第33話 目覚めと答え
まるで暗い水底から光射す水面へ向かうように、湊の意識はゆっくりと浮上していく。
そして。
「うっ……」
僅かなうめき声をあげながら、異世界から来た少年はゆっくりと瞼を開ける。
始めはぼやけていた視界が徐々に鮮明になり、僅かな時を経てはっきりとした像を映し出す。
少年の眼に最初に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。
「知らない天井だ……」
どこかで聞いたセリフをとりあえずお約束のように呟いた湊は、やがて自分の状況に違和感を覚えて全身を見るべく視線を向けようと試みる。
しかし。
「うぐっ!?」
刺し貫かれたような痛みが全身を駆け巡り、思わずうめき声をあげながら、そのままベッドに体重を預けなおした。
そして改めて自身の状況をできる限り確認すると、口には呼吸を助けるための酸素マスクが当てられ、身体のあちこちには包帯が巻かれている感触が伝わってくる。
眼だけを左側に向ければ、恐らく痛み止めや栄養剤などが入っているのだろう液体が、ぽたぽたと一定のリズムで滴を落している。
そうしてひとしきり自分の状況を確かめていたところで、湊の右側から小さくぐずるような声が聞こえてきたので、そちらへと視線を向けると、そこには見慣れた美しい銀色の髪と、抜けるように白い肌をした少女の姿があった。
今は特徴的な深い柘榴石色の瞳は伏せられているものの、それでも彼女が誰なのか、湊が理解するには十分だった。
「リリア……無事だったんだ……」
痛み止めが聞いているのだろう、力の入らない声で呟いた湊が目を細めると、まるでその声が聞こえたように少女は瞼を僅かに震わせると、やがて目を開けた。
「……また眠ってしまいました」
そう呟きながら目を擦って頭を起こしたリリアが、ゆっくりと眠っているはずの湊へと目を向けた直後だった。
「おはよう、リリア……」
掠れた声で話す湊に、リリアは思わず目を大きく見開く。
「ミナト……? 眼を……覚ましたのですか?」
痛々しい姿で、それでもゆっくりと頷く湊に、リリアの眼から思わず涙が溢れ出る。
「ミナト!」
リリアは感極まった様子で勢いよく椅子から立ち上がり、そのまま湊へと覆いかぶさる。
「良かったです! やっと目を覚ましてくれました!」
「~~~~~っ!!」
可愛い女の子に抱き着かれて嬉しいという感情よりも、痛み止めが効いているとはいえ、それでも全身に駆け巡った痛みに身悶える湊に気づかず、リリアはそのまま湊を抱きしめ続ける。
「なかなか起きてくれないから、心配していました。お医者様は直に目を覚ますとおっしゃっていましたが、そんな様子は全くなくて、このままずっと目を覚まさなかったらどうしましょうかと、ずっと不安でした」
感動のあまり早口になりながら喋る少女の肩を、湊は痛みを我慢しながらそっとたたく。
「あの……リリアさん?」
「はい? どうかしました、ミナト?」
「…………めっちゃ痛いです……」
一瞬、少年が何を言っているのか理解できなかったリリアだが、脳が湊の言葉を正常に理解した直後、勢いよく身体を起こした。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて謝るリリアに微笑みを返した湊は、全身の痛みが落ち着くのを待ってから、ゆっくりと声を発した。
「ところで、僕はどのくらい寝てたの?」
「そうですね……。ここに運び込まれてから十日ですね」
「十日も、か……」
思ったよりも眠っていたことに驚く湊に、落ち着きを取り戻したリリアが頷く。
「ええ。ですが、ミナトはきちんと目覚めてくれました。本当に良かったです」
「ありがと……う……」
力なく笑う湊の瞼が、ゆっくりと落ち始める。
それに気づいたリリアは、そっと湊に布団をかけなおした。
「起きたばかりでは、体力も戻っていません。今はゆっくりと休んでください」
「う……ん……」
かろうじて返事をした湊は、そのまま力尽きるように再び眠りについた。
その様子を見てリリアは、今までの悲痛な顔から一変、安堵と慈愛の目で少年を見つめるのだった。
「お休みなさい、ミナト」
穏やかな少女の声が、静かな病室にゆっくりと溶けて消えた。
◆◇◆
湊が目覚めた翌日。
この日、湊は医者から改めて自分の状況を聞かされた。
結果は、死んでもおかしくなかったほどの重傷で、少なくとも数週間の入院と安静が必要とのことだった。
この世界は湊がかつていた世界よりも医療技術が発展しており、単純な骨折程度なら数週間で完治、自身の細胞から培養された臓器の移植や、極小機械を使用した治療術なども盛んに行われているのだが、そんな状況でも数週間の入院が必要になるのだから、湊が負ったケガの重さはかなりのものだろう。
なお、このナノマシンは湊にも投与されており、現在進行形で彼の損傷した臓器を修復中である。
ちなみに、湊がこの世界に来た時に骨折した腕は、わずか二週間という短期間で完治している。
ともあれ、軍に復帰できるのは一か月は先のことだと言われた湊は、朝から検査攻めに遭い、昼食にと出されたおかゆ状の流動食を流し込んで、ベッドにぐったりと持たれていた。
「疲れた……」
ベッドの上半身の部分を起こしてもたれかかりながら、大きくため息をつきながらぼんやりと部屋を眺めていると突然、病室のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
昨日よりもはっきりとしゃべれるようになった声で湊が返事をすると、ゆっくりとドアが開けられ、リリアと公爵夫妻が顔をのぞかせてきた。
「おじゃまします」
どこか遠慮がちに声をかけながらリリアが入り、そのあとに続くように公爵夫妻が入ってくる。
そして湊の顔を見るなり、夫妻は顔を華やがせながら近づいてきた。
「おお! ミナト君! ようやく起きたのか!」
「心配しましたよ!」
そう言いながら、公爵は湊を軽く抱きしめ、夫人は優しく湊の手を握る。
「君が任務中に大けがを負って病院に搬送されたと聞いたときは、流石に肝が冷えたぞ」
「そうですよ。この人なんて、動揺のあまりに椅子は蹴倒すし、カップは割るし、屋敷を飛び出そうとするしで大変でした」
「シェリー!? それは言わない約束では!?」
夫婦のやり取りに湊も思わず笑ってしまう。
「あははは……イタタタ……」
笑ったことで痛みがぶり返してきたお腹を押さえた湊は、やがて痛みが落ち着いたところで改めて公爵夫妻とリリアに目を向けた。
「この度はご心配をおかけしました」
そう謝る湊に対して、リリアが首を振る。
「いえ。謝るのは私のほうです。私のほうこそ、ミナトに助けてもらいました……。ありがとうございます。そして、ケガをさせてしまったことを、隊長として謝罪します。申し訳ありません」
そして深々と頭を下げるリリアに、今度は湊が首を振って見せた。
「リリアが謝ることはないよ。僕もこうして生きてるんだし、リリアを助けることができてよかったって思ってるんだから。だから、頭を上げて?」
湊の言葉にリリアはゆっくりと頭を上げ、「ありがとうございます」とお礼を言ったところで、チャールズが「そういえば」と話題を切り替えた。
「ミナト君、退院はいつごろになるのかね?」
「えっと……、確かお医者さんの話だと……」
チャールズの問いに、湊は今朝医者から伝えられたことを思い出しながら応える。
「大体、一か月くらい入院が必要だそうです。内臓の損傷はナノマシンで粗方修復できているそうですが、まだナノマシンが排出されてないということは、治療も完全に終わったわけではないそうで……。あとは骨折もあるし、リハビリもあるから、恐らくそれくらいはかかるだろうっていわれました」
「そうか……。長いな……。だが、ミナト君も頑張ってるんだ。我々もできる限り毎日お見舞いに来るとしよう」
そう言いながら妻に目を向けると、シェリーも頷いて返した。
「そうですね。幸い、今は仕事が立て込んでいるわけでもありませんし、ミナトさんが退院するまでお見舞いに来ることはできるでしょう。何せ、ミナトさんも私たちの大切な家族ですから」
「そうだな。仕事があろうと、家族のお見舞いという理由があるのだから、そっちを優先してしかるべきだな」
どこか言い訳に聞こえるのは気のせいだろうか、と思いつつも湊はそれを口に出すことをしなかった。
ちなみに、湊の推測通り、チャールズは湊のお見舞いを理由に仕事をさぼろうと画策しているのだが、そんなことは妻であるシェリーにはお見通しなので、のちにチャールズの脱走は阻止されてしまうのだが、それはまた別の話である。
ともあれ、両親のやり取りを見たリリアもまた、なぜか意気込んで湊に宣言する。
「私も毎日お見舞いに来ますね! 仕事が終わった後とかになるので、遅くなってしまうかもしれませんが!」
「あ……うん。ありがとう。でも無理はしないでね。疲れてたり、きつかったりしたら、お見舞いに来るんじゃなくて、しっかり休んでね。もちろん、ちゃーるずさんもシェリーさんも同じですよ。僕のお見舞いより、まずは自分を優先してくださいね」
湊の自分たちを気遣う言葉に、ガーネット家の全員が感激する。
「ミナト……。あなたは本当に優しいですね」
「リリアの言うとおりだ。自分のケガよりも我々を気遣うとか……!」
「ええ! 本当にミナトさんは我がガーネット家の誇りです! どこにもお婿に出せません!」
「あ……あははは……」
感激のあまり涙まで流す彼らに、湊はただただ苦笑するしかなかった。
◆◇◆
それからしばらくして全員がが落ち着きを取り戻し、それぞれが談笑していた時のことだった。
少しの間、何かを迷うような素振りを見せていたリリアが、意を決したように頷いてから、両親を振り返った。
「お父様、お母様……」
声の真剣さに気づいた夫妻がそれまでのお茶目な態度から一変させるのを見届け、リリアは大きく深呼吸をしてからしっかりと両親を見つめる。
「今回のことで、以前お父様がおっしゃっていた言葉の意味をようやく理解できました。私は弱い人間です。大切な人を守るどころか、その人に守ってもらっていました。そして、気づいたのです。何かを守るためには、まず自分を守らなければならないと……。自分を守ることができない人間に、国民全員の安全どころか、大切な人すらも守ることはできないと……」
リリアの真剣な言葉は続く。
「ですから、これからは自分をもっと大切にしていきたいと思います。そして、まずは自分の手の届く範囲、大切な人を守ることから始めていこうと思います」
そうして言葉を紡ぎ終えた娘を見て、チャールズとシェリーはお互いに顔を見合わせた後、満足げな笑みを浮かべた。
そして。
「よくぞ、そのことに気づいてくれたな、リリア。わしが誕生日に言いたかったのは、まさにそのことなのだ」
「えぇ。本当に成長しました。私も嬉しいです」
「ということは、シェリーも問題ないな?」
「はい。あなたもでしょう?」
「うむ」
お互いに何かを確認しあった後、チャールズは居住まいを正して軽く咳ばらいをしたあと、娘に向きなおる。
「リリアよ。合格だ」
突然「合格」と言われて首をかしげるリリアに、チャールズは続けて言う。
「お前に試練の合格を言い渡す。よって、公爵の地位を正式にお前に継承しよう」
父からの言葉を理解したのか、リリアが眼を大きく見開く。
「本当に……いいのですか?」
「ああ。正式な継承式などはまた日を改めて行うが、これからはお前がガーネット公爵家の当主だ」
その特徴的な深い柘榴石色の瞳いっぱいに涙を浮かべるリリアに、湊がほほ笑む。
「よかったね、リリア」
「はい……」
そうしてお互いに笑いあうリリアと湊を、チャールズとシェリーの二人は愛おしそうに見つめるのだった。




