黒いウサギは死んだ日常を与える
「お前、今までどこに行っていたんだよ!」
「お父さんを、探していた」
「気持ちはわかるっしょが、
目の前でゴブリンに殺されたのを、もう忘れたっしょ?」
「おい、望月」
豪健が望月を小突く。
少しは言い方を考えろよ、と思う。
そうして、再び博士に向き直った。
「現実世界よりも、この世界は時間が遡っているように思うんだけど」
「ご名答なのです。シルバーサーバは文化祭イベントに接続したので、
準備から後片付けまでをわたし達は過ごすのですが」
そこで、博士にしては珍しく、自信なさげに視線を逸らした。
うん? と豪健は訝しがる。
水無月が咳払いを一つして言葉を紡ぐ。
「実は、このままだと現実世界の時間で進行している文化祭イベントに、
我々は追いついてしまいそうなんだ」
「それはおかしいっしょ。あたい達は文化祭イベントを最初から始めて、
既に始まっている現実世界の文化祭イベントに追いつくはずがありません」
最もなことを望月が言う。
頭の回転が速いなあ、と豪健は感心した。
そんな感心とは裏腹に、博士はため息をつく。
「時間の流れ方が違うのです。この世界に来て、わたし達は一日ほど
過ごしたのですが、向こうの世界では一秒も経っていないはずなのです」
「なるほどな。このままの調子だと現実世界の進行に追いついてしまうと。
それで、追いついたらどうなるって言うんだ?」
「俺達の存在は、この世界では半分NPCということになっている。
俺達を操作する人間は現実世界にいないからな」
「じょ、冗談じゃないっしょ。この世界の住人なんて、ごめんです!」
拳を握って怒鳴る望月を、水無月は睨みつけた。
「半分と言っただろう、短気娘。さっきも言ったが俺達の存在は
シルバーサーバが保証してる。
文化祭イベントの軌跡を追う、リプレイと言う条件付きで」
「それは、つまり?」
「追いつけばリプレイ状態が解かれ
俺達の存在は完全に定義付けられる。
プレイヤーを楽しませるこの世界の住人、NPCとして」
「わたし達がNPC化すれば、もちろん元の世界に戻ることはできないのですよ。
ここが、自分達の住む世界なのですから」
追い討ちをかけるように博士が補足する。
びゅんっと望月が短剣で重い空気を切った。
「それなら、追いつく前にこの世界から脱出すれば良いだけっしょ。
ガチャに魔力を溜めて」
「そういうことだ。俺達に残された帰る手立てはそれしかない」
「で、具体的にはどれぐらい溜めれば良いんだ? そもそも間に合うのか?」
「リアルタイム進行は文化祭の後片付け一日目が終わったところなのですが、
それは今日から一週間弱。それまでに戻れる魔力が溜まるかは……」
「わからんのだ」
きっぱり言う水無月に、おいおいと豪健はため息をつく。
「魔力注入を昨晩全員にやってもらったからな。
今日中に計測して、戻れるまでの必要な魔力を算出する」
「それで、もし間に合いそうになかったら、どうするっしょ?」
望月が迫るように聞く。
博士と水無月が顔を見合わせて、頷く。
「その時は、またその時になったら考えるのです」
「今はとにかく魔力を蓄えることだな」
わかった、と豪健は頷いた。
およその自分達のおかれた状況は理解した。
一刻も早く魔力をガチャに溜めて、元の世界に帰る。
もたもたしていたら、この世界の住人、NPCになってしまう。
「さっきから静かだが、たんぽぽも理解できたか?」
そう言って豪健が振り返ると、たんぽぽはふかふかのソファで寝ていた。
黒い皮製の高級そうなソファに身体を深く沈めて、気持ち良さそうに。
「って寝てるし! マイペースだなお前は!」
豪健がそう叫ぶと、ハッと目を覚まして立ち上がった。
「お父さんは、生きている」
「そうだよ! この世界では生きているよ!」
たんぽぽの中では話が全く進んでいなかったが、確かにその通りではあった。
「どこに居るの?」
「けんちゃんとあたいのクラスに居るっしょ。増えるウサギさんを連れてきて」
「増える、ウサギさん」
たんぽぽは言葉に引っかかりを覚えて、繰り返す。
「あっ、夏目の姿が見えないけど、どこに居るんだ?」
「あの緑の髪の子なら、放送室に居たな。お昼休みは放送があるとかで、
事前に話をしておいたが」
「夏目は聞き分けが良かったのです。今の説明の半分の時間で済んだのですよ」
博士が何かを言いたげに望月を見やる。
ふん、と望月はそっぽを向いた。
「お昼の放送なんてあったか?」
「今はこの部屋の放送を切ってあるのです。大事な話でしたので」
「そうだったっしょね。まあ、向こうも元気そうで何よりです」
全く興味なさそうに言う望月。
「そろそろ授業が始まるのです。教室に戻るのですよ」
「明日もこの時間にここに集合な」
二人に送り出されて、校長室を後にした。
廊下に出たところで、たんぽぽがさっそく豪健に向き直った。
「お父さんに会いたい」
「おう。とりあえず、僕達の教室に一緒に行こう」
「四匹のウサギも待っているっしょよ」
「ウサギ、楽しみ」
たんぽぽが頬を僅かに紅潮させて言う。
「なあ、お前の中では人間とウサギはどっちが偉いんだ?」
「ウサギ」
即答だった。
異世界に来てもたんぽぽは、たんぽぽのままだった。
妙に安心している自分がおかしく、豪健は小さく笑う。
教室に戻ると、友塚が元気良く手を挙げた。
「おーい、お二人さん! お昼の時間があまり残っていないよ!
おにぎりを食べた、食べたー!」
テンション高くお昼ご飯の心配までしてくれて、
豪健は胸が温かくなるのを感じる。
「おう、ありがとう!」
「ああっ、友ちゃん抜け駆け禁止よ。ごうくん、美雪のお弁当も食べてー!」
「騒がしい。人間はゴミね」
「同感っしょ」
珍しく意気投合している二人を尻目に、
豪健は残してくれていたおにぎりを口の中に放り込んだ。
「なんだべ、おめさんもウサギを見にきたんか?」
黒いウサギを抱きかかえていたつばきが、声をかけてくる。
「この人が、つばきっしょ」
望月がたんぽぽに紹介する。
たんぽぽは無言のまま、つばきに近寄っていった。
「なっ、おめさんもこうして撫でてみんべ」
つばきがお手本を見せるようにウサギを撫でる。
こくりとたんぽぽは頷いて、黒いウサギに手を伸ばす。
手のひらを広げ、指の腹一つ一つを意識しながら、
適度に押し、適度に撫でていく。
ウサギは目をとろんとさせている。
足の付け根を撫でた時、心地良さそうに小さなげっぷをした。
「おめさん、やるなあ。手つきがいつも動物を愛でてるそれだべ」
「うん」
「んだ。一体、どこで動物と触れ合っているべ?」
うん、とたんぽぽは頷く。
表情を崩さず、撫でる手つきもしっかりとしていたので、
間近に居たつばき以外の誰も気付かなかった。
たんぽぽは、静かに泣いていた。
息を吐き出すように、あまりにも自然に頬を伝って、涙が流れていた。
つばきはその事に気がつく。
気がついて、それ以上何かを聞こうとはしなかった。
ただ、一緒に目の前の黒いウサギを撫でる。
窓からの暖かな日差しが、ウサギを撫でる二人を照らす。
この世界では初対面の二人の間に流れる沈黙が、気まずさとは対極にあった。
かつて、当たり前のように過ごした時間。
ありふれていた空気を、たんぽぽは包み込むように大切に吸いこんだ。




