プロローグ
どこにでもいるような普通の人間だ。
生まれながらの才覚の持ち主ではなく、ずば抜けた身体能力の持ち主でもない。
成績表につけられる評価は常に中、良くて中の上、ちょっと調子が悪ければ中のラインを下回ることもしばしば。
それでも先生達の気に留めるほどのものではなかった。
あくまで中という枠の中のくくりでしかない。
外見にしても身長体格ともに平均的ですでに成長期のピークは通り過ぎている。
過食でもないし偏食でもないからこれから先余程のことがない限り横にも縦にも伸びることはないだろう。
目鼻立ちに至っては特にこれといった特徴もチャームポイントもない、髪も染めたことのない少し茶の入り混じった黒髪で多少平凡な、よく言えばまぁどこにでもいる人畜無害な人間といったところか。
かの有名な渋谷スクランブル交差点で行き交う人々のその他大勢の中の一人にすぎない。まさしく「スクランブル」エッグの一部のような存在。
それが黒崎千笑、私という一個人である。
けれども、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたスクランブルエッグの一部ような私でも、とても人様に普通だとはいえないものがあった。いや、いた。すぐそばに。
黒崎正人、私の父である。
もとは母の再婚相手ということもあり性格容姿ともに平々凡々な私とは対照的で似たところなんかこれっぽっちもなかった。
いや、再婚でなかったとしてもきっと私が彼に似ることはなかっただろうと思う。
たとえ血を分けた家族であったとしても彼の、黒崎正人という人間を作り出す元の一欠けらですら手に入れることは叶わない。
彼を作り出した何かしらの要素を引き継ぐこと自体いけない事のように感じられる。
近づくことを許さないオーラが彼の周りにはいつも纏わりついていた。
そしてなにより想像がつかなかった。あの人と似た容姿であの人の思考を創造できる自分が。
そう思わせるほどの異質さが常に彼の内に巣食っていた。
それに初めて気がついたのは彼が私たちの家族になってすぐの頃だったと思う。
その頃はまだ小学生になる少し前で、ちょうど父親という存在を恋しく思う年頃で、彼が家にいる間は本当に金魚の糞の如くいつもそばをくっついて片時も離れなかった。
早く仲良くなりたくて似顔絵をプレゼントしたり、とりとめのないお喋りで気を引こうとしたり、とにかくこっちを見てほしくて背の高い彼を首が痛くなるまでじっと見上げたり。
そんな中で子供ながらにぼんやりと思った。
ああ、この人は違う。私たちとは違う人間なんだ、と。
どう頑張っても入り込めない線がこの人の回りをしっかりと囲っていて、私にもお母さんにも入ることができない。その中にはきっと、私にもお母さんにも持ち得ないものが詰まっていて、そんな特別なものをこの人は持っているんだ、と。
気づいてから今度はどうしようもなくムキになって彼のことを理解できる人間になろうとした。認められたくて、彼に自慢の娘だと言ってほしくて。
でも実際どういう人間なのかといわれるとどう表現すればいいのか、どう説明したらいいのか、考えれば考えるほど頭の中でいろんな気持ちが交錯して、あいまいな言い方でいつも誤魔化していた。
きっとこんな感じだとかあんな感じなんだと自分に言い聞かせては、これで大丈夫。私はお父さんの子なんだから、と彼のことを分かったつもりで満足していた。
でも本当は満足なんかできていなかった。
どこか後ろめたい気持ちが常に私の後ろに付きまとって、それでいいのかとチクチク責め立ててきた。
でも言い訳したらやっぱり自分には分からないんだと気づいてしまう。それがどうしても嫌だった。
そんな思いから逃げるように今度は逆に彼のことを避けるようになった。
まるで自分が彼に対して何か悪いことでもしでかしてしまったかのように。
中学に上がる頃には、まるで臭い物に蓋をするかのようにそんな気持ちにさえ封をして自分と彼を分けて考えるようになった。
私は私、あの人はあの人。
家族という箱の中に納まっているだけのただの他人。
理解する努力はしないし無理に関わろうともしない。だってどうせ、はなから血の繋がりなんてないのだから。
それから少し経ち中学校生活最後の春を迎えた。
遅咲きの桜がようやく満開を迎えた始業式当日。父が死んだ。