第35話 窮地
異世界から来た少年、石動湊が病院から退院し、久しぶりとなる居候先のガーネット公爵邸へと足を踏み入れた瞬間。
「「「退院おめでとうございます!」」」
ずらりと勢ぞろいした執事、メイド、そしてガーネット一家に盛大に出迎えられた。
少年が困惑しながらも、正面玄関から続く広々とした広間の上の方に目を向ければ、ご丁寧に横断幕までかけられていた。
突然の事態と、想像以上に派手な状況に困惑していると、リリアが満面の笑みを浮かべながら湊の手を引いた。
「さぁ、ミナト。荷物を置いてすぐに食堂へ行きましょう!」
彼女のその張り切りぶりに、湊はすぐに彼女がこのイベントの主導者であることに気づき、苦笑とともにリリアの後ろをついていった。
本音を言えば、入院中にリハビリをしていたとはいえ、退院したばかりで体力も戻り切っていないので、ゆっくりと休みたかったのだが、リリアの浮かれっぷりを見るに、「ノー」とは言えない湊だった。
それからしばらくして、自分の部屋に荷物を置き、普段着に着替えた湊が食堂に到着したと同時に、リリア主催の「ミナト退院祝い」が始まった。
乾杯の音頭から少しして、湊が広々とした食堂の真ん中にある無駄に長いテーブルに所狭しと置かれた数々の料理を堪能していると、メイドの一人が声をかけてきた。
「あの……ミナト様?」
様付けで呼ばれ、背中がむずがゆくなった湊が苦笑混じりに言う。
「様なんてつけなくていいですよ。僕はそんなに偉い人間じゃないですし……」
しかしメイドは恐れ多いとばかりに首を振る。
ちなみに、湊がこのガーネット邸に居候を始めてからすでに一年以上が経過した今、湊は全員のメイドと執事の顔を覚え、それなりに仲良くできていると認識している。
現にメイドのアイシャなどは、一応の建前として湊に「様」を付けて呼んではいるものの、言葉の端々に敬意など微塵も感じられない様子が感じ取れる。
そこまでしろとは言わないが、湊としてはだいぶ打ち解けているのだから、もっと気さくに接してほしいと思うのだが、そこは格式高い公爵家のメイドとしてのプライドがあるのだろう。
そんなことを考えながら、湊は「それで?」と話の続きを促す。
「僕に何を聞きたいんですか?」
「そうでした! 今回、ミナト様が入院されたのは、魔獣との戦闘でリリア様をお守りしたからだと聞きました! それで、どうやってお嬢様をお守りしたのかと思いまして……」
「どうやってって言われても……」
湊は頬を搔きながら言いよどむ。
何せ、あの時は必死すぎて、ほとんど何も覚えていないのだ。
入院中に報告書を読んだため客観的な答えなら出せるが、主観的なものとなると、魔獣から衝撃を受けた影響もあって覚えていないとしか言えない。
素直にそう伝えた後に、「ただ……」と湊は続ける。
「ただ、あの時はリリアを守ろうと必死だった。それだけだよ」
そう答えた途端、いつの間にか湊の周りに集まっていたメイドたちが、一斉に「キャーッ!」と歓声を上げながら湊から離れる。
一体何なのか、と首を傾げる湊の耳に、「やっぱり素敵」だとか「推してよかった」だとか「まさに姫とナイトね」だとか、妙な言葉が断片的に聞こえたが、その直後に公爵夫妻とリリアがそろって湊の元へやってきたので、そのまま湊の記憶から消え去ってしまった。
ちなみに、現在ガーネット家に勤めるメイドと執事の間では、リリアと湊のカップルの話でもちきりになっており、そこかしこで彼らが二人のことを噂しているのだが、それはまた別の話である。
それはともかくとして、ガーネット親子は湊の前まで来ると、唐突に深々と頭を下げた。
「改めて今回は、娘を助けてくれてありがとう、ミナト君」
「あなたの行動がなければ、私たちは大切な娘を失っていました」
「私からもお礼を……。本当にありがとうございました」
家長とその妻、そして跡取り娘が揃って頭を下げるという異例の事態に、周囲の人間たちがざわつく中、当の湊が慌てて手を振る。
「そ、そんな! 三人とも頭を上げてください! 僕は皆さんにお礼を言われたくてリリアを助けたわけじゃないですし、結局は入院して皆さんに迷惑をかけたんですから!」
湊の言葉に、親子三人は思わずお互いに顔を見合わせた後、ふっと笑う。
そして。
「ミナト君。君は本当に謙虚だな」
「本当です。普通ならここで褒美の一つでも要求してくるのですが……」
「そうだな。てっきりここで、褒美にリリアが欲しいとでもいうかと思ったのだが……」
「あら? あなたはそういわれて、素直にリリアを渡すのですか?」
「まさか! 褒美に娘を要求するような奴の嫁になんかさせるか!」
「では、いいではありませんか」
そうして両親が朗らかに笑うのを、顔を真っ赤にしたリリアが止めに入る。
「お父様! お母さま! 私は景品ではありません!」
「そ、そうです! 僕も景品みたいな形でリリアを欲しいだなんて思いません! さっきから言っていますけど、僕はそんなつもりでリリアを助けたわけじゃないです。ただ、大事な人を守りたい。その一心だったんです」
湊の「大事な人」発言に、今度は違う意味で顔を赤くするリリアと、遅れて自分の発言の意味に気づいて顔を赤くする湊。
そうして、お互いにどことなく気まずい空気が流れるのを、彼らの両親はただただ優しく見守るのだった。
それから数日後。
湊が軍への復帰のために、ガーネット邸の一室に設えられたトレーニングルームでリハビリをしていた時のことだった。
突如として、けたたましい警報が鳴り響いた。
その音が意味するものは、オークスウッドへ魔獣が接近しているということ、そして一般人のシェルターへの避難警報。
国民の誰しもが知っている警報が鳴り響いた途端、屋敷の中が騒がしくなり、メイドや執事たちが一斉に敷地内にあるシェルターへと向かっていく。
その様子をしり目に湊は軍人の顔をすると、軍施設へと急ごうとした。
しかし、部屋から駆け出そうとした湊の腕を、直前で掴まれる。
いったい誰が、と振り返ったその先にいたのは、屋敷の主人でもあるガーネット公爵その人だった。
「どこへ行くつもりだね、ミナト君?」
意外と力強いその手に、けれど湊は圧倒されることなく即座に返す。
「軍施設です。今日はリリアの部隊が待機任務だと言っていました。補充要因がいるとはいえ、連携は十分ではありません。だから、僕が……」
「それはダメだ」
湊の言葉を断ち切って、チャールズが否定する。
「どうして!?」
食って掛かる湊に対して、チャールズはいたって冷静に言う。
「君はまだ、療養中の身だ。日常生活には問題ないとはいえ、対魔獣殲滅兵器の荷重に耐えられるほど回復しているわけではない。それに、今から向かったところで間に合うはずもなかろう? 例え間に合ったとしても、君が向かったところで機体もないのに、どうするつもりだ?」
チャールズの言葉に、湊は押し黙るしかない。
それでもなお、軍施設へ向かいたい湊の瞳を見たチャールズは、小さくため息をついた。
「来なさい」
静かにそう呟き、踵を返したチャールズの後を、湊は戸惑いながらも追いかけた。
◆◇◆
リリア・ガーネットは狭い操縦席の中で、前方を睨みつけながら歯噛みしていた。
原因は、彼女たちが相対している魔獣にある。
巨人といっても差し支えないような対魔獣殲滅兵器に乗っていながらも、なおも見上げなければならないほどの巨大な山のごとき甲羅を背にした魔獣。
動きこそ鈍いものの、その欠点を補って余りある長大な射程を持つ主砲と、無数の砲弾を吐き出す副砲はまさに城砦の名に相応しい。
かつて湊が異世界に来た時に戦闘していた、その魔獣の名は城砦亀。
もちろん、当時の個体のような亜種ではなく通常種のため、本来であればリリアたちで十分に対処できるのだが、今日この時ばかりは違っていた。
その理由は、時を遡ること数時間前。
この日、リリアが療養中の湊に代わる部隊員を中々選定できなかったことに、上層部が業を煮やしたのか、彼女たちが軍へと出勤したと同時に司令部に呼び出され、緊急待機任務を言い渡された。
もちろんリリアたちも四人一組を原則とする出撃系の任務は人員不足を理由に反対したのだが、上層部は頑として彼女たちの意見に取り合わず、上層部からの命令として正式に任務を言い渡された。
軍人である以上、リリアたちもこれ以上命令を拒否できるわけもなく、彼女たちは不満を抱えながらも、すぐに出撃できるようにパイロットスーツを身に着けたうえで、待機室に向かった。
それから少しして、突然待機室の扉が開かれたかと思うと、一人の人物が姿を現した。
それに気づいたリリアが、真っ先に席を立ち、敬礼をする。
「司令? どうかされ……」
部屋を訪れた司令の要件を聞こうとしたリリアは、彼の姿をみて言葉を途中で途切れさせると、その特徴的な深い柘榴石色の瞳を大きく見開いた。
「司令!? その姿は……!」
リリアの声に、慌てて残る部隊員のカールとダインも駆け寄り、司令のその姿に思わず固まってしまう。
その司令はといえば、窮屈そうに首元を引っ張りながら、苦笑いをした。
「いやはや、久々にパイロットスーツを着たが、相変わらず窮屈でたまらんな」
普段の軍服をパリッと着こなした姿ではなく、リリアたちのようなボディラインが浮き出るほど体に密着したパイロットスーツを着た司令は、手で楽にするように伝える。
「イスルギ准尉が復帰するまでの間、私がガーネット中尉の部隊の応援要員として入ることになったのだ。ABERに関しては予備機を使うから安心したまえ。すでにすぐに出撃できるように整備も済ませてある」
司令の言葉に、リリアが申し訳なさそうに眉を顰める。
「そうでしたか……。それは申し訳ありませんでした……。私がイスルギ准尉の代わりの補充要員をなかなか見つけなかったばかりに……」
しかし司令はそれを朗らかに笑い飛ばす。
「はっはっは! そんなことは気にすることではない。それに、私もかつてはパイロットだったからな。久々に前線の空気を味わうのも悪くない。おっと、安心するがいい。私はあくまでも補充要員だから、部隊の指揮権は変わらずガーネット中尉にあるし、指示も君に従おう」
からからと笑った司令は近場のソファに座ると、目の前にあったマガジンラックから一冊の漫画を取り出し、おもむろに読み始める。
そんな彼の行動に対して呆気にとられながらも、リリアたちもとりあえず普段と変わらないように待機し始めた時だった。
突然待機室に、けたたましいサイレンが鳴り響き、同時にオペレーターの切迫した声がスピーカーから聞こえてきた。
『東門より十キロ地点にて魔獣の反応を検知! 紫獣石反応をデータベースに照合した結果、魔獣は城砦亀! 待機任務中のガーネット隊は直ちに迎撃してください!』
その瞬間、リリアたちの顔は引き締まり、一斉に立ち上がる。
「皆さん、聞いた通りです。直ちに格納庫に向かい、東門より出撃します!」
「「「了解!」」」
司令も含めた全員が返事をしたところで、待機室からすぐ隣の格納庫へ向かい、それぞれの対魔獣殲滅兵器に乗り込んで起動させていく。
そうして、すべての起動シークエンスが完了したところで、各機はカタパルトに乗せられて、東門から次々に飛び出していった。
やがて、魔獣と遭遇したリリアたちは直ちに戦闘態勢に入った。
リリアは、脳裏に過った先ほどまでの出来事を頭を振って追い出すと、城砦亀から降り注いできた砲弾を、機体を手足のように操って回避させる。
そうして魔獣の攻撃を回避し、こちらから小型ミサイルやダインの狙撃を放つも、城砦亀の鉄壁の守りにダメージも与えられず、かといって接近戦も不可能で、決定打にかけていた時のことだった。
甲羅の天辺にある主砲のチャージが終わったのか、城砦亀が主砲を撃つ態勢に入ったのを確認したリリアが叫ぶ。
「主砲が来ます! 全員、全力回避です!」
言いながら、自身も操縦桿とフットレバーを操作して、その場から離れようとした時のことだった。
突然、リリアの機体がバランスを崩し、その場に倒れこむ。
いったい何が、と慌ててモニタを確認すると、城砦亀から放たれた砲弾が空けた地面の穴に足を取られていたのだ。
モニタの向こうで城砦亀が嗤ったように感じたリリアが直後に襲い来る光に自らの死を覚悟した、その瞬間だった。
『リリア!!』
ここにいないはずの人物の声が聞こえた気がした。




