第34話 兆し
湊が目覚めてから数日後。
医者の判断で、傷に響かない程度のリハビリを終えた湊は、ぐったりとベッドに横たわっていた。
「疲れた……。下手したら軍の訓練よりキツいかも……」
自分以外誰もいない病室で、独り言をつぶやく。
「第一あの先生! 絶対嗜虐趣味だろ! 僕が痛いって叫んでも止めてくれなかったし……」
湊の言う先生とは、リハビリの一環で手術やその後の治療の影響で委縮した筋肉をほぐし、その機能を回復させるためのマッサージを担当した先生のことだ。
当然、ある程度力を籠めないとマッサージとしての意味もなさないので、その先生はただ職務を全うしているだけなのだが、患者である湊からしたら堪ったものではない。
結果として、リハビリ室には湊の悲鳴が、幾度となく響くことになったのだ。
ちなみに、痛みを感じるということは神経が正常に機能しているということであり、それを確かめるためにもあえて痛くしているという説もある。
何はともあれ、無事にリハビリから生還した湊はしばらくぐったりとした後で、ベッドを背もたれ状に起こして座ると、リリアにもってきてもらったノートパソコンを起動させると、一つのファイルを起動させる。
そこに記録されていたのは、湊がリリアを助けた戦闘に関する報告書だ。
恐らく報告書を作成したのはリリアなのだろう、彼女らしく事細かにきっちりと戦闘の経緯が書かれている。
なぜ、湊がいまさらになって戦闘の報告書を読もうと思ったのかといえば、件の戦闘において妙な違和感を覚えたのを思い出したからである。
「思えば、あの時の魔獣は、何か変なところがあった……」
報告書に目を通しながら、湊は一人呟く。
以前、リリアが説明した通り、擬態猿は高い擬態能力を持っており、周りの環境に合わせて様々なものに擬態をすることができる。
通常、肉眼での確認は困難を極める。
しかし相手が魔獣だということを利用して、魔獣が体内に持っている紫獣石の反応を検知することで、その発見は容易となる。
事実、これまでに遭遇した擬態猿は、すべて紫獣石の反応を利用して駆除されている。
いまだ亜種が発見されたという報告はないので、最後にリリアに襲い掛かった擬態猿が亜種だったという可能性も否定しきれないが、それにしては自身の紫獣石反応を対魔獣殲滅兵器のものと重ね合わせ、相手が油断したところを一気に襲い掛かるという知能の高さを考えると、亜種ともどこか違う気がする。
これまで湊が遭遇した亜種は、この世界に来た時にリリアたちが戦っていた城塞亀と、訓練学校時代に遭遇した巨大な毒蜂、女王機蜂の二種類だけだが、そのいずれもが他の同種の魔獣にはない特殊な能力を発揮したが、知能が高くなっているということはなかった。
「そうなると、あの時の擬態猿が特別な個体なのか、あるいは……」
湊の脳裏によぎったのは、以前の任務中に遭遇した奇妙な行動をとる小鬼猿の群れや紅の獅子の群れ。
その時も今回の擬態猿のような知能が高いことを思わせる行動を取っていた。
そう考えると、ここ最近オークスウッド国立防衛軍を騒がさせている、異常行動をする魔獣と考えるのが自然だろう。
そしてそれは、リリアも報告書の注釈として記載していた。
「やっぱり……。本当は、異常行動する魔獣の死体を詳しく調べられれば、何かわかるんだろうけど……」
異常行動する魔獣の捕獲命令が出されてから今まで、軍では捕獲に成功したという報告はなく、その悉くが所属不明の可変式の対魔獣殲滅兵器によって邪魔され、魔獣を殺されている。
とはいえ、軍も異常行動する魔獣と所属不明の可変式が無関係であると思うほど間抜けではなく、すでに上層部から可変式を見かけたら、警告の上での鹵獲あるいは破壊の指示が出されている。
それでも、これまでに一度でも破壊や鹵獲の報告がされていないのは、遭遇率があまり高くないことと、可変式の速度が現行機よりも早いことに理由がある。
何はともあれ、異常行動する魔獣についてはほとんど何も分かっておらず、恐らく可変式の対魔獣殲滅兵器と関わりがあるのだろうということのみが判明している。
そんな状況に、湊は内心で歯噛みする。
「せめて魔獣の異常行動の理由だけでも分かっていれば、今回みたいなことも防げたかもしれないのに……」
過去の出来事に対して「もしも」なんてことは無意味なことだと理解しつつ、どうしてもその「もしも」を考えてしまう湊だった。
◆◇◆
オークスウッド中央区のとある屋敷にある一室。
カーテンは閉め切られ、かといって部屋の灯りをつけることもせず、暗い部屋のベッドの上に一つの人影があった。
「くそっ! なんで! 確かにアイツを殺すことはできなかったけど、それでも十分成果は出したじゃないか!」
親指の爪を噛みながら憤っているのは、リード・ガレナ。
彼が憤っている理由は、湊が病院に運ばれたその日にまで遡る。
リードは、ガーネット隊が生き残っていた擬態猿を倒し、大破した対魔獣殲滅兵器から湊を救出して、急いで帰還したのを見届けてから、擬態猿に打ち込まれた装置を回収し、自らも叔父のもとへ帰還した。
そうして戻ってきた甥にかけられた言葉は、労いの言葉でも、ましてや褒める言葉でもなかった。
叔父からかけられたのは、たった一言。
「お前には失望した」
ただそれだけだった。
しかし、その一言と表情がすべてを物語っていた。
そしてリードは、言い訳も弁解も許されることなく、帰宅と謹慎を言い渡された。
けれども、リードは不満だった。
確かに叔父に当初命じられた、「目標の殺害」を達成することはできなかった。
だが、それでもそれに準ずる成果は出せたつもりだった。
訓練学校時代から、自分の邪魔ばかりしてきた一人の黒髪の少年。
彼が乗る機体を大破させ、少なくとも数か月の間はガーネット隊の防衛任務を妨害できた。
それだけでも、十分な成果のはずだ。
だというのに、叔父から告げられた言葉は失望の言葉のみ。
その事実が、彼を憤らせていた。
「くそっ! なんで! 僕は……、叔父上は……! アイツは!!」
自宅に戻ったリードは自分の部屋に閉じこもるなり、食事もせずに何度も何度も繰り返していた。
そうして、何度も自問を繰り返すうちに、やがて彼の目に狂気が宿り、怪しくギラリと光る。
「ふふふ……。そうだ……。僕は悪くない……。僕は間違っていない……。悪いのはアイツだ……。間違っているのはアイツだ……」
何度も自問し、狂気に走った彼が得た答え、それは。
「そうだ……。間違っているのはアイツらだ……。間違いは排除しなくちゃいけない……。ふふふ……」
こうしてのちに、湊とリリアそして彼らに関わる人々を大きく震撼させる事件へとつながることになるのだが、それを知る者はこの少年を除いて、誰一人として知る由はなかった。
◆◇◆
リリア・ガーネットは頭を悩ませていた。
湊が無事に目覚め、自身の気持ちも理解し、父から出された試練も無事に乗り越えて、順風満帆に思える彼女の頭を悩ませているもの、それは現在療養中の湊の穴を、どう埋めるかということだった。
軍での任務において、対魔獣殲滅兵器を使用した任務は、四機一組が必須となる。
しかし、ガーネット隊には現在、湊が入院中の為、必須事項の人数が足りていないのだ。
湊が乗っていた、大破したABERは予備機を借り受ければ問題はないが、いかんせんパイロットが足りていない。
現状は、人手不足を理由に出撃任務を免除されているが、それもいつまで延長できるかは分からない。
ゆえに、できるだけ早急に予備パイロットの補充が必要となっているのだ。
「退役した人を戻すことは無理ですし、かといって訓練学校から引き抜くわけにも……」
リリアが一人ぼやくように、退役した軍事を現隊復帰させることができないのは、規定で定められている。
そして訓練学校の生徒は、いわば殻も取れていないひな鳥も同然。
そんな学生が、いきなり現役の小隊に組み込まれたところで、ろくに連携も取れず、すぐさまやられてしまうのが関の山だろう。
湊ですら、訓練学校をきちんと卒業し、そして何度も訓練を重ねたことで、ようやくガーネット隊に馴染むことができたのだ。
何はともあれ、退役軍人も訓練学校の生徒も無理となれば、選択肢は自ずと限られてくる。
その答えが、リリアの目の前に広げられた書類だった。
そこには、現在オークスウッド国立防衛軍に勤めているものの、整備技師や事務関連など、後方支援の仕事をしている職員の名簿と簡単なプロフィールだ。
基本的に、彼らは一般公募で軍にやってきた職員だが、中には訓練学校を卒業し、しかしパイロットの道を諦めたり、自らすすんで後方支援に回った人物もおり、ある程度ABERの操縦が可能なのだ。
「そんな中から選べと言われても……。卒業したてならまだしも、パイロットを離れてからそれなりにブランクのある方ばかりですし……」
上から渡された書類に目を落とし、再度深々とため息を吐く。
上のお偉方は、さっさと予備の人員を引っこ抜いて、出撃任務に就けということなのだろうが、少しでも隊の生存率を高くするには、やはり要求基準を満たしていないのだ。
「やはり、ミナトが復帰してくるのを待つしかありませんか……」
それに心情としては、やはり湊以外の人物を自分の隊に入れたくはない。
そう思い、改めて上層部にそう掛け合おうと、書類を片付けていた時のことだった。
軽く部屋のドアがノックされ、控えめな声で人影が入室してきた。
「隊長、失礼します」
「カール……、どうかしましたか?」
リリアの問いに、カール・アイドクレースは申し訳なさそうな顔をしながら、一枚の書類を差し出す。
「こちらの書類ですが……、ここの部分の数字が間違っています」
「あら、そうでしたか。申し訳ありません。すぐに訂正しますね」
謝りながら、パソコンを操作して書類を直すリリアに、カールは軽く眼鏡を持ち上げながら言う。
「隊長は最近こういうミスが多いです。きっと疲れているんじゃないですか? いくらミナトが目を覚ましたからといっても、毎日のように病院に通っているそうですし……。それに、上からも早く出撃しろと急かされているんでしょう?」
部下に見透かされ、思わず口を紡ぐリリアに、カールは小さくため息をつく。
「書類仕事なら、僕がやります。それにダインのやつも、ああ見えて書類仕事はきちんとできますし。ですから、僕らに任せて、隊長は少し休んでください」
部下の思いやりの言葉に、けれどリリアは小さく首を振る。
「ありがたい言葉ですが、これは私がやるべき仕事です。ですから、あなたたちは気にせず休んでください」
ふわり、と微笑まれたら、カールにはそれ以上何かを言うことはできず、「分かりました」と小さく呟いて、踵を返した。
そして部屋を立ち去ろうとする直前に、カールは顔だけリリアを振り返る。
「僕もダインも……、そしてきっとミナトもあなたを心配しています。ですから、絶対に無理だけはしないでください」
それだけを告げて、カールは部屋を出て行った。
それを見送ったリリアは大きく息を吐きだすと、かけていた眼鏡を外し、目頭を軽くマッサージしながらぼやく。
「部下にまで心配させてしまうとは……、私はダメな隊長ですね……」
その言葉は誰の耳にも届くことなく、部屋に静かに溶けて消えた。
そうしてしばらく天井を見つめていたリリアは、やがて気合を入れるように自らの頬を叩くと、再び書類作成に向き合うのだった。
◆◇◆
その日リハビリを終えた湊は、医者の検診を受けていた。
医者は、湊の体内のナノマシンから送られてくるデータや、その他様々な検査結果が表示されたモニタを見ながら言う。
「ふむ……。ミナトさんの回復は順調のようですね。損傷した内臓の修復もほとんど終わったようですし、そろそろナノマシンも排出されるでしょう。リハビリも順調のようですし、このままいけば、あと一週間くらいで退院できると思います」
「本当ですか?」
「はい。軍への復帰はもう少し待ったほうがいいとは思いますが、退院だけならそれくらいで大丈夫ですよ」
「復帰にはどれくらいかかりそうですか?」
湊の質問に、医者は少しだけ考え込む。
「そうですね……。そろそろ日常生活には支障が出ない程度まで回復はしていますが、軍のように激しい負荷が体にかかる環境となると、傷が完全に塞がってから、もう二週間ほどは様子を見ないといけません」
「そんなにかかるんですか?」
「そうですね。軍、特に対魔獣殲滅兵器は体への負担が大きいですから、退院してすぐに復帰してしまうと、傷が開いてしまう恐れがあります」
「……分かりました。ありがとうございます」
実質、あと一か月は復帰できないと言われ、気落ちした様子で病室へと戻る途中で、後ろから少女が声をかけてきた。
「こんにちは、ミナト」
その声に振り返れば、そこには湊が思いを寄せる少女リリアの姿。
途端、それまでの気落ちした様子から一変、笑顔を見せた湊はリリアへ駆け寄ると、一緒に病室に向かう。
「リリアは軍の仕事はもう終わったの?」
「はい。今はまだ書類仕事だけですので、割とすぐに帰ることができるんです」
「そうなんだ……。迷惑かけてごめんね」
謝る湊に、リリアは首を振る。
「ミナトが謝る必要はありません。ミナトは自分の回復を考えていればいいんです。それで調子はどうですか? 診察を受けていたのでしょう?」
リリアの問いに、湊はこくりと頷く。
「うん。今先生と話していたんだけど、退院だけだったらあと一週間くらいだって言われた」
「そうですか!」
ぱっと顔が華やぐリリアに、しかし湊は申し訳なさそうにする。
「でも、軍への復帰はまだだって言われたよ……。具体的には退院してから二週間は様子見だって……」
「そうですか……。でもそれは仕方ありません。それだけの大けがだったんですから」
「うん……。本当は一刻も早く復帰したいんだけどね」
それは湊の本心だ。
湊も、リリアの現状は耳にしている。
今は司令の厚意で出撃任務を免除されているが、それでも周りの部隊からの視線や上層部からの圧力がかなりかけられていることも。
だから、一刻も早く原隊復帰して、早く出撃任務に就けるようにしたい、そう思っていた。
そんな湊の心情を察したのだろう、リリアは優しく微笑む。
「ミナトが気にすることはありません。カールもダインもしっかりしてくれていますし、司令からも焦ることはないと言われています。ですから、ミナトも焦らず、ゆっくり身体を癒してください」
リリアの優しい言葉に、湊も微笑みを返す。
「うん、ありがとう。退院したら、先輩たちにもお世話になってるし、何か渡さなきゃね」
「ふふふ。そうですね」
そうして二人は、並んで病室へ戻るのだった。




