12
「ただいま」
錆び付いた重い扉を押し開き薄暗い屋内から一歩踏み出すと春らしい柔らかい風がYシャツを揺らした。
気持ちのいい陽気に足取り軽く歩を進め向かいにいる二人、五十嵐大樹と佐々木洋介に笑顔を向ける。
それを見てすぐに眉を寄せたダイちゃんに思わず笑みが深くなった。
そんな風にいつもしかめっ面してたらいつか皴になっちゃいそうだ。本人には言わないけれど。
と、目の前の二人を見て一人足りないことに気付く。
「あれ?マっちゃんは?」
きょろきょろと辺りを見回すがどこにもいない。
二人に向かって首を傾げると洋介は目の前の入り口、優人の背後にある搭屋の上を見て顎で指し示した。
そこはマサトのお気に入りの昼寝スポットだ。
それですぐに彼がまた昼寝に入ってしまったのだと分かり少しがっかりする。
いろいろ聞きたいことがあったのに先延ばしになってしまった。
「なーんだ、つまんないの」
「お前がおせーからだよ」
「えーそんな時間かかってないと思うけど」
正確に測ってたわけじゃないから念のためどれぐらいかかっていたかと問えばヨっちゃんが腕につけた時計を見て「20分くらい」と答えた。
まぁそんなもんでしょ。
「昇降口まで送るだけだろうが」
「話ししてたしそんぐらいかかるって。ほーんとダイちゃんはいちいち細かいんだから」
わざと露骨にめんどくさそうに振る舞ってため息を漏らす。
そうすれば思った通り、相手はさらに苛立ちを露わにして盛大に舌打ちをする。
その様子がおかしくてつい笑ってしまいそうになる口元を咳払いで誤魔化した。
ダイちゃんは単純で感情がすぐ顔に出るから面白い。
今だって思いっきり不満を表に出してるのに何も言い返してこないのは自分でも細かい所があると多少自覚しているから。
でもそれを認めてしまえば恰好が付かないと変に意地を張る。無駄にプライドが高いもんだから素直になれない。
そういう葛藤が全部まる分かりだからからかいがいもあるし見ていて飽きない。
ちょうど、彼女と同じように。
「優人」
呼ばれた名前にどこか重みを感じて上がっていた口角が下がる。
目線を上げると未だ不機嫌そうにしているダイちゃんの隣で変な顔をしたヨっちゃんと目が合った。
「なに?」
変な顔をしたダイちゃんは面白くて好きだけど、変な顔をしたヨっちゃんはあまり好きじゃない。
こういう時決まってヨっちゃんはオレに面白くないことを言うから。
「お前、あの子に変なことしてないだろうな?」
「変なこと?変なことってなに?」
「あの子が迷惑に思うことだよ」
「めいわく?」
復唱する声に笑みを含む。あざける様な声で。
真剣な顔でこっちを見つめてるヨっちゃんには悪いけど、それはちょっとおふざけ程度にしか響かないなぁそれ。
あぁでも、そんな顔して言われるとついからかってしまいたくなる、どうしようもない性分だ。
「迷惑って、例えばどんなこと?」
「あ?」
「オレにはヨっちゃんの言ってる迷惑がどんなことか全くわからないなぁ……教えてよ」
どんなこと?
真似して精一杯真剣な表情を作ってみたけれど、やっぱり上手く作れなかったのかもしれない。
ヨっちゃんが不愉快そうに顔を歪めるから、頑張って作った表情もすぐに壊れてしまった。
噴き出した拍子に笑いが止まらなくなってしまった優人に大樹は目を丸くして気でも触れたのかと言いたげな表情をしたが、隣から感じる不穏な空気に気付いてあえて口を挟まない。
「お前、ふざけてんのか」
「ふざけてる?まさか!オレがヨっちゃんに対してふざけたことなんて今までに一度でもあった?」
嘲るような声色に洋介はさらに顔を歪めた。
その質問は間違いなくYESだ。こいつはいつもふざけてる。
洋介から見た関口優人はいつだってこんな感じだ。
飄々としながら決して相手と真剣に向き合おうとしない。
その奥にあるしたたかさを隠していつも相手を小馬鹿にしている。
道化じみた態度を一切崩そうとしないから、真面目に言っているこっちが馬鹿みたいな気分になる。
------でもそういう性格も根性も全部ひっくるめてこいつの本性、こいつの本心。
ふざけているととればそうなるし、とらなければそうならない。
長く付き合っていれば分かってくる。
結局のところ、どう解釈したってこっちが折れるしかないのだ。
自分で自分をなだめて溜まった怒りをため息とともに吐き出した。
「あぁそうだな。お前はそういうやつだよ、ったく」
パーマをかけたサイドの髪を乱暴にかく仕草は気持ちを落ち着かせるときによくやる洋介の癖だった。
それを見て質問に対する答えと受け取った優人は満足げに微笑んでみせた。
「心配しなくても普通におしゃべりして見送っただけだって。大体、自ら進んで案内役に身を呈した俺の親切心に対してそれはないんじゃないのー?失礼にもほどがある」
「だから心配なんだろーが。お前が進んで親切にするなんて、おかしすぎる。なにか企んでるとしか思えないな」
「心外だなぁ、オレだってたまには親切の一つや二つ、することぐらいあるって」
苦笑するその顔はまさに善人そのものだったが、洋介の心には何の感情も伝わってこなかった。
そもそも気持ちなんてこもってすらないのに伝わる訳もない。
どうなんだかと首を竦める洋介に一瞥し、隣まで歩いてきた優人はフェンスに背を預けた。
その反対側で座り込んでいる大樹がいつの間にか取り出した煙草に火をつけ何ともなしに空に向かって白煙を吐き出した。