美術部始動
「す、すげえ夏目。完璧に応用してくれた」
豪健は夏目の罵倒に感嘆していた。
ふと、手前に視線を戻すと、
美雪が一生懸命にホワイトボードに何かを書いていた。
「もう罵倒は必要ないぞ」
「えっ? せっかく次も考えていたのに」
酷く残念そうな美雪。
「やみつきになってないか?」
「なな、なっていないわ。か、勘違いしないでよね」
美雪は今書いたであろう極上の罵倒を
いそいそと消して、席を立った。
「そうだ、美雪。当番が終わってからで良いから美術室に来てくれないか?」
「美術室? あそこって今はただの空き教室だったんじゃ。あっ、良いよ!」
何かを思い出したかのように二つ返事でオッケーを出す美雪。
「ありがとう」
「豪君がわざわざ人気の無い場所に誘ってくれるなんて」
むふふ、と意味深に口元を押さえて行ってしまった。
変な勘違いをしている気がするけど。
友塚には声をかけたし、
後は勇者とつばきにも美術室での一枚絵作りを手伝って貰おう。
夏目とのデートを楽しむのも良いけど、
他に四人の女の子ともデートをして貰わなければならない。
そのきっかけ作りにも、美術室での作業は必須。
そうまで距離感が近くないと、デートに誘おうとしないだろうし。
不満を持ってガチャガチャを回されたらお終いだ。
「その薄汚いカキ氷のシロップには何をかけるんだい?」
「ぬか漬けが合いそうですなあ」
「いいねえ」
会話に花を咲かしてデートを楽しんでいる勇者。
人の、息子の気も知らないで、と豪健は小さく悪態をついた。
豪健はアイスモチを食べた後、足早に美術室に戻った。
宮下のやつ、下書きは上手く描けているだろうか。
心配な面持ちのまま、豪健は美術室の扉を開けた。
「どう? 下書きは順調かい?」
「豪健君」
そこには絶望に打ちひしがれた宮下の表情が待っていた。
黒板には何度も書いては消した跡が。
「順調じゃあ、ないみたいだね」
「もう、何を描いたら良いか、
そもそも自分は何を描きたいのか、良く分からなくなってしまい」
絵を語る自信に満ちた宮下はそこにはなかった。
だったら、自信のあった時に描いた絵画を使えば良い。
「前に自分が描いた絵画を思い出せるか?」
「え、えーと、お気に入りだった絵なら、思い出せるかも」
「それを描いてみたらどう?」
うーん、と宮下は思案にふける。
「やっほー、救世主のともちんがやってきたよー」
勢い良く扉が開いて、友塚が入ってきた。
「ってあれ、何だか暗い雰囲気ね」
「今、宮下が最重要アイデアを捻り出そうとしていたんだ。
そんな時に、ガサツなお前が煩い音を立てて入ってきた」
「そ、そんな言い方はないじゃない! 折り紙だって持ってきてあげたのに」
友塚がひらひらと折り紙の束を見せつける。
文化祭準備でたくさん余らせたヤツだ。
「素晴らしい折り紙。どうもありがとう」
「しっかり感謝してよね。それで、何に悩んでいたの?」
友塚も黒板の前まで来る。
「実はこの黒板全体を使って絵画を作るってことになったんだけど、
その肝心の絵がなかなか思い浮かばなくてね」
「ちょっと待って」
宮下が控えめに挙手をした。
「どうしたの、みやちん?」
「良い絵を思い出したかも。そのカラフルな折り紙を見て」
「本当か? 宮下」
「ほら、ご覧なさい。あたしが来た途端にこの捗りよう」
「はいはい。お前の届けてくれた折り紙のおかげな」
「虹の橋、失くした絵画の中にあった虹の橋を描くわ!」
宣言する宮下の言葉には今にも飛び出しそうなエネルギーが込められていた。
「ネズミの耳なんて余計にダメっしょ」
「良いじゃない。猫に捕食される運命なんだし、お似合いだわ」
「あたいを捕食して良いのはけんちゃんだけっしょよ」
「何を言ってるの? 美雪は豪君に人気の無い美術室に誘われたんだから。
美雪が食べられちゃうの」
酷い言い争いが外の廊下から聞こえてきた。
「お手伝いに来たっしょよー」
「えっお手伝い?」
扉が開かれ、望月と美雪が入ってきた。
「おっ、二人とも良く来てくれた」
「ねね、お手伝いって何のこと?」
美雪は足早に豪健に詰め寄って聞く。
「ん? 美術部を廃部の危機から救うためのお手伝い」
「えー、そんなの美雪聞いてなーい。豪君、今からでもいちゃらぶデートしよ?」
「残念だったしょねー美雪。さあ、けんちゃんには絶対服従っしょよ?」
美雪の背後で勝ち誇った仁王立ちをしている望月。
くうっと唇を噛み締めて、口を曲げた。
「で、美雪は何を手伝えば良いの?」
「あの、本当に嫌だったら、無理して手伝わなくても、良いかも」
宮下が申し訳なさそうに言う。
美雪は深いため息をついた。
「嫌に決まっているじゃない。面倒くさい。
でも、美雪は豪君に絶対服従しなくちゃいけないの」
「美雪ちゃん」
「それに、嫌われたくないし。豪君にも、あなたにも」
金色の猫耳をいじりながら、気まずそうに視線を反らす美雪。
「ありがとう」
慎ましやかに、はにかみながら宮下はお礼を言う。
「お礼を言うのはまだ早いよ。僕達は何にも作れていないからな」
「そうですなあ。我輩達にも手伝わさせて欲しいですぞ」
美術室の扉が開かれ、夏目が虫眼鏡片手に颯爽と登場した。
「おっ、次のデート場所はここか?」
「勇者は何を寝ぼけているっべなー」
「美術部の手伝い。何度も言わせないで」
夏目の後ろには勇者と、
黒いウサギを抱えたつばき、
白いウサギを抱えたたんぽぽが現れた。
「お前たち、メイド喫茶の方は良いのか?」
「勇者のせいでお客さんみーんな帰ったべな」
「お昼までのちょっとの時間だけ、他の人に任せてきた」
「な、俺のせいだって言うのかよ」
「お皿に付いたアイスを舌で舐め取るのは、ちょっと居心地悪かったですぞ」
夏目が気まずそうに笑う。
「夏目にここまで言わせるって相当だぞ」
「なっちゃんに口の悪い言葉を言わせていた癖に、良く言うっしょよ」
「あら、美雪の罵倒が気に入らないっていうの?」
「なっちゃん、とっても困っていたっしょよ」
「その割にはノリノリで喋っていたようだけど。
勇者だって何故か嬉しかったみたいだし。もしかして、美雪天才?」
「調子に乗るなっしょ!」
またすぐ美雪と望月が口喧嘩を始めた。
パンパンッ、と友塚が窘めるように手を叩いた。
「はいはい、口を動かす暇があったら手を動かす。お昼まで時間ないよ?」
「確かに。宮下、虹の橋を作るために、僕たちは何をすれば良いんだ?」
「まず、折り紙を四回正方形に折って切って欲しいかも」
「ここの折り紙全部か?」
豪健が友塚の持ってきた折り紙を指差す。
うん、と宮下は頷いた。
「ただし、後からもっと細かく切って貰う折り紙が出てくるかも」
「なるほど。ひとまず大雑把に作れるところから始めるわけですな」
「効率よく五、六枚纏めて折って切った方が早そうね」
「はさみが二個しかないから、あたし別のクラスから借りて来るよ」
「んだ。ワシらはあらかじめ折り紙を折っておくべ」
「そうしよう」
各々が手分けをして作業に取り掛かる。
その光景に宮下は密かに、けれども膨れ上がって爆発しそうなほどの
感動を覚えていた。
どうせ一人っきりの美術部員。
今日のために描いてきた絵も、ほとんどが無くなって、
いっそ廃部になった方がすっきりするとさえ、思ったこともあった。
しかし、今は違う。
目の前で自分のために手を動かしてくれる人たちがいる。
「その気持ちに応えたい」
宮下はチョークを握りしめた。
この大きな黒板に、あの絵を描くのだ。
勇者のことを想いながら描いた、あの絵を。




