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港町というのは一年中海から運ばれてくる潮風にさらされる。


さらに言えば海水を含む湿った空気が山に当たり、それがもたらす急な天候の変化も多い。

天気予報でもついていけない程だ。


今時期は雨天に加え春風も相まって台風並みの天気に見舞われることもしばしば。

だから地元民からすれば多少の悪天候なんて珍しくもなんともなかった。


 この地域の学校ももちろん、余程のことがない限り休校にはしない。

そこへ通う生徒たちにとってもそれはなんてことない登校日であり、むしろそんな日には学生たちのテンションを変に上げさせる一種のパフォーマンスのようなものだった。


校庭でびしょ濡れになるまで遊んだり、学校に泊まり込んで朝帰りしたり、気持ちがどことなく解放され自由になるようだった。


 親もそんな子供のやんちゃ心にはわりかし寛容で、まぁ保護者間や先生たちも見知った間柄という地方独特の信頼感もあってかある程度までなら咎められることはなかった。


 その日、終業式前日の登校日もちょうどそんな日だった。






 「黒崎さんはどうするー?」


 総勢十八人の中等部二年改め新三年生をまとめる学級委員長兼生徒会書記係の髙橋さんは短くそろえられた髪を揺らし振り向いた。

アーモンド形の黒目が愛らしく揺れる。


 今年の春からバスケ部部長にも任命されたらしい髙橋さんからは中学校生活最後の一年に対する活力がみなぎって見えた。

普段にも増して声もハキハキしている。



 「あーごめん、今日は早く家に帰んないと」


 申し訳程度に眉を下げて言うと髙橋さん含め放課後お泊り会を目論んでいた数名は残念そうにうなだれた。


 「そっかぁ、んじゃまた誘うね」

 「うん、じゃまた明日ー」


 手を振って教室を出ると中から聞こえる返事に背を向け家路を急いだ。


 いつもなら率先して参加するだけに私も同じ気持ち、いやそれ以上に落胆していたのだが今日は母の帰りが遅くなるとの連絡が来ていた。


 父は昨日夜通しの運送業務で超勤がついたため今日は明番で家にいる。

 掃除洗濯はする話になっていたらしいが料理だけはいつも母と私の交代制の為母のいない今父一人にはしておけない。


 普段父と二人で夕食を囲むことなんて滅多にないからすごく気まずいしあまり気が乗らないのだが---これは仕方がないだろう。


嵐の中傘もささずパーカーのフード頼みの装いで雨を振り切りつっ走った。







 家に着いてドアを開ける手前、最初に気付いたのは台所に電気がついている事だった。

それに次いでなんとも食欲をそそる香ばしい匂い。


 まさかと思いずぶ濡れの格好のままリビングまで行くとちょうどテーブルを拭いている父に出くわした。


 「おかえり」


 精巧な作りをした面立ちで無表情のままこちらを向かれるとその迫力におもわず背筋が伸びる。

いつもの見透かされそうなくらい真っ直ぐな眼差しが私を捉えていた。


 「ただいま……えぇっと、ご飯は、」

 「用意してある。簡単なものだが」


 ちらりと台所を見れば、ぐつぐつと煮立った音のする鍋がコンロに置いてあった。


先程からの匂いで何となく気付いてはいたがおそらくシチューの類い。


先日商店街の安売りで買った野菜が残っていたからそれを使ったのだろうか。

ルーもあったはずだから確かに簡単なものには分類されるだろうけど、根本的に父が料理をすること自体に驚いた。


 そもそも台所に立つ父の姿を見たこともなかったし想像したって違和感しかない。


 呆然と立ち尽くしている私をしばらく見つめ、そのまま目線を移した父は足元に広がる水たまりに眉をひそめた。


 「ずぶ濡れだな、」

 「---え、っあ」


 言われて自分が今どういう状況なのかすぐ察した。


 「わっ、ぁごめん、床濡らしちゃった、今拭くから、えっと---拭くもの、」


 あーいやその前に靴下脱いで。足拭かないと、ハンカチは------


 わたわたと慌てながら同じくびしょ濡れになってぐずぐず状態のスクールバッグからハンカチがないかと探していると、いつの間にか目の前にいた父に動かしていた腕を掴まれる。


驚いて顔を上げれば思ったより近くで見下ろしていた父と至近距離で目が合い固まった。


 「床はこっちで拭いておくから、早く着替えてお風呂に入ってきなさい」


 風邪をひく、と有無を言わさない声色で論され寒さからではない震えが背中を走ったが、少しだけその言葉に心配そうな、気遣ってくれている優しさを感じ取って小さな声で返事した。


 お風呂からあがってリビングに戻ると窓際に掛けてある洗濯物に混じって制服が干されているのが見えた。


テーブルにはビーフシチューとサラダが用意されていて父は台所でご飯をよそってくれている最中だった。

もちろん床は拭かれている。


なにもせず任せっぱなしの状況に畏縮しつつもお礼を述べると父はお茶碗を置きながら大したことはしていないと目を細めて言った。




 その日食べたシチューは少し具が大きくて少し硬めだった。

それでも美味しいかと問われればすぐに笑顔で頷く。

多分お世辞ではなかったと思う。


 それが二人でする最後の食事になるとは思いもしなかったが、今でもあの時見た父の顔は鮮明に覚えているし思い出すとそうして良かったと心から思えた。

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