水のように冷たい剣士
一階層目は、出会うモンスター全てにたんぽぽの歌が効いた。
皆、一様に睡魔に落ちて、僕らは労せず戦闘を回避することができた。
たんぽぽの歌の効力に改めて驚かされながら、夏目の案内に従って、
二階層目へと行く。
「やはり、上と比べて魔力が多くなっておりますなー」
虫眼鏡を天井に向けながら、夏目が呟いた。
「そうなのか?」
「ダンジョンというのは、潜れば潜るほどモンスターは強さを増し、
レア度の高いアイテムも出現する。つまり、ダンジョンの奥に行けば行くほど、
ダンジョンのエネルギーは強まるということですぞ」
「そういう原理だったのか。ダンジョンのエネルギーなんて、
剣士をやってた頃は気にしたこともなかったけど」
「潜るほどハイリスクハイリターンなのは、身体が覚えているっしょからねー。
ぽぽちゃんの歌がどこまで通用するのか、見ものですよ」
モッチーナがにやにやしながら振り返ってたんぽぽを見る。
「余裕っしょよー」
煽り返すように、口調を棒気味に返事をするたんぽぽ。
「ああ! それ、あたいの口癖っしょよー! 真似するなです!」
「ふん」
指を差して抗議するモッチーナに、たんぽぽはそっぽを向く。
仲が良いのか悪いのか。
「きましたぞ!」
呑気なやり取りをしていると、前方の夏目が声を上げた。
通路の角から、斧を持ったゴブリンが現れる。
そうだ。ここは昨日、例の斧持ちゴブリンと戦闘した場所だった。
ラぁーララー、ルルぅーッル、ラララー
すかさず、たんぽぽが歌を歌い始めた。
この事態を予期して構えていたのか、歌い出しは早かった。
ルルーラー、あー、ルル、ラぁーらあー
しかし、滑らかで透き通る歌声は、徐々に濁っていった。
ラああ、るラら、あれ、るあっ、ら
その歌声は、自信なく消え入りそうで。
包み込むような暖かな優しさはなく、枯れた花を想起させた。
ゴブリンにはその歌さえ耳に届いていないようで、
斧を引きずってこちらに向かってくる。
「ごめんなさい」
悲しさに暮れた謝罪をぽつりと言うたんぽぽ。
「気にするなっしょ。ようやく、あたいの出番が来ましたからね。
けんちゃん、預けていたどこでもスベールをくださいな」
「ん? 良いけど、もしかして」
「これを試してみるっしょ」
大袋から取り出したどこでもスベールにモッチーナは履き替える。
「使いこなせるようになったのか?」
「ちょっとだけこれを履いた剣術も練習しましたよ。見ているっしょ」
言いながら、すいーっとモッチーナは地面を滑り出す。
とんっ、と靴の角で地面を蹴ってスピードを加速させる。
「器用ですなあ」
既に壁に溶け込んでいる夏目が感心している。
たんぽぽは悔しそうに唇を噛み締めていた。
ゴブリンは滑って向かってくるモッチーナに気付いて、
ぐぼおっと鼻息を鳴らし、前足を上げ、斧を振り上げた。
しかし、モッチーナは滑るスピードを落とさない。
「もちもち剣外伝、雪山トンネル!」
言いながら、モッチーナは滑りながらしゃがみこみ、
その小さな体型をさらに丸めて、剣だけ構えていた。
シュッ、と右足を上げたゴブリンの股の間を滑りながら潜り抜ける。
ぶおんっ、と標的を見失ったゴブリンがバランスを崩した。
そのまま背中から倒れる、かと思いきや、ずざんと鈍い音が
ゴブリンの背中から聞こえてくる。
悲痛な叫びを上げる間もなく、ぐざっともう一度肉を斬った音がして、
ゴブリンは前に倒れていく。
その背中から血で濡れた剣を振り払う、モッチーナが現れた。
「余裕っしょよー」
得意に笑みを浮かべて、剣を仕舞う。
さすがだな、そう言いかけて通路の角から斧がちらりと見えた。
「モッチーナ後ろだ!」
「わわっ」
慌てて振り返ろうとして、モッチーナは地面に滑った。
尻もちをついてしまう。
見上げるのは、出っ張ったお腹をさする斧を持ったゴブリンだった。
「もう一体いたのか、ちくしょう!」
僕は剣を持って急いでかけていく。
モッチーナは体勢を立て直そうとするが、足が滑って上手くいかない。
既にゴブリンは斧を振り上げて、今にも振り下ろすところだ。
ダメだ、間に合わない。
そんな最悪な考えがよぎった刹那、スパッと斧を持つ腕が斬られた。
そのまま斧を持った腕が、ぼとりと嫌な音を立てて落ちる。
ぶごおお、ゴブリンが悲鳴を上げた。
「耳障りな声を上げるな」
スパッと、今度は的確に首をはねる。
そうして危機的状況は今度こそ去った。
目の前の藍色のローブを着た、剣士の男によって。
「モッチーナ。随分と腕が落ちたな」
モッチーナを見下ろしながら、男は言う。
「あ、あいちゃん!」
「あんなゲームごときで伝説の剣まで売ってしまう勇者が、剣の師じゃな」
今度は駆けつけた僕の方を見ながら言う。心底見下した目で。
「水無月。途中で道場を抜け出した、お前に言われる筋合いはない」
「それはお前の親父がダメになったからだ。
俺はもっと強くならなければならない。ちゃんとした師の元でな」
「ってことは、お前は別の道場に通っているのか?」
僕がそう尋ねると、再び冷たい視線でモッチーナの足元を見た。
「きゃあ、パンツを見るなっしょ!」
「見るか! その靴だ、靴!」
目を泳がせながら、叫ぶ水無月。
「けんちゃん、靴を脱がせてっしょー」
「昨日一人で脱いでいただろう」
「良いからお願いします。あいちゃんの視線に気をつけながら」
そう言って、水無月に背を向けるように靴を脱がしてやる。
この二人は道場に居た頃から、仲が悪かったからな。
水無月は白けた視線を向けてくる。
「まったく、ダンジョンにミニスカートで入るな」
「女の子のファッションにいちいち口を出すなっしょ。
その藍色のローブだって、飾りっけがなくて寂しいですねー」
「剣士に必要なのは強さだけだからな。相変わらず、生ぬるい」
「これは身軽さを追求しているっしょ。素早く動くことも剣士の強さです」
放っておくと、こんな感じで喧嘩が始まってしまう。
まあまあ、と僕は間に入った。
「それで、この靴がどうしたんだ?」
「ちょっと見せてみろ」
僕は水無月に靴を渡す。
水無月は靴をひっくり返して、裏側を見た。白い雪だるまのイラストを見る。
「やはりな。俺の師匠の描いたモノだ」
「えっ、お前の師匠ってそれを作った人なのか?」
「正確には、これは失敗作だな。ちゃんと処分するように、
もう一人の仲間に頼んでおいたんだが。何を間違えてお前達の手に渡ったのか」
ずがーん、と岩が頭に降ってきた気分になった。
あのレアそうな銀鉱石と交換したのが、まさかゴミだったとは。
青みがかった紫髪のお姉さんの、憎たらしい笑みが浮かんでくる。
「そ、そうだったのね。博士って呼ばれていた気がするけど」
「剣の技は一通り磨いたからな。剣士として次のステージに上がるために、
博士からはいろいろと学ばせてもらっている。独学じゃ、限界もあるからな」
「お疲れお疲れ。せいぜい、あたいより強くなるっしょねー」
「お前よりは強いはずだったが?」
もういがみ合っているし。
「水無月はどうしてここに居るんだ?」
「おっと、こうしている場合ではなかった。博士を探さないと」
「見失ったのか?」
「そんなところだが、そういやお前達こそどうしてこのダンジョンに居る」
「ダンジョンガチャの調査で来ているよ」
僕がそう告げると、途端に険しい表情を作る水無月。
「そうだったのか。よもや、ダンジョンガチャを破壊しようなどとは、
考えてはいまいな?」
「さあ、どうだろう」
先ほどまでの懐古が混じった雰囲気はそこになかった。
水無月は今にも剣を抜いて斬りかかりそうな、気迫を見せている。
「さっきは昔馴染みと、博士の失敗作を使っていたから助けたが、次はない。
そうそうに立ち去るんだな。俺に斬られないうちに」
「誰もあいちゃんなんかに」
言い返そうとするモッチーナの頭に手を置いた。
「うん。助けてくれてありがとう。僕達は僕達の使命があって、
ここのダンジョンに潜っている。次会ったら敵かもしれないが、お大事に」
ふん、とつまらなそうに剣を仕舞って、水無月は立ち去った。




