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拷問官之狂想録  作者: すけ介
8/8

悩恋薫

「なに、かしら?」

隊長からもらった休暇をもて余し、町を歩き回っていた彼女の目に何やら騒がしい人混みが見えた。どうやら1ヶ所に集まるというよりも、遠回しにその場を見ているような印象だ。

「すみません。なにがあったんですか?」

「ん? 嬢ちゃんが1人こんな場所に着ちゃタメだ! 早く帰んな。殺人事件があったらしくて、まだ犯人は見付かってないって話だ」

「殺人事件? 詳しく教えてもらえますか?」

「兎に角ここは離れな。危ないからな!」

「…………」

どうやら男は話す気はないようだ…。それも全て彼女を心配してるが故の行動だけに彼女もそれ以上掘り下げることはできない。

「殺人事件、か…。戻らなきゃかな…」

憲兵、というのは休暇中でも召集がかかることがある。それは貴族の護衛や大事件の捜査。災害の支援など様々だが、今回もそれに該当する可能性があった。しかし殺人事件くらいで隊長が彼女を召集するかは怪しいところだが…。

「あれ?」

彼女の目に見覚えのある人影が映った。黒い長髪とその特異な雰囲気は印象的だ。見間違える筈がない。しかしそれ以上に彼女には信じられないことがあった。

「女の子?」

背丈は凡そ15歳くらいだろう。白を貴重とした軽やかなワンピースを纏い、腰にはフワフワとした雰囲気を纏める革ベルトが締められた少女が彼の隣を歩いているのだ。

「何故彼と…」

彼女の記憶では彼の古城にいるのは配下らしき男2人と女が1人。あとは彼の手に掛かった受刑者だけだった。決して彼女のような若き乙女の姿は無かった筈だ。しかし彼女の瞳は実際に彼と少女の歩く姿を見ている。大きな矛盾に彼女の頭はズキズキと痛んだ。

「…………」

結局どれだけ考えようと全ては自分1人の話。彼にとって自分が憂鬱な存在であることは彼女自身が一番よく知っていた。憂鬱な存在の考えることなど彼にとっては意に介す必要もない。彼女はトボトボとした足取りで大きな通りをゆっくりと進んでいった。

ドンッ!

「っ! す、すみません…」

「大丈夫ですよ。ボウッとしていたようですが、どうされましたか?」

「あっ、はい。実は考え事をしてまして…。関係ないですよね。ゴメンなさい」

「お気になさらずに。それでは!」

「はい…」

歩き去る青年の背中に彼女は自然と彼を重ねた。何気なく去っていく背中は彼によく似ていた。自分が触れられない背中。彼女の瞳は自然と憂いを帯びてしまう…。

「ダメだな、私…。ちゃんとリセットしとこ…」

明日から始まる仕事にこんな暗い気持ちを持ち込んではいられない。自分はこの町を守る憲兵であり、失敗は許されない。こんなコンディションでは普段の業務でさえミスしてしまう…。

「ご飯食べに行こ…」

彼という名の拷問官への訪問は彼女のような物好きでない限り受け持とうとはしない。故にそんな業務をこなした彼女には臨時ボーナスがあった。訪問寸前までギリギリの生活をしていた彼女だが、今は少し財布の紐も緩くなっている。

カランカラン…

行きつけの喫茶店に入ると見慣れた店員の姿がそこにはあった。既に常連となった彼女はいつも座る席に移動。羽織っていた上着をソファーの隣に置くと、気を静めるようにゆっくり目を閉じた。

「ご注~文はっ!?」

「っ!」

「あはは、驚いた?」

「もう、止めてよ。今日そんな気分じゃないの…」

「どうかした?」

「まあね。それより注文…、えーと…」

「急がなくていいわよ。どうする? 適当にコーヒーだけ?」

「お昼食べに来たの。チョイスは任せるわ」

「りょーうかい!」

歳も近いということがあり彼女らは店員と客でありながら、既に親友と呼び会える仲になっていた。故に元気のない彼女が心配。そんな気持ちを抱きつつも、親友であるが故に踏み込みすぎないようにしていた。

「はぁ…」

何気なく、心に重くのし掛かる気持ちを吐いてみた。しかしそれが彼女の心を楽にすることはない。事実は、記憶は変わらないのだ。

「お待たせ。ホントに元気ないね?」

「あれ? 2つ?」

「わ、た、し、の!」

「仕事はいいの?」

「大丈夫大丈夫。昼休憩だから!」

十中八九無理矢理休暇にしたのだろう。一応制服であるエプロンを畳み対面に座った彼女は自分の持ってきたコーヒーを一口。いまだ口をつけていない彼女を目を細めて見据えた。

「なに?」

「失恋?」

「なっ!」

「当たりみたいね」

「…………」

「貴女は変なことで落ち込むほど繊細じゃないわ」

「酷くない?」

「酷くない。それが貴女よ」

「…………」

「まあいいわ。んで、相手は誰なの? 同僚だったり?」

「違うわ。なんというか…、んー、同僚っぽいけど違うっぽい…」

「ハッキリしないわね。なに? 結局だれ?」

「私が定期調査に向かってる所の責任者…。あまり会わないけど…、なんとなく察してくれてたみたい…」

「責任者って…。随分とお偉いさんなのね?」

「うん…。けどハッキリ断られちゃった…」

「ハッキリって…、嫌、とか?」

「来るなって…」

「定期調査なんだから仕方ないじゃん!」

「領主様が定期調査を他の人に任せたみたい…」

「っ!」

「嫌われちゃったのかな…?」

「え、えーと…」

彼女の瞳に再び涙が浮かんだ。2週間に1回程…。しかしそれが彼女の中では心の支えになっていた。邪険に扱われるのは分かっていても、出掛けるまでにはどうしても心が待ちきれない気持ちで一杯になる。そして毎回酷いことを言われて帰る…。このサイクルを理解していながらも、これさえ消えてしまうとなると彼女としては大きな消失感を抱かずにいられなかった。

「話、聞いてくれてありがとう。少し楽になったわ」

「う、うん。なんかゴメンね。思い出させたみたいで…」

「いいの。ありがとう」

「…………」

流石に泣かせたみたいになって彼女としては心が痛んだ。何も言えない。そうして彼女は戻っていった。その背中を見送り、再び俯くと透明な滴が机を濡らしてしまう。

「…………」

あれだけ泣いたのに、まだ涙が出てくる。外は明るくともその心は暗い曇天だ。踞った彼女の胸には恋情の残り香が色濃く輝いていた。


「なんかゴメンね…。変な雰囲気持ち込んじゃった…」

「気にしなくていいよ。話ならいつでも聞くしさ!」

「うん、ありがと…」

どう元気付ければいいのか分からない。親友であっても彼女は店員である。背中を追って慰めることはできないのだ。悲しそうな背中は何もできない彼女に罪悪感を抱かせていた。

「うわっ!」

ドンッ!

踵を返し店内に戻ろうとした彼女に鋭い悲鳴が聞こえる。親友の声。しかし彼女は普通の男達では手も足もでないほどの手練れの筈…。しかし彼女の目に映ったのはその心にあった前提を打ち砕く、投げ飛ばされた親友の姿だった。

「人の足を踏んで詫びもなしかよ。笑えんな」

「なっ、貴方が急に足を出したんでしょ!」

「んあっ! 俺が嘘をついてるっていうのかよ!」

「そ、それは…」

「誠意見せろよコラ! おいっ!」

「っ……」

彼女は抵抗できなかった。単なる荒くれに見えた為、初めは軽くあしらおうとした。しかしその傍らに置いてある剣や、一つ一つの身のこなしなど…、油断できない相手なのは直感で気付くことができた。

「お前、憲兵だよな?」

「っ!」

「ふんっ! ならお前のお上に聞いてやろうじゃねえか。俺かお前か、どっちが正しいかな!」

男の大きな手が彼女の華奢な腕をガッチリと掴んだ。しかしここでも彼女は抵抗できなかった。何故なら男の方が手練れなのだ。既に彼女の心は日頃の一日常ではなく、時折経験する毛の逆立つ緊張感に満ちていた。

ザンッ!

「ぐはっ!」

「見付けた。お嬢様に報告を」

「はっ!」

全てが一瞬で変わった。目の前には剣を持った彼が現れ、その刃が彼女の腕を掴む男を襲ったのだ。到底瞬時に理解できるものではない。しかし彼女の瞳は熱いものを帯びていた。

「どう、して…?」

「定期調査の奴…。何故ここにいる?」

「その……」

「まあいい。重要参考人にはかわりない。来い」

「え、ちょ、あっ…」

時は夕方。時間帯が遅いこともあって既に彼の隣には昼間見かけた少女はいない。後ろには彼の配下である男が例の腕を斬りつけられた男を背負い、淡々とついてきている。

ドオッン!

「きゃっ!」

路地裏にある古民家の扉を蹴破り、彼は彼女をこの中に押し込んだ。既に太陽は落ちあたりは暗くなっている。配下である男は途中で例の男と共に消え去り、ここには彼と彼女だけが存在した。

「質問1、お前は何故あの男といた?」

鍵を閉め窓を閉じられた空間は男女たった2人という状況を考えればあまりに危険。しかしその空間には違った緊張感が走り、威圧感のこもる言葉には刺と共に血生臭さを纏っていた。

「た、ただ帰りに会っただけよ!」

「質問2、どういった関係だ?」

「関係なんてないって! 単に彼が足を突き出してきて…、それで絡まれただけなのに…」

「質問3、その回答に命をかけられるか?」

「どういう意味?」

「答えろ」

「だからどういう意味よ!」

ザンッ!

「っ!」

彼女の目の前を漆黒の刃が横切った。彼の瞳は驚く程澄んでいて、どこまでも暗黒が広がっている。彼女は思わず膝を折った。

「偽りであれば斬る。答えろ。真実か?」

「あ、あっ、当たり前よ!」

「そうか…」

彼の長剣が虚無に消え去った。いまだ空間を漂う緊張感は拭えない。しかし額を流れる冷や汗はいつの間にか乾き始めていた。

「すまない。怖がらせた」

「あの、拷問官さん、どうして貴方が…?」

「極秘事項だ。詮索しないでくれ」

「…………」

「今日は送る。夜道は危険だ」

「はい…」

呆気なく終わった尋問はこうして幕を閉じた。そして古民家を出た2人は妙な緊張感と共に人の少なくかけている大通りを歩いていった。

「昼間の子は、誰ですか?」

「新しく配属された。身寄りのない子供だ」

「配属? あの城にですか?」

「然り。故に環境を整えるため身の回りのモノを買いに来させた」

彼女に合わせた彼の歩幅は小さく、また彼に合わせようとした彼女の歩幅は大きかった。歩く背に長く影が伸びる。広大と呼べるほどに広いこの町は移動するだけでも時間がかかり、2人が大通りを歩き終わらぬ間に人の影は消えてしまった。

「あの、暗くなってきました…」

「夜目は効く。家で良いのだな?」

「ご存じなのですか!?」

「この町周辺の民家は把握済みだ」

「…………」

城壁を越えた先には疎らな民家が城壁を中心として周囲を大きな村のようにして囲んでいた。その距離は平野の続く山林地帯の手前まで。河川を数本取り込んだ大きな村は、段々畑のようにして沢山の人々が暮らせる設計が施されていた。

「あの、そういえばお嬢様とは…?」

「領主様だ」

「っ!」

「何故驚く?」

「な、何故って…、領主様は侯爵様でありその…」

「見た目が幼くともアレは幼子ではない」

「し、しかし…」

「ついたぞ」

「…………」

城壁から約800メートル程進んだ場所に彼女の家はあった。あまり大きくなく二階建ての家は人が2人住めば安定といったところだろう。彼は背を向けた。しかしその手は彼女にギュッと掴まれてしまった。

「なんだ?」

「あの、今日はありがとうございました。また、お会いできることを」

「願っている。またどこかで」

「はい!」

彼のそんな言葉は彼女にとって最高に嬉しい言葉の1つだった。また会えることを、願っている。彼女は歩き去る彼の背中を眺め、ポッと赤くなった頬をペシリと叩いた。

「ただいま~、って、誰もいないや…」

両親はとっくの昔に他界。年の離れた兄は時折帰ってくるだけでここ数ヵ月は便りさえ来ていない。彼女は苦笑いと共に階段を上がると、荷物を置いて一階のリビングまで戻った。

「またどこかで、か…。会えるかな…」

彼の真意を知ることはできない。しかし彼女はそれでもよかった。自分に、この寂しい自分に少しでも夢を見させてくれるのなら…。彼女は心配そうに歩み寄ってきた猫を抱き上げると、フッと笑みを溢し懐一杯にフサフサの猫を抱き締めた。

「また、会いたいな…」

それが次いつになるのかは分からない。しかし彼女はもうそれでいいと思った。彼は彼女を嫌ってはいない。それだけでもう十分だと思えた。

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