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3―4



 「椎名くん、逃げてくれる?」


 ずりずりと足首を縛られた状態で、なんとか俺の背後に回り込んだ山川がそんなことを言った。なにをするのかと問う前に、丁寧に縄を解いていく。


 なんで、どうして、なんて問う暇さえ与えられず、自由になった手が思わず山川の腕を掴んだ。


 動じず、山川はじっと俺の目を見つめる。



 「あたしが囮になるから、そのうちに逃げて誰か呼んできて」


 その言葉に隠された覚悟とはいかほどか。囮になるなんて、もうすでにそれだけ酷いことをされているのにまだ的になるだなんて、生半可な気持ちじゃ言えないはずだ。


 まだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、言い聞かせてやっとそう言える。



 「椎名くん、あたしを信じて」



 山川はそう言うけれど、信用するべきは山川で、山川が俺のことを信用していなきゃ成り立たない事案。俺が一人で逃げずに誰か呼んでくるはずだと、信じているからこそ頼める。



 山川の目は真剣だった。確かに俺を信用して頼んでいる目をしていた。


 そうして、また山川だけが傷つけられるのだろうか。



 俺は山川の腕を掴んでいた手を下にずらし、その手首を縛っていた縄を解いた。次いでに足首の縄を解いてやると、山川はきょとんとして俺を見つめる。




 「主導権を握っているのはあの女だ。このあたりは、山川のほうが詳しい可能性のが高いだろ。だから俺が囮になる」


 痣だらけの身体はあちこちが痛むだろうけど、そんな状態で満足に走れるかわからないけど、さらに傷つくよりはマシだと思った。それに山川より、傷一つない俺のほうが殴りがいはあるだろう。



 本当は、申し訳なく思ったのもあるし、山川が俺を信じてれるなら、俺も山川を信じてみようと、そう思ったから。



 「信じてるから」



 そう伝えると、見開かれていた目がぱちぱちとまばたきして、大きくゆっくりと頷いた。



 まっすぐと俺を見つめる目が、雪花たちが出ていったほうとは別の方角を見つめた。出口が一箇所しかないと思っていた俺は、山川が動き出す前に問う。


 「そっちにも出口があるの?」

 「……多分。あたしの知ってるとこなら」


 小さいときによくかくれんぼに利用したから、なんて言って笑った。人があまり来ないから、勝手に使ってもバレないんだと。


 「できる限り早く戻ってくるから」


 すぐに、とは言い切らなかった。できる限りと濁した言い方は、かばうように撫でたその足が関係してるだろう。


 さらに傷つくよりマシだと思ったけど、こんな状態で急がせるのもまた申し訳ない気がした。



 「悪い」


 そう軽く謝れば、山川は小さく目を見開いてふと微笑んだ。


 「ううん、大丈夫。むしろ、ありがとう」


 ふわりと消えそうな笑顔は、でも確かにそこにあった。作り笑いではない、心からの笑顔に俺も自然と口角が上がる。




 山川は一度見た裏口らしいほうに走っていった。足音を立てないように気遣いながらスタスタと歩いていく。そのまましばらく経っても戻ってくることはなかったから、おそらく裏口があってしかも開いていたのだろう。


 それならやはり、ここは山川の知ってる場所かもしれない。山川に行ってもらって、正解だったはずだ。



 そう思わなきゃ、嫌な考えばかりが頭をぐるぐると回り始めるのだ。考えないように、考えないようにとすればするほど。



 だけど、その思考すらもぱたりと打ち切られたのは、コツコツとわざとらしく立てられた足音が聞こえたから。低いヒールの靴の踵をわざと大きく鳴らして、雪花は俺のほうへと近づいてきて、その違和感に気づいた。



 「……ねえ、志津は?」


 脅すような目線。ギロリと睨みつけてくる。一瞬怯んだけれど、でも負けじと睨み返した。




 四対一がなんだっていうんだ。俺だって昔はスポーツをやっていたわけで、むしろスポーツくらいしかやってこなかったわけで。一方的にやられるだけじゃ、終わらないはずだ。


 だって、きっとそうなるから、俺の腕を縛ったんだろう。



 胸ぐらを掴んで殴ろうとしてきた大翔の頬を思い切りはたいてやった。グーで殴るよりは痛くないだろうと思っていたけど、でも多分かなり痛いんだろうなと、同じくらいのダメージを負ってじんじん痛む右手を見てそう思った。


 するりと胸ぐらを掴む手が緩んだ。横から割り込んだ雪花が、反撃しようと構えた俺の手を掴んだ。



 「志津がどこに行ったのか答えてよ。そしたらあんたは見逃してあげてもいいけど」


 自信たっぷりの笑みは、俺があっさり山川の居場所を吐くと思っているからだろう。


 冷酷クラスだなんて呼ばれるとこに通っているけど、どんなに愛想がなくて他人に冷酷でも、そこまで腐ってはない。



 ……第一、そうなったのは誰のせいか。原因である奴らにこそ、愛想を振りまく意味などないだろうに。



 「さあ、知らねえよ」


 教えないとは言わない。それは知っていることを伝えることになる。



 雪花が俺を突き飛ばした。思ったよりも力が強くて尻もちをつくと、そのすきに腹を蹴り飛ばしてくる。ずっしりと重たい痛みに、うずくまりかけた瞬間を狙って、雪花たちが次から次へと殴る蹴るを繰り返した。



 体のあちこちがずきずきと痛んだ。あちこち蹴られているのがわかった。わかったけど、でも一人分足りない気がした。




 「……大翔、なんで見てるだけなの?」


 確実に、脅しをかけるような声をしていた。視界の隅で見慣れた顔が青ざめて肩を震わせた。



 ……高校で意気投合した? 友達? とは言ってなかったか?



 ただ、大翔のその顔をいつかどこかで見たことがあるような気がした。雪花があまりにも俺に対して躊躇いが無さすぎる気がした。



 「入る隙ないなって、思ってただけだよ」


 平静を装って俺を蹴り飛ばす足を、意識が朦朧としかける中でなんとか掴んだ。思い切り引っ張って転ばせてやろうと思った。


 雪花たちは一斉に攻撃してくるから、反撃自体を封じ込められていたけど、今の一人きりの攻撃は反撃のしようがあった。なのにどうして、躊躇ってしまったのか。あんなやつの顔なんて、見なければよかったんだ。



 引っ張ってやろうとした手が、ただ強く掴むだけしかできなくて、その手すら振り払われそうになったときだった。ドガッとなにかを蹴り飛ばすけたたましい音がしたのは。


 雪花たちの視線がそちらを向いた。大翔もちらっとそちらを見た。俺はその音に驚いて足を掴んでいた手を離した。





 「やっと、見つけた」


 凛とした声は、誰に向けられたものだったのか。鋭く冷たいナイフのような声と言葉は。


 なんとか体を起こした。雪花たちが息を呑んでいた。


 何気なく、視線の先をたどってみれば、息を切らした制服姿の夕陽さんがまっすぐと雪花を見つめていた。ギラギラとした目は、復讐の相手を見つけたような鋭さと冷たさを放っていて、放っておけば相手を殺してしまってもおかしくないとさえ思うほどに恐ろしかった。



 ただ、クラスメートを傷つけられた人の顔じゃなかった。雪花を通して誰かに向けられた、深く淀んだ恨み辛み。雪花自身に向けられた、感情の渦巻いた怒り。




 「集団リンチなんて随分ダサい真似をするのね。普段のあなたからは考えられない」


 雪花と知り合いなのだろうかと、そう一瞬だけ思った。


 「はあ? なんなの、普段って。わたし、あんたなんか知らないんだけど。気持ち悪っ」


 雪花のその言葉で、知り合いでないことはわかった。夕陽さんが雪花のことを一方的に知っているだけで。



 強気で言い返す雪花だけれど、姿勢はすでに引き気味で、夕陽さんに対して恐れをなしているのがよくわかる。


 それくらい、今の夕陽さんはおそろしかった。



 その背後からこっそりと倉庫の中に入ってきた山川は、小さなポーチを持って俺のそばによってきた。雪花が睨みつけたけれど、山川は一瞬怯んだだけで構わず俺にそばにしゃがみこんだ。


 夕陽さんがじりじりと距離を詰める。雪花たちが何歩か下がって、俺と距離をとった。



 「……これ、夕陽さんが持ってて。夕陽さん、探しに来てくれたみたい」


 ポーチの中に入っていたのは、湿布やら消毒液やら絆創膏やら、そういった救急箱に入っているようなもの。それを使って、血が出ていたかすり傷や打撲のような痣に手当をしてくれる。


 夕陽さんが、探しに来てくれた。学校を不自然に休んだからだろうか。だからといってそれだけでわざわざ探しに来るものだろうか。



 「遅くなってごめんね」



 こちらを向かないまま、雪花たちと向き合ったまま夕陽さんは呟いた。ゆらゆらと栗色の髪が揺れている。



 雪花は夕陽さんから目をそらし、きっと山川のほうを見た。夕陽さんの後ろにいるはずの俺たちを、夕陽さんを視界に入れないようにしながらその目に捉える。



 「志津、あんた、玩具のくせに余計なことしたわね」


 ギロリ、と効果音がつきそうなほどに山川を睨みつける雪花。わざと雪花のほうを見ないように背を向けるようにして、山川は手当てに集中している。その手は小刻みに震えている。



 冷え切った空気なのに、俺はなんとなく生ぬるくすら思えた。


 信じてみて、その期待は叶えられた。山川は戻ってきてくれて、今こうして手当てをしてくれている。反抗したことでなにか吹っ切れたのか、雪花を睨み返すことはできなくても、たしかに強い思いをその目に宿しながら。


 呼んできた誰かが、一見か弱そうな同級生でも。




 夕陽さんがふふっと笑った。表情は見えないけれど、きっと穏やかに笑っている。


 「志津ちゃんはあなたの玩具じゃない。志津ちゃんだけじゃないよ。あなたが道具のように思っている人たちだって、あなたの物じゃない」



 夕陽さんはポケットに手を突っ込んで小さな機会を取り出した。テレビでたまに見る、録音機だ。


 音量を最大に調節したそれの再生ボタンを押すと、自然とその場は静まり返り、機械の最初に録音されたノイズだけが聞こえてきた。




 『雪花って調子乗ってるというか偉そうじゃない?』


 ピクッ、と雪花が眉をひそめる。



 『うちらのこと下に見てるけどさ、親が金持ちとか権力者とか言われてるから従ってるだけじゃん。雪花自体は好きじゃないし』

 『早くクラス替えしないかなー、雪花と離れたいー』


 雪花の友人と思しき人物たちが、雪花への不満をこぼしている。こんなものどこで録音し手に入れてきたのか。


 ただ、いいように使われている人物に、雪花を良いように思っている人はいなくて、くる人くる人ただ雪花への不満をこぼしている。その声は、李梨花と乃愛と呼ばれていた二人のも含まれていた。



 録音機を通した声では雪花にとって確信に変わらずとも、後ろで聞いていた二人は青ざめている。声は次第に男も混じり、男子生徒もポツポツとした不満をこぼす。



 『雪花? 顔だけじゃん』


 誰の、声だったのか。



 雪花が突然に動いた。勢いよく夕陽さんに迫って、振り上げたその手で夕陽さんの頬を思い切り叩いた。乾いた音が嫌に響く。


 山川はその勢いと音に目をつむった。迫った雪花に肩を震わせ、耳を塞ぐ。



 俺は。



 夕陽さんは、強烈な雪花のビンタを受けて、むりやりそっぽ向かされた目で、再び雪花を捉えた。俺は右手でぐっと拳をつくる夕陽さんの姿を見ていた。



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