どんだけ……?
「あっしらは、いえ、あっしの場合で言いやす。あっしはイルマード・トリスティア様がレッドウォーレックを執筆された時に生まれやした。それでも、あっしは解妖された時に、書の中だけでの誕生より、この世界へ具現として改めて誕生しやした」
ジョンケールの口調は真面目だった。だから僕も一旦先へ進む足を止めてしまった。
「その時の記憶と言うものはありやせん。気がつけば作中でのあっしの姿がラミア様とエルシェ様の下にありやした。あっしは今だからこそ分かりやすが、その時は解妖された意味も記憶も分かりやせんでした」
「それは、人間も同じ、と言うことですか?」
「そうではありやせんか?」
僕が生まれた時の記憶と、僕が生まれた意味か。そんなものは覚えてないし、もう二十年も生きているのに生まれた意味は分からない。
「いや、同じだと思う。少なくとも僕はそうですね」
「そう言うことです。あっしら妖精は作品から生まれこそしやすが、生まれ出た当初は人の赤子も同じなんでさぁ。多岐に渡る世を知り、学び、今を迎えているんですわ」
そうか。妖精と言っても人間よりもはるかに高い知性や命を持っているというわけじゃなく、人の生きる道いや、生物の生きる道と同じなのかもしれない。
「まぁ、あっしは今の姿に満足してやす。作中で生き続けることも嫌ではないんですが、こうして精霊指定図書庫で自由に過ごせる時間と言うものは、書物の中ではありえないもんでさぁ。そうゆうわけで、ここに居る妖精たちはみな、のびのびとしてる思うんですわ」
ジョンケールの言葉は理解できるかもしれない。僕の目の前を浮いている妖精も、本を抱えて走り回っている妖精もみな、嫌々に動いているようには見えない。
「それでも、あっしらには必ずしもの自由はないのも現状なんでさぁ」
「え?」
これだけ自由にいるのに、そうでもない? 僕にはそうは見えないんだけれど。
「あっしらがいられるのは、この精霊指定図書庫だけでさぁ。この室内じゃ自由ですが、ここより出ることは目録書の妖精以外は禁止されとるんですわ」
「ああ、そういうことですか」
その理屈は分からないでもない。言葉は悪くなるかもしれないけれど、こんなのが街中に普通にいたら誰もが驚くはず。その中で友好的な人もいれば、そうじゃない人もいる。分かるのは、混乱が起きると言うこと。僕だって今も困惑してる。それこそ本の世界に飛び込んでしまったような、現実世界の落とし穴から物語の世界に落ちてしまったようなものしか感じられない。立体映像でもなんでもない、現実として妖精と呼ばれる本の世界から飛び出した生き物たちが溢れているこの不思議空間は、僕には理解するには時間が掛かりそうだ。
「それでもまぁ、十分に自由なんですけど」
ジョンケールがそう言って笑い、僕に行きやしょうと促して、僕もそれに従った。
「この辺りからでさぁ」
ジョンケールについて行くと、随分と高所の棚にまで来ていた。
「高所は大丈夫ですかい?」
「ええ、まぁ。少し足が竦みそうですけど」
言われて下を見ると、さっき見下ろした時よりも随分と高さが増していた。桜の巨木があれほど小さいものだったのか不思議に思うくらいだった。
「キッシュ様。それらの本は背表紙の下に記された番号ごとに枝棚に番号がふってありやすんで、そこに収めて下さいですゎ」
「はい。わかりました」
近くのテーブルに書物を置くと腕が軽くなった。ジョンケールに言われた通りに一冊一冊に記された背表紙に記された五桁の番号に合わせてライブラリーにある普通の木造本棚のように綺麗な作りではない枝を利用した凸凹な本棚に仕舞う。
「ジョンケール。この本棚はどうしてこう、不揃いなんですか?」
本を仕舞う度に同じ書籍の高さでも、棚が歪んでいたりするおかげで整頓されているんだけれど、何だか僕には少し落ち着かなかった。
「この精霊指定図書庫はもともと普通の室内だったんでさぁ。でも、あっしら精霊は誕生が作中であってもガンライの存在は自然発生なんでさぁ。だからと言うわけではないんすが、あっしらにとってはこの自然木を利用した不恰好な棚に収納されるほうが落ち着くんですわ。不規則なものだからこそ、規則的に縛られるんは、あっしらにはしんどいゆうことです」
そういうことだったのか。僕にとっては生前と整頓されている書を見る方が落ち着くんだけれど、妖精にとってはより自然に近い方が落ち着くと言うことなんだろうな。
「ラミア様はこの不揃いな書棚に苦労されておられるようですが、こればかりはエルシェ様のお達しがウォルトライブラリーには影響力を持っておるんですゎ」
「エルシェさんの?」
下を除いてみるけれど、エルシェさんはまだ戻ってきてなかった。代わりにやたらと大きな寸胴体のおっとりとした妖精と目があった。
「あいつぁ、ロロ言います。エリソン・ガーリック様の著書、ロロとココミゆうファンタジー小説に出てくる妖精なんですゎ」
「そうなんだ」
下から僕を見上げているロロに会釈をすると、ロロもゆっくりと僕に向かって同じように頭を垂らせた。
「色々な妖精がいますよね?」
「ええ。驚かれたでしょう? あっしらはここから出られないこともあってか、ここには所蔵されている書籍の数だけ妖精が居るんですゎ」
ジョンケールの言葉に仕舞おうとしていた本を持つ手が止まった。
「え? それはつまり、ここにある本の全てに妖精がいる、と言うことですか?」
ざっと周囲を見回す限り、妖精の数は数十程度。狭いようで意外と広い室内にしてみればなかなかに多く見える。けれど、ざっと見の限り、所蔵されている書物の数はその数百倍は軽くある。僕が上がってきた階は、背表紙と枝棚の番号を見るあたり、一般ライブラリーと同じように、下三桁は棚番号、上二桁は階層番号になっている。そして僕が今仕舞おうとしている書籍にある番号は27515。つまり二十七階にある棚番号五百十五に所蔵されるべき書物と言うこと。ここって二十七階だったんだと言う、高所の意外さに唖然としそうになる。けれど、ジョンケールの話を聞いていると分かる。この精霊指定図書庫に所蔵されている書物の総数は計り知れないほどに多い。室内を占めているのは中心部の巨木桜と植物。そして後はガラス天井まで四方を取り囲む枝棚。その全てにと言っても良いほどに書物が所蔵されている。これだけの数の妖精がいるとなると、室内はかなりの圧迫になるんじゃないのだろうかと、あまり想像したくないことに気づいてしまった。
「その通りでさぁ。所蔵本は全て初版第一刷本ですゎ。この書庫にある本はすべて妖精が宿ってるんでさぁ」
僕が仕舞っていっている本は、確か解妖がまだとか言っていた。つまりまだこの本の中に僕の視界に時折入る妖精がいると言うことか。何だか乱雑に扱えない、本からの無言のプレッシャーを感じてしまう。
「そうはゆうても、さすがに全ての妖精を解妖するとあっしらでここは多い尽くされてまいます。そんなわけで、ラミア様とエルシェ様には定期的にあっしら妖精の入れ替えをして頂いてるんですゎ」
入れ替えか。妖精の世界も肩身が狭いのだろうか。少しばかり哀れむような、訝しいような不思議な感覚が残った。
「不思議な世界なんですね、妖精と言うものも」
僕はジョンケールのみならず、この室内にいる妖精と言うものに対して、不思議な生物だと言うことの一言で片付けることにした。違和感がないわけじゃない。それでも、読書をしている以上、嫌悪感は湧かないのだ。むしろ好奇に近い圧倒感のようなものだけがある。
「あっしらに言わせてもらえりゃ、人様も似たようなもんでさぁ」
僕の言葉にジョンケールが声を震わせて笑うように鳴いた。やはり鳥なのだと、その姿に僕は苦笑した。
「それにしても、エルシェさん戻ってきませんね?」
所蔵本の冊数に驚きながら、任せられた書物を棚に入れていく。やはり慣れていないせいか、不揃いに並ぶ書物を見るとどうしてもきちっと整列させてぴっちりと所蔵したい衝動が湧く。
「シオリは忙しない小童なんでさぁ。一度ここを出るとなかなか戻ってきやせんのですゎ。あ、キッシュ様。あまり強く棚に押し付けんといて下せぇ。上層階の枝棚は下層階に比べると枝が細く軽くなっとるもんで」
「え? あ、ああ。ごめんなさい」
しっかりと見られていた。
「まぁこんな形の書棚があるのはウォルトライブラリーのここくらいでさぁ。綺麗に整頓したい気持ちは分かりやすが、どうか堪えて下せぇ」
「うん。どうも早く慣れないといけないみたいです」
苦笑しか出なかった。まっすぐな棚にきちっと整然された書物に囲まれての仕事ばかりだった名残は、そうそうには改善出来ない。妖精たちにとっては心地良い収納方法なのだろうけれど、僕からすれば精霊指定図書庫にある書物はどれも乱雑に仕舞われていて、かえって落ち着かない。
「慣れとは恐ろしいものでもありやすが、同時に非常識が常識になる本能なんでさぁ」
「非常識が常識に、か。そうかもしれませんね」
科学技術が発達している世の中の影響も少なからずある。だからこそ、僕の驚きは刻一刻と納まり、この現状を徐々に当然のものと言う不文律などお構いなしの常識と捉え変え始めている。きっとこのような書庫があることが世間一般に多く知れ渡れば、妖精のことに関しても遥か昔に今ではビジョンとして知られている、その前物のテレビなどの登場の頃のような異質感があったりするのだろう。そして、認知されるにつれ、要請がいることが当然となり、常識へと変わる。異質から知らないほうが変と思われることへの変質は、人の世ならではなのだろうか。書に触れているとその先駆けであったり、退行であったり、多岐に渡るストーリーに混同しがちになってしまう。
「ラミア様は初めから当然のごとくあっしらに接して下さいましたが、エルシェ様はキッシュ様のようにやはり驚かれたもんでさぁ」
逸れかけた話の対象であるエルシェさんへの話題が修正されてくる。ジョンケールは言葉による導きが上手い。きちんと聞き分け、僕に導へと誘う。開かれたページから広がる無限の本世界のように。