕草に心が騒がしくなる。



 ありがたくって、申し訳ない。椎名くんはきっと、あまり人と関わりたくない派のはずなのに。


 「……見せてあげよっか?」

 「いいの?」


 お礼のつもりだった。申し訳ないから。


 「うん、お礼」

 「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 課題を渡すと、椎名くんはお礼を言った。



 それきり会話は途絶えて、こちらから話しかけない限りはなにも返してこない。わたしももう話すこともないから話しかけることもしない。


 冷めた関係かもしれないね。確かに冷たいかもしれないね。


 わたしたちの関係はお互いの利害しか考えてなくて、わたしはきっと椎名くんじゃなくてもいいし、椎名くんだってそう。他人には興味はなくて、自分の世界でそれぞれ生きている。



 けれどみんななにかしら抱えていて、だからこそ自分がされたくないことはしないし、人の望むことがわかれば可能な限り叶えてくれる。たとえばわたしの、こうした何気ない会話とか、それほど労力を費やさないこと。


 多分みんなね、誰かのために一生懸命にはなりたくないんだと思う。わたしだって、そうだから。



 わたしと椎名くんの会話が終了して数分。八時五分を回る頃、誰かがわたしの肩を小突く。



 「小島さん、おはよう」


 いつもどおりわたしに挨拶をしてくれるのは、椎名くんとどこか似ている山川志津。山川さんと椎名くんが似てるのは、なんというか雰囲気が似ている。


 二人には通ずるものがある気がするの。多分、同じようなことがあったんだと思うよ。



 それからしばくして、チラホラと人が集まり始める。教室に入れば挨拶を交わす人は交わして、そうじゃない人はすぐに席について。それぞれが自分の世界へと浸っていく。


 外からの干渉を嫌い遮断するように壁を作って、人との関わりを拒絶する。



 いつもならそうして、わたしもわたしの世界に入っていくんだけど。




 「おはよう、小島さん」


 声をかけてきたのは、転校生の夕陽さん。ニコニコと笑みを浮かべて楽しそうにわたしに挨拶をする。


 「夕陽さん、おはよう」


 名前はなんだっけ。えっと、夕陽綺羅々だったと思う。名前のようにキラキラとしているけれど、どこか不思議な雰囲気の人だ。ちょっと読めないというか。



 「ねえ小島さん、お話しよう」


 夕陽さんはニコニコと笑ったまま、わたしにそう提案をした。



 お話、お話は、それはまあ構わない。多分。大丈夫、大丈夫だけど。なにを話すつもりなのかな。


 まっすぐとわたしを見つめる目は、なにかを見透かしているようだった。ドクドクと心臓が大きく鳴って、断れと指令している。


 けど、夕陽さんがわたしになんの用か、気にならないわけなくって。



 「少しなら、いいよ」


 頑張って浮かべた笑みはきっと引きつっていた。頬の筋肉が緊張していて、一生懸命笑っている感じがした。



 わたしは、変わることが苦手。多分嫌い。怖いのかもしれない。


 自分を変えられないから、優柔不断なままこうして引き受けてしまう。断る自分はまだいないから、変わらない限り出てこないから。



 だからわたしは夕陽さんと話すって言っちゃったけど、会話に誘われても断れないけれど、椎名くんや山川さんだったらきっと嫌がるだろうな。わたしと話してくれるのはずっとそうだったから、わたしは害がないから。


 でも、夕陽さんはまだわからない。夕陽さんに関してはわからないことだらけだ。



 そんなことを考えながら、すぐそばに立っていた夕陽さんを見つめる。


 ほんとにすぐそばに立っていたけれど、視線を合わせるためか夕陽さんはちょっとしゃがんだ。もしかしたら、小さな声を出すためかもしれない。クラスがとても静かだから、小さな声を出したかったのかも。


 それとも、上から見下すようになってしまうのが嫌だったのかもしれない。すぐそばに立っていてこちらが座っていると、どうしても夕陽さんが見下すような形になってしまうから。



 しゃがんだ夕陽さんは、優しくニコリと笑いかけてきた。


 「実はね、お話というか頼みたいことがあってね」


 わたしの反応をうかがうように、首を傾げながら夕陽さんはわたしを見上げる。



 「頼みたいこと?」


 聞くくらいなら、くらいのつもりで問い返すと、夕陽さんはぱあっと明るい顔をする。


 「あのね、実は、まだ学校案内とかしてもらってなくて。職員室と保健室くらいはわかるんだけど、他の特別教室はあんまわかんなくて。だから小島さんに案内お願いしたくて」


 いいかな、とお願いしてくる夕陽さん。少し考えてみたけれど断る理由は特にない。



 ただちょっと気になったのは、夕陽さんが転校してきてからもうすでに二週間以上経ってるってこと。これだけ経過してれば誰かしらに校内案内くらいって、思うんだけど。



 一日目に委員長に話しかけていたのは目にした。委員長なら、校内案内くらい頼めばしてくれそうだよね。案内するのも職員室や保健室だけじゃなくて、移動教室で使うところはあらかた教えてくれそうなもの。自分から案内すると言い出さないとは思うけど。


 そのあとは、どうだったかな。千島さんとなんかしらあったみたいだし、よく話しかけていたっぽい。千島さんは多分頼んでも無理かもしれない。



 だけど、その二人以外には話しかけなかったのかな。二週間、誰に頼んでも断られた、なんてことはなかっただろうに。


 ちょっと疑問に思うし、断る理由はなくともちょっと嫌だなって思うけれど、それこそ断るのもなんか嫌で。



 「わたしでよければ、いいよ」


 そう答えて、一生懸命に笑いかけた。



 頬の引きつる感覚、多分笑顔が引きつっている。ああいやだいやだ、ちゃんと笑わなきゃ。不細工な顔、前髪で少しは隠れてるかな、まだマシな顔できてるかな。


 気になるのは顔のこと。植え付けられたコンプレックスは、トラウマは、やっぱり今日も牙を向く。



 放課後までは、いつものようにぼんやりと過ごした。それとなく授業を受けて、それとなく放課を過ごして。


 多分、夕陽さんは案内を断られると思っていたんだと思う。放課後になりSTが終わった瞬間にわたしの前に現れて、ニコニコと笑みを浮かべながら立っているのを見てそう思った。


 すごい楽しみにしていたらしく、ワクワクとした表情を浮かべ、荷物を持ってわたしを急かす。いつの間に、準備を済ませたのか。わたしが遅いだけかな。



 早く早くと急かす夕陽さんの言葉を聞き流しながら、わたしはまだ終わってない準備を済ませる。


 鞄のチャックを閉めてじゃあ、と夕陽さんのほうを向いたら、夕陽さんは相変わらず鞄を肩にさげたまま。校内の案内なら時間がかかるかもしれないし、鞄はおいていけばいいのに。



 「荷物は教室においていったら?」


 重いよ、と付け足すと、夕陽さんは少し驚いたあと、「たしかにそうだね」と笑っていた。そうしてわたしの机に荷物を置く。



 驚く気持ちはわからなくもない。だけどわたしは、関わると決めてしまったならちゃんと関わるから。



 夕陽さんが荷物が倒れないように整えている間に、わたしは前髪を触って整えた。少しでも顔を隠したかった。お姉ちゃんよりも劣る自分の顔を。




 「……結構広いねえ」


 案内をしている最中に、夕陽さんがふと呟いた。


 一学年七クラス。三学年で二十一クラスもあれば校舎もそれなりに広いし、美術室や音楽室は二つずつあったりする。そうなると当然校舎も広くなって、また部室や空き教室もある分また広い。普通科だけの高校で、別に専門科があるわけではないんだけど。


 だから、特に気にしたことはなかったんだけど、言われてみれば広いのかもしれない。



 なにか気になることといえば、わたしたちのクラスが七クラスあるうちのど真ん中、四組であることくらい。教室の配置的に二学年は四組が隅になるのと、多分端っこのクラスにするのはあからさますぎるからだけど。


 だけど、気になることはもってのほかとして、言われてみれば広いかも、なんて、思っても口には出さなかった。話が大きか広がっていきそうで。


 だから、そうだね、と軽くあしらってしまった。次の教室についても説明しなきゃいけないし。



 なにより、キラキラとした夕陽さんの隣に立っているのが、だんだんと惨めで辛くなってきてしまったから。



 初めて見たときから夕陽さんはすっごく可愛かった。可愛いというか綺麗というか。


 近くで見ても肌は綺麗で、一度も荒れた様子はない。顔だって整っている。


 目はぱっちりとした二重で丸くて大きくて、まつ毛は長くゆるりとカールしている。鼻は高すぎず低すぎず、程よくふっくらとした唇はとてもやわらかそう。肌が白いけれど血色はよく、頬はほんのりとピンク色に染まっている。


 すらりと伸びた華奢な手足、ちょうどよく可愛らしい身長。長い栗色の髪は、それこそ手入れが行き届いて艶々としている。


 モデルをしてますと言ったって納得してしまうだろう。今やってないのは身長のせいかなって思うくらい、人目を引く容姿をしていた。



 多分、夕陽さんはお姉ちゃんよりも可愛くて美人。化粧次第ではものすごく綺麗になるんだろうなって顔立ちをしている。


 それでもどこかお姉ちゃんを彷彿とさせるのは、それだけ整った顔立ちの上に浮かべられた笑顔が、やわらかくってふわふわとしていたから、かもしれない。



 わたしが憧れたルックス。ここまで完璧じゃなくても、お姉ちゃんくらい可愛ければと何度も思った。肌荒れも、太るのも、お姉ちゃんと同じような生活をしていたはずなのになんでかなって、何度も何度も。



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