2
都心から少し離れた海薫るこの戸港町はほんの十数年前まではそれなりに活気のある賑やかな港町だったという。
働き盛りの若い大人達も多くいて学生もかなりの数を占めていたらしい。
今ではその頃の活気は身を潜め大人達のほとんどが都心へ移り住み人口も徐々に減っている。
それでも都心まで電車で1時間程度という立地条件によってこの町へ移り住む人たちもそこそこいるらしく、そういった人たちの子供がいるおかげでまだいくつかの学校は機能していた。
かくいう私もその内の一人である。
もとは父の地元なのだが両親が亡くなった後置き去りにされたままだったというこの家をリフォームしたのは私がまだ小学校低学年の頃だ。
ほとんど帰ったことがなく住んでいた記憶があまりないんだという父へ母が移り住むことを提案したのだ。
面影をなくさないようにと最低限のリフォームで済ませたこの家には昔ながらの和室や縁側が残っており風通しをよくする工夫が今なお活用されている。
初めの頃はそんな古臭さが気に入らなくてよく駄々をこねたりもしていたがそれも慣れ親しんでくれば愛着に変わり、今ではその持ち味に風情を感じられるようにさえなってきた。
母はもともと都会育ちだったらしいが風情があって静かなところでの暮らしは大歓迎だと誰よりもこの家のことを気に入っていた。
ただ唯一、父がどんな思いでこの家に帰って来たのかは分からない。
私たちと共にこの家を訪れたときの父は両親が生きていた頃を懐かしむ様子も故郷に戻ってきたことを喜ぶ様子もなく、いつも以上に口数少なく新しい我が家に喜びはしゃいでいる母を静かに眺めていた。
初めはそんな父を見て家も町もすべて変わってしまったことを悲しんでいるのではと思っていたが、直接口に出していっていたわけでもないしこちらから聞いたりもしなかったから本当のところは謎のままだ。
今でも思い出すのは、縁側にたたずむあの人の背中。柱に頭を預け遠くから運ばれてくる潮の香りを感じ取りながら、私には聞こえない波の音に聞き入っているかのようにじっとそこから動かなかった姿。
いつもくっついてまわっていた頃の私でもその時ばかりは邪魔をせず後ろからじっとその広い背中を見つめているだけだった。
その姿はまるで、在りし日の思い出と今はない懐かしい風景に思いを馳せているかのようだった。
「あ」
少しぼーっとしていたらしい。花びらが数枚部屋に入り込んできていた。
あんまり散らかすとあとでお母さんに怒られちゃう。
とりあえず足元に落ちている何枚かを指でつまみながら、ふと線香がどれぐらい短くなっただろうかと気になり顔を上げた。
そして思わずえ、と声が漏れる。
線香が消えていた。
確かに香炉に立てたはずなのに---
後になって思えば襖に向かって棺の横を通り過ぎた際にも確かに線香は香炉の上に立っていた。
それがものの数秒、数分目を離した隙に消えているなんておかしな話だ。
線香が折れて半分だった、とかならまだしも。
でもその時一番に浮かんだのは、ほらやっぱりと言いたげな母の困り顔と弁明しながらあたふたする自分の困り顔だった。
どうせ誰も見ていないのだから落ち着いて棺の傍まで行ってもう一度ロウソクに火をつけ、線香を立てればなかったことにできるというのに、どうしてかその時は母への罪悪感やらバレたくないという焦燥感やらに駆られてつい慌ててしまった。
早く点け直さないと、と体の向きを変えるのと脚を前へ出そうとする力が一緒に働いたことで両の足がもつれ合い体のバランスを崩す。
まずいと思った時にはすでに目の前に棺が迫っていた。
---ぶつかる、
防衛反応で咄嗟に顔の前で腕を交差させ来るはずの衝撃に備え目を瞑った。