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拷問官之狂想録  作者: すけ介
6/8

淡恋呟

「…………」

「…………」

万全の状態で向き合ったのは数日ぶりだろう。寝かされていた時と同じ純白のワンピースを纏った少女は不安そうに彼の瞳を見つめ、逆に感情を宿さぬ彼は冷徹な視線を小さな彼女に向けていた。

「ここで?」

「いや、連れ帰る」

「はっ!」

淡々と彼女の首に手刀を落とそうとする男。しかしその手は寸でのところで止められた。彼が手を上げ制止したからだ。

「見られても構わん。腕を繋げ」

「は、はい…」

彼の滅多に見せない慈悲に戸惑ったように返事を返した男。しかしだからといって手間取ることはない。手際よく少女の手首に縄をかけると、もう片方の端を己の手に繋いだ。

「あ、あの…」

「黙れ」

「…………」

配下である男と繋がれながらも彼に話し掛ける少女はどうにか会話の糸口を見出だそうと言葉を放つ。しかしそれでも彼が反応することはない。しまいには彼の冷酷な切っ先を突き付けられ黙りこんでしまった。

「…………」

「…………」

「…………」

重たい静寂。何も話したくない彼と何か話したくとも言葉を封じられた少女。配下である男は主人の冷淡な姿に安堵しながらも、少女が哀れに感じられた。

「っ……」

奇妙な物音。獣の足音か山賊の吐息か…。瞬時に前に出た配下を彼は制すると、2人を守るようにして一歩前へ出た。

「グガアアウッ!」

俊敏に草むらを散らす獣。鋭い犬牙を武器に紅の瞳を血走らせる姿はまさに野生。幾人もの旅人を屠ってきたであろう爪は鋭く、彼の身を隠すコートを切り裂くべく鋭利に迫った。

ガキンッ!

「『永久に毀れぬ斬首剣セバーキルソードオブイモータリティー…』」

奏でるように告げられた彼の言葉に応えるようにして純黒の剣が現れる。紅の雷が駆けたような刀身。禍々しい艶やかな刃。鍔にあしらわれた暗紫の宝石は陽光に鋭い光を返すと、内部に淀んだ光を宿した。

「主…」

「動けるのは俺のみ。それだけだ」

ザンッ!

鋭利に煌めく刃がスパッと獣の毛皮を切り裂いた。悲鳴もあげる間も無く命を砕かれた獣。彼は用済みとなった剣を再び虚無へと還元すると、血濡れのコートを脱ぎ捨てた。

「もう良いだろう。必要ない」

殆んど一瞬に等しい出来事。しかしそれはそれぞれの心に重く強く深く響いた。配下の男は変わらぬ主の姿に笑みを、少女は分かっていながらも理解不足であった彼への畏怖。そして彼は変わらぬ冷淡な光をその淀んだ瞳に宿していた。

「俺は一旦戻る。ソレは客間に入れておけ」

「はっ!」

歩き去る彼の背中に少女は何を思うのか…。心に微かな疑問を浮かべながらも命令を遂行するため縄を引く男。少女は何も抵抗せず、ただゆっくりと歩みを進めた。

ガチャッ!

彼と別れた少女と男はこの城の中でも使用頻度の高い客間へ入った。既にそこには彼の配下である女が待っており、男と視線を交わすと少女の腕に巻き付けられた縄を丁寧に解いた。

「頼む」

「了解」

単調な言葉と言えど2人にそれ以上の言葉は必要なかった。男は立ち去り、女は扉の前で護衛、もしくは監視するようにして立ち尽くす。

「…………」

「…………」

再び広がる静寂。重く苦しくはなくとも、馴れぬ者と過ごすにしてはあまりに酷な状況といえる。加えて単なる村娘である少女にとってはより辛い時間といえるだろう。

「主が、怖いですか?」

「へっ?」

「私達の主は、貴女の予知することを大きく越えるお方です。恐れもあるでしょう。しかし彼は貴女を傷付けません」

「…………」

「今は信じられぬとも構いません。彼は貴女の涙に心が痛まないわけではない。これだけはどうぞ信じてください」

「…………」

女の言葉はまるで谷間の言霊の如く心の中を何度も反響した。冷酷なる彼を知り、そして優しき彼も知る彼女だからこそ、その言葉の真意の居場所が分からぬのだ。

「…………」

ガチャッ…

ただそれだけを告げ出ていった彼女の後ろ姿に少女は複雑な視線を向ける。そして目の前に差し出された紅茶に視線を落とすと、恐る恐る一口、口をつけた。

「っ…」

長らく何も体に入れていない少女にとって馥郁たる香りを漂わせるそれは久しく感じられなかった美味だった。思えば平凡な自分が何故このような場所で、このような仕打ちをうけるのか…。しかし彼女の心に恨みという言葉が滲むことはなかった。

「…………」

その場所に慣れたこともあり少し体を動かしてみる。立ち上がり、部屋の中を忍び足で移動。趣味のいい植木や、明るい窓から見える青々とした緑。机の上にチョコンと置かれた芳香を放つ置物をぼんやりと眺めてみたり、柔らかなソファーに深く座ったり。年頃の少女にとって、知らない場所、知らないモノというのはどんな状況であっても興味の対象となっていた。

ガチャッ!

「っ!」

急に開かれた扉に少女はビクッと肩を震わせる。真珠のように白い肌を冷や汗が流れ落ち、鼓動を刻む心臓はその音を鼓膜に響かせた。

「何をしている。座れ」

淡々とした様子で腰掛けた彼に少女の心臓は少しずつ元の拍を取り戻していく。彼の瞳はどこまで覗いても暗く、そして澄んでいた。

「…………」

「ミラ、リメンバーか…」

彼の言葉に再びビクリと肩を震わせる少女(ミラ)。何故自分の名前を知っているのか。自問すれどその答えは見付からないことを悟った彼女は早々に思考を断念。彼の次の言葉を待った。

「優しい俺か、冷たい俺。どちらを望む?」

「??」

「…………」

突拍子もない唐突の質問。文脈がないせいでその意味をすぐには理解できずにいた少女だが、咄嗟に答えようと口を開いた。

「優し……、いえ、冷たい貴方を…」

「ほう、何故だ?」

「!?」

「優しい、と選択すると思った。お前にとって冷たい、は利がないからな」

「いえ、私はただ……。無理をした優しさは寂しく感じるからです…」

予想外。そんな考えを声に出さずとも分かるような表情で彼はニヤリと嗤った。「面白い…」誰にも聞かれぬような小さな声で呟く彼は、その男らしからぬ細く美しい手で少女の頬に触れた。

「それじゃあ、こんな笑みならいいかな?」

「っ!」

少女の見上げた先には先程とは見違えるほどの生き生きとした青年のような爽やかな笑みを浮かべた彼が立っていた。偽りではない。即座にそう抱けるほどの自然な笑み。思わず彼女は頬を朱に染めた。

「ミラ、ちゃん。これからよろしくね」

「は、はい!」

思わずといった様子で答えたものの、少女の心にはいまだ感情に反した彼への疑惑が渦巻いていた。初めて会ったときの冷酷な彼の瞳。そして今目の前にある自分を慈しんでくれるような優しい瞳。どちらが本物の彼なのか…。しかし既に彼女の心は優しい彼を求めていた。すると自然に、その手は自分の頬に触れた彼の手に重ねられる。

「あ、あの、お名前を聞いても…?」

「そんなに畏まらなくてもいいよ。ミラちゃん!」

「はふっ!」

爽やかな彼の笑みに加え、自分の名を呼ぶ優しく甘い声。うら若き彼女に耐えられるものではなかった。思わず両手で顔を覆い耳までも真っ赤に染めた彼女の中には既にここを訝しむ心は残っていない。ただ目の前の彼に、夢中になってしまっていた。

「ミラちゃん。それじゃあ君のこと、もっと色々聞かせてくれるかな?」

「はい!」

弾けるような笑みを浮かべた少女は嬉しそうに返事を返す。陰の彼が、小さく嗤ったのにも気付かずに…。


「成功」

心を開かせなければ記憶を消すことはできない。容易なことではなかった。彼は協力してくれた配下2人に礼を告げると、いまだ目覚めぬ少女の頭を優しく撫でた。

「良いのですか?」

「久しき時間を過ごせた。故、十分だ」

「…………」

再び淡々とした表情に戻っている彼が立ち上がると共に配下の男は少女の体を横抱きに持ち上げた。初めから、決めていたことを遂行したのみ。しかし少女の心を遊ぶような真似をしたことに2人の配下は少なからず心に影を抱いていた。

「村の茂みに、捨て置け。いずれ何者かが見付ける」

「そ、それでは…」

「死せるは運命。気運がなかったのみだ」

「…………」

彼は淡々と告げると足早に部屋を出ていった。残されるは見知った2人と眠った少女。女は何も言わずに少女の懐に金貨を入れる。そして男に視線を送った。

「っ……」

全て、吹っ切るようにして消え去る男。彼女の慕う主と談笑する少女を思い浮かべ、思わず唇を噛み締めた。心が締め付けられた。まるで己が悪魔であるかのように…、うら若き少女の心を弄んだことに長年彼の配下を務めた彼女も心を切りつけられる思いだった。

ガチャッ!

唐突に開かれた扉の先には先程と何らかわりのない彼が立っていた。言いたいことは山のようにある。しかし彼女の口から紡がれる言葉はなかった。ただ、入ってきた彼に頭を下げるだけだ。

「見損なったか?」

「いえ…」

「初な娘を弄び、その心を愚弄した。我ながら鬼畜の所業だ」

「…………」

「あまり気に病むな。全て、悪いのは俺だ」

配下である自分が主に慰められている。その事実に彼女の心は濡れた。溢れだし、叫びとなりそうになった。しかしそれでも彼女の口は開かない。

「良き時を得た。俺は戻るとしよう」

何も言えずに…。そんな言葉が自分を責めるように心を反響した。去っていく彼。そしてバタンっと閉じられた扉に彼女の希望は絶たれる。

「気に病むな…」

再び同じ言葉を紡ぎ彼はゆっくり歩き出す。石造りを進み、暗く湿った階段を下りた。血臭が強くなり、赤く楠んだ石が見え始めると彼の心は自然と冷えていった。

ガチャッ!

無造作に開かれた扉。錆くらい香りが鼻を突くなか、彼の手には真っ赤なワインの入ったボトルが握られている。混ざる香り。濃く空気を漂う血臭。鼻を執拗く突いている錆の異臭。魅惑的ながら脳を揺らす酒の芳香。黒く染まった瞳が注がれた水面に映ると、彼はおもむろに赤い水を飲み干した。

「主…」

「ミラは届けたか?」

「名前でお呼びになるのですね?」

「…………」

「お辛いのでは?」

「言うな! 俺には誰も近付けるな!」

「………」

取り落としたグラスがパリンッと割れ、飛び散った破片が彼の足首に小さな傷をつける。既に彼は冷酷ではなかった。瞳には熱がこもり、鋭く握られた拳には怒りとも悲しみとも呼べぬ激烈な心が握られていた。

「…………」

配下の男が消え、彼は少し冷静を取り戻したのか顔を上げた。おもむろに椅子に座り、血の滲む傷口をなぞる。すると赤い血はおろか、パクリと切れた傷口さえ消えてしまう。

「化物は、誰にも理解できぬ…」

見回した部屋には誰一人いない。半開きとなった扉には錠前が揺れ、淡い照明の光に照らされた部屋では端のモノなどは見えづらくなっている。

「…………」

まるで倒れるように立ち上がった彼はゆっくりと歩みを進める。鉄の扉を開け、地下の獄から滴る道をゆっくりと…。ペシャペシャと音をたてる床には水溜まりができていて、艶やかに濡れた岩壁を映し出していた。

「…………」

立ち止まった彼の視線の先にいるのは全身を真っ白の包帯に包まれた女性。相も変わらぬブロンドの髪は美しく、また両手を鎖に縛られた姿は背徳の象徴にも見える。

「俺は、間違っていただろうか」

物言わぬ女に話し掛ける彼の瞳には再び一筋の涙が溢れていた。しかし、彼の縋るような声は虚しく空虚に消え去って、あとにはなにも残らない。

「お願いだ。その声を、聞かせてくれないか…?」

「…………」

またも返る言葉はない。鎖に縛られ、包帯という呪縛に戒められた女が動くことはなかった。彼の声や涙は彼女には届かなかった。

「すまん…、また、来る…」

己のやっていることが愚かに感じた。彼の足は既に背を向けていた。来た道を戻る。再び濡れた道を戻るのだ。暗く滴る地下水は悪しき悲鳴を帯び、彼の心をジワジワと蝕むようにして濡らしていく。

バタンッ!

鉄の扉を閉めた彼には何も残っていなかった。配下は上にいる。彼の焦がれる女も鉄扉を越した先に…。しかし今の彼には何もなかった…。虚しさが心を支配する。彼は誰のためにこんなことをしているのか…。あの少女は何を思い笑みを浮かべたのか…。暫くの自問の後、彼は急いで階段を駆け上がった。

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