派遣司書
本には妖精が宿るとされている。悪戯な妖精、優しい妖精、面白い妖精、静かな妖精、哀しげな妖精、恐ろしい妖精。その妖精たちは本の数だけ存在する。
そして、司書とは、妖精とのコンタクトを取ることのできる唯一の職業だと、そんな嘘を僕は本の読みすぎの妄想家の発言だとしか思っていなかった。
「遠いな、今度は」
数日前に、僕の赴任先が決まった。大手派遣会社パルリアートに登録してから、司書館や図書館での図書や雑誌の収集、整理、保存図書の分別選定、貸し出し、注文図書などの情報サービスの提供など、ユニバーサリー時代に図書館学を履修して取得した司書資格のおかげで仕事には困らなかった。それでも、僕は最近少しだけライブラリー業務に対してやる気と言うのか、意欲が下がり始めた。別に嫌ってわけと言うわけじゃない。本に囲まれて静かな環境で仕事をするのは、心が落ち着き、穏やかでいられる。それでも僕は、欲が強いのだろうか。もっと資格だけじゃなく、もっと僕の中にある何かを発揮できる業務を求めていた。
《アサルト・キッシュさんにご紹介する業務は、通称森の図書館、ウォルトライブラリーでの司書官業務補佐です。》
メールで紹介された、今のライブラリーでの契約満了に伴う次の業務紹介に、僕は特に考えるわけでもなく、受諾のメールを返送した。ライブラリーに通称がつくことは珍しくないし、恐らく自然に囲まれた中にあるライブラリーなのだろうと、パルリアート本社のあるミンティス州ラクリアのビル街での仕事よりは、もっと快適に仕事が出来るんじゃないのかと思っていた。それに司書官の補助業務となれば、今まで以上に楽だろう。
「にしても、アバラン州か」
今住んでいるのはラクリアの都会。ウォルトライブラリーのある住所がミンティス州から州を四つもまたぐアバラン州。さすがに通勤と言うわけにはいかない距離に、仕方なく引越しをすることにした。派遣社員だから、少しは手当てが出るとはいえ、あまり贅沢な引越しは出来ない。大手ではなく、個人の引越し業者に依頼した。
「へぇ、のどかなところなんだ」
そして今日、僕は住み慣れたラクリアを離れ、ラクリアのセントラル駅からウォルトのサイオン駅にレールラインで四時間かけてようやく辿り着いた。正直疲れはした。それでもその間は電子書籍を読んでいたから意外と早くも感じた。通勤のスタンダーレールよりもやっぱりゆったりと列車旅が出来るレールラインは読書には向いていた。
「こらぁっ! 待てっ!」
「待てって言いながら追いかけてくるなぁっ! そっちが止まれぇっ!」
不意に行き交う人の中に、そんな叫びが聞こえた。ざわつきの中に僕もいた。
「ええいっ、やかましいっ! 子供が大人をからかうんじゃないっ!」
「あたしの方があんたよりもずっと長生きしてるもん〜っ」
ワーキャー騒がしい逃走劇。こちらへ駆けてくる女の子と、その後ろから追いかけてくる警備員。何か女の子が悪いことをしたのだろう。でも、ここまで騒ぎ立てなくても良いんじゃないのかな。同じように傍観してる人たちも、少し怪訝そうだ。
「こらぁっ! その本を返さんかっ!」
「うるさーいっ! おまえらなんかに渡すか、ばーかばーかっ。本のことなんか考えてないくせにぃだっ!」
イーっと女の子が振り返って警備員に舌を出してあっかんべーをしながら、人ごみをすり分けて僕の目の前を通り過ぎた。そして、すぐその後を通行人に退けと言いながら警備員も駆けていった。
「何だったんだ?」
突然のことで事情が分からなかった。回りもみんな僕と同じ顔で二人が駆けていった町の方に目を向けていた。
「ん? 落し物?」
徐々に何事もなかったかのように構内が元に戻ると、僕も歩き出す。そして構内を出ようとした時、誰かの落し物なのか書籍が落ちているのに気づいた。
「春の植物?」
題名に書かれていた。中身は植物図鑑だった。小冊子の中にある写真と解説は、時代を感じさせるように作りが少し古いと思った。
「捨てられた、のか?」
誰かが捨てたのか、落としたのか、分からないけど拾ってしまった。
「コードがついてる? 所蔵本か?」
ページを大雑把に捲ると、最後の方に書籍コードがあった。コードがある以上、この本はどこかのライブラリーかアカデミー内の図書室の所蔵本だろう。
「ウォルトライブラリー所蔵か。ちょうど良いか」
裏背面に記された所蔵所名に葉見覚えがあった。と言うよりも、ちょうど向かう途中の僕の次の仕事場だった。
「持っていくか」
誰かが貸し出し本として借りたのであれば問い合わせがあるだろうし、遺失物であれば返却すれば良い。ゴミとして処分されるのはあまりにももったいない。長年の癖のせいか、僕はそのまま図鑑を手にしたままウォルトライブラリーに向かった。
ラクリアの都会とはまるで異なり、のどかな自然の生きる、緑の町だった。木造白壁の家には花が愛らしく咲き、空の青さが吸い込む息に爽快感を与えてくれた。
「木陰で読書とか最高だろうな」
人工物があるのに、その人工物特有の臭さがない。木目と土の共演する優しい家の連なりと、野畑の実りと香りには実に読書日和の春があるのだと、僕は新居に向かいながら穏やかな時間をページを捲るようにゆっくりと見て、感じた。