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え? あの……。

「キッシュ君」

「はい?」

「ここがどこだか説明受けて来た?」

「いいえ。パルリアートからはこちらで説明を受けるようにとあったのですが」

「そ〜なんだぁ。うん。じゃあ、明日からだし、今からでも変わらないよね? 時間ある?」

 エルシェさんが僕に聞いておきながら、答えは唯一つしかないと言わんばかりにどこかへ歩き出す。

「こっちだよ、キッシュ君」

「あ、はい」

 どうやら問答無用で話をしたいらしい。ついていくしかない。

「あ、この辺根っこが出てるからコケないように……きゃっ!」

 室内のはずなのに、床には一応室内だと主張するタイルがあるのに、それを突き破って、中央の巨木桜の根が生えていた。そして、僕の目の前でエルシェさんがコケた。僕に気をつけるように忠告しながら。

「うぅ〜、いったぁ〜い」

「だ、大丈夫ですか?」

 見事なこけっぷりだった。顔面からこけて、スカートがひらりと僕の目の前に広がった。思わず目を逸らしながらも、エルシェさんの前に行き、手を差し出す。

「うぅ、ごめんねぇ。いつもはこうじゃないんだよ? 私、結構しっかりしてるんだよ? ほら、言うよね? 何もないところでコケると、いざと言うときに転ばないって」

 何も聞いてないのに、エルシェさんが僕に恥ずかしそうに弁明してくる。

「木の根でコケたくせによく言うわねぇ。そう言うこといちいちするから腹黒いのよ、あんた」

「え?」

「んもぉ〜。私、ちょっとドジなだけだもん。腹黒くなんかないよぉ」

「ドジな奴は自分をドジとか言わないの。ドジだってことに無自覚なんだから。自覚してる時点でドジじゃなくて、ドジ真似としか言わないのよ」

 いつの間にか、もう一人の女性がいた。声からしてラミアさんだろう。両手で数十冊の書物を抱えていた。

「で、あんたがあたしの補佐?」

「は、はい。アサルト・キッシュです。明日からよろしくお願いします」

「ん。じゃあよろしく」

 これお願いね。そうラミアさんが僕に抱えていた書物を渡してくる。ずしっと来る重みに腕が少しだけ予想と違った重さに下に沈んだ。

「え? あ、あの、ちょっと……?」

「どうせ明日っつっても、あと数十時間でしょ? なら変わらない変わらない。どうせ明日にもやる仕事なんだから、今やれば明日が楽になる。いいこと尽くしでしょ? 明日片付く仕事は今日やっても片付くのよ。だったらさっさとやっちゃう方が明日が楽になるでしょ? ほら、働く働く。仕事はまだまだ溜まってるんだから」

 僕の業務は明日からと定められているにも関わらず、ラミアさんはそんなことは無関係だと僕に書物を押し付けてくる。エルシェさんはほんわりとした雰囲気なのに、ラミアさんはサラサラしてる髪を後ろ括りで一つに纏め上げ、小さな眼鏡と動きやすそうな格好で、しっかりした人っぽいけど、僕に任せるだけ任せると、次の仕事だと愚痴を言いながら近くにいた、アリクイのような変な動物を引き連れてまた木の枝を掻い潜りながらどこかへと姿を消した。そんな躊躇いもなく変生物と仕事をしているのを見ていると、理解出来ない不可解な気持ちになる。誰か僕にこの状況の詳細を教えて欲しいよ。

「あ〜、あの、エルシェさん」

 困った。この書物はどうすれば良いんだ? エルシェさんに意見を仰ごう。

「私、ちょっとだけドジなんだよ? 一生懸命やってるんだけど、うまくいかないことが多いだけだからね?」

「いえ、そうじゃなくてですね……」

 僕としては何も知らない以上、今さっきのエルシェさんのコケッぷりは紛れもないドジだと直感があっただけで、実際にそうだろうと違おうと、正直どちらでも良い。僕にとって今重要なのは、ただ一つ。

「これは、どうすれば?」

 僕の両手にある書物。お願いね、と言われてもどうすれば良いのか分からない。

「え? あ、ああ。それだね。うん。あのね、それはね、えっとね、えーとぉ……」

 エルシェさんが少しだけ慌てながら、僕の言葉をやっと聞いてくれたみたいで、エルシェさんの視線が僕の顔から胸に落ちる。

「エルシェ様。そいつぁ第三百十三書棚の四段から二十三段、四百五十書棚の五段でさぁ」

 僕の手元にあるもんを見て、エルシェさんが唇に人差し指を当てて首を傾げる。その一つ一つの行動には可愛げがある。女性としては魅力的だと思うけど、不意に桜のある中央の壇から降りてきた、鷲のような赤い鳥が、喋った。僕の目はただありえないものを見たという驚きに瞬きが増えただけだった。

「そうだっけぇ? ジョンケールが言うならそうかもね」

「そうでさぁ。あっしゃ上層書棚のこたぁ毎日見てまさぁ。どんなんがあるかなんて、一目でさぁ」

 何だろう。この不思議空間は。ここは仮想(バーチャ)世界(ワールド)なのか? 僕の目の前でエルシェさんと鳥が会話をしている。

「だって、キッシュ君。その本はまだ解妖してない書物だから、扱いには気をつけてね」

「え? 気をつけるって、どうするんですか?」

 僕は何となくだけど、感づいた。この人たちは我が儘だと。そして、人の話を聞かず、自分の話を中心に物事を考えるであろうマイペースな人だと。読書を嗜む人にはいくつか傾向がある。人に意見するのが苦手で、大人しく書物の世界で時間を過ごす人。時にはその蓄えた知識を疲労することで脚光を浴びつつも、それが羞恥に感じてしまう人もいる。そしてその対極もいる。本を教養としつつも、その世界をもう一つの人生観と捉え、知識としてだけではなく、世界観として日常生活にその書物の世界を堂々と取り込む。時に傍から蔑まれ、嘲笑を受けようとも、そうする人間こそそうなのだと自己主張の強い人。大まかに分類すると、そう言う人間が多いと僕は司書としてライブラリー勤務で見た。そして、エルシェさんもラミアさんも恐らく後者。その中でも特に書物の影響を大きく受ける人のような気がした。

「それをね、あそこ。分かるかな?」

 エルシェさんが僕の傍に来て、僕の目線に合わせるように桜の木を指差すように背伸びをした。すぐ隣に背伸びをするエルシェさんからは、花のような柔らかい匂いがして、思わず顔を少し反らせながら指の指す場所を見上げた。

「えっと、どこですか?」

 ぶっちゃけ、エルシェさんが指差す場所は、はるか上層部まで本がぎっしりと見えた。ここの天井って、こんなに高かったっけ? そう思わずにはいられないくらいに桜の花びらがひらひらと舞うよりも高い場所にある本棚と、そこに収納された本の数には圧倒されるばかりだ。その上空を飛んでいる生物も摩訶不思議すぎるんだけれど。

「ん〜、分からないかなぁ。あそこなんだけど」

 困った顔をされても、僕が困る。

「エルシェ様。あっしが行きやしょう。キッシュ様とやら、あっしが止まる枝棚にそいつらを収めてやって下せぇ」

「え? あ、はい。分かりました」

 ジョンケールとか呼ばれていた赤い鳥が僕よりも大きな翼を広げて少し重たそうに桜の枝をすり抜けて上空に羽ばたいていった。

「あの、エルシェさん、あの鳥は一体……?」

「ん〜? ジョンケール? あれはね、三十五年前に第一版が発行されたイルマード・トリスティアって十年前に死んじゃった小説家のレッドウォーレックって物語の妖精だよ」

 だよ、と言われても、僕にはさっぱりなんだけれど。残念ながらその小説は読んだことがない。

「キッシュ君。キッシュ君は本、好き?」

 唐突な話題の転換。やっぱりエルシェさんは後者だ。

「え? あ、はい。好きですよ?」

「うん。だよね。そうだと思ってたよ」

 そうですか。それがどうかしたんですか? 僕の頭には状況整理が一向に追いつかないこの現状に混乱と言うか、麻痺しているのかもしれない。エルシェさんの問いかけに焦らされている感を感じずにはいられない。この実にまったりとした雰囲気に僕は呑まれかけているのだろうか?

「えっと、今の問いかけはどういうことですか?」

「本にはね、一冊一冊に妖精が宿るんだよ」

 実にファンタジーな発言が飛び出した。この人は一体どんな思考をしているのか頭の中を覗いてみたくなってきた。こんな発言を堂々とする人を僕は見たことがない。だからだろう。エルシェさんの印象が少しずつ変な人だと認識しようと脳が記憶していく。

「じゃ、じゃあ、あのジョンケールと言うのが、レッドウォーレックの妖精、と言うことですか?」

 それでも僕は聞いてみた。そんなはずがないと思う気持ちが強いながらも、この人が僕に嘘をついているようには思えない。何も言わない代わりに、エルシェさんは僕ににっこりと微笑んだ。それが答えと言うことになった。そして僕はそれでもやっぱり信じられなくて、ジョンケールが飛んでいった天井を見上げた。


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