第32話 いるべき場所
感想、その他反応をもらえると作者が大変喜びます。
石動湊は、居候先のガーネット家から与えられた自室のベッドで横になりながら、一人悩んでいた。
学校からの帰り道、ファミレスに皆で寄ってジュースを片手に他愛もない話で盛り上がる。
実に青春らしい時間を送り、満足しているはずなのだが、どうにも湊は胸の奥にもやもやした物を感じていた。
友人たちと過ごす時間は確かに楽しかった。
そのはずなのに、どこか自分の知っている日常とはズレたような違和感を覚えていた。
日常であって日常ではない、そんな矛盾したフレーズがしっくりとくるような、そんな感覚。
「いったい何なんだろう……。それに……」
呟きながら、自身の胸に手を当てる。
一日中、正確には数学の授業で飛び起きた時くらいから、違和感と一緒に胸に駆け巡るのは焦燥感。
何かしなければいけない、早く何とかしなければいけない。
けれど何をしたらいいのか、どうしたらいいのか何もわからず、ただ漠然とした焦りだけが胸に残り続けていた。
「まぁ……、考えても仕方ないか」
何も分からないのであれば、今の自分にやれることはないと思考を放棄する湊。
こういうところの切り替えの早さは、湊の数少ない美点とも言える。
そうして湊は、柔らかなベッドに包まれながら、ゆっくりと眠りにつくのだった。
そしてその日の夜。
湊は不思議な夢を見た。
それは、ここではないどこかで、湊と友人たちはボディラインが浮き出るようなぴったりとしたスーツに身を包み、同じくスーツを着て、髪を頭の後ろで一つに纏めたリリアの前に並んで立っていた。
リリアが何かを話しているようだが、その声は湊には聞こえない。
しかし、夢の中の湊はしっかりとその言葉を聞き取ったのか、何事かを呟いて、ほかの皆と同じようにどこかへと向かっていく。
まるで誰かに勝手に身体を操縦されているかのように、まったく湊の意思を反映しない状態を不思議に思っていると、やがて夢の中の湊たちは、巨大な格納庫のような場所へと到着する。
「(ロボット……?)」
それはおよそ、漫画やアニメで見るようなロボットだった。
そのロボットへ、湊は臆することなく近づき、慣れた手つきで乗り込むと、すぐさまいくつもの計器を触ってロボットを起動させると、そのまま夢の中の湊は仲間たちと通信を開いて何かを話し、そのまま格納庫から広い運動場へとロボットを操縦していった。
そして夢はまだ終わらない。
夢の中では湊たちは、自分たちが乗るロボットと同じくらいかそれ以上の大きさの獣と戦ったり、教室で授業を受けたり、休みの日にはリリアとどこかへ出かけたりしていた。
ロボットで怪獣みたいなものと戦うこと以外は、今の湊たちと変わらない生活だった。
だが、その生活もやがてその様相を一変させる。
あるとき、リリアたちと出撃した湊は、チームで協力して猿みたいな獣と戦い、これを倒した。
そう思っていたところで、リリアの後ろで倒れていたはずの猿が突然起き上がり、リリアへと襲い掛かったのだ。
「(危ない!!)」
湊がそう思うよりも早く、夢の中の湊は行動を起こしていた。
猿の鋭い爪がリリアに届くよりも早く、彼女の元へと駆け寄った夢の中の湊は、そのままロボットごとリリアを突き飛ばし、彼女の代わりに猿の爪を受けたのだ。
「うわぁぁぁあああぁっ!!!」
叫ぶと同時にベッドから飛び起きた湊は、荒い息をそのままに自分の顔や手や足をペタペタとさわり、その無事を確かめる。
そうしてひとしきり自分の無事を確かめた湊は、どさりとベッドへと横たわる。
「何ていう夢を見たんだ……」
呟きながら、荒くなった呼吸と鼓動を鎮めるように深呼吸を繰り返した湊は、先ほどまでの夢について考えようとしたのだが、まるで脳が考えることを拒否するように、すぐさま睡魔が襲い掛かってきて、やがて湊はそのまま再び眠りへと落ちるのだった。
◆◇◆
リリア・ガーネットは今日もまた、石動湊が眠る病室を訪れていた。
病室のドアを開けたことに気づいた湊が、あどけない笑顔を自分に向けてくれる。
そんな淡い期待を描きながらゆっくりとドアを開け、そしていつものように眠ったままの湊を見て肩を落とす。
湊が入院してから何度も繰り返されてきた行動を今日もまた繰り返す。
「ミナト……今日も起きませんか?」
寂しそうに呟きながら少年の顔を見つめたリリアは、やがて荷物をソファにおいてから途中で買ってきた花を花瓶に生け、簡素なパイプ椅子を引き寄せて湊が眠るベッドの隣に座ると、いつものように両手でそっと湊の手を包み込む。
自分の手の温もりが、少しでも早く少年を眠りから目覚めさせるように、そう願いながら優しく、けれどしっかりと握る。
そうしてリリアが湊の手を握りながら顔を見つめて、しばらく時間が経ったころ。
普段の疲れか、はたまた静かな病室に定期的に聞こえる心電図モニタの音の影響か、うとうととし始めたリリアは、睡魔に勝つことができずに、やがてベッドの脇に頭を預けてしまった。
それから少しして、リリアが寝落ちしてわずかな時間が経った頃。
点滴や湊の身体につながれた機械の様子を確認するために入室してきた看護師が、湊の手を握ったまま小さく寝息を立てるリリアを見て微笑ましそうに目を細めた後、ポケットから携帯端末を取り出して、その様子を写真に納めた。
ちなみにこの写真は、看護師たちの間で「癒しの写真」として出回ることになり、話を聞きつけたガーネット公爵夫妻が写真を高値で引き取ることになるのだが、それはまた別の話である。
それはさておいて、やがて日が暮れて、窓から入る風が少し肌寒くなってきたころに病室のドアをそっと開けて入ってきたのは、チャールズ・ガーネットとシェリー・ガーネットの公爵夫婦だった。
夫婦は、いまだ目覚めることのない湊と、その脇でベッドに頭を預けて眠る娘を微笑ましく見た後、そっと娘の肩にブランケットを掛けてから、来客用のソファに腰掛ける。
そして。
「ミナト君……、早く起きてくれないと、娘がいい加減参ってしまうよ……。それに私たちも君がいないと、やはり寂しいのだ……」
「ミナトさん、早く起きてくれないとあなたとリリアの婚約パーティーができないじゃないですか……」
「シェリーさん!? それは少し早急すぎやしませんかね!?」
「そんなことはありませんよ。ミナトさんはリリアを好いていて、リリアもまたミナトさんを好いています。ならば二人が恋人になるのも時間の問題です。ということは、すぐに婚約まで話が進むでしょう?」
「だ、だがまだ二人は付き合ってもないんだぞ!? なのにいきなり婚約パーティーなんて……」
動揺する夫とそれをからかう妻がしばらくコントのようなやり取りをしていると、やがて二人が眠るベッドの方から「んむぅ……」という可愛らしい声が聞こえてきた。
それに気づいて夫婦同時に顔を向けていると、口の端から僅かによだれを垂らし、寝ぼけ眼なリリアがゆっくりと頭を上げた。
そして、ゆっくりと辺りを見回して自分を見つめる両親に気づいた途端、リリアは勢いよく身体を起こした。
その際、素早く口元のよだれを拭うことも忘れない。
「お、お父様? お母様?」
「おはよう、リリア」
「おはようごさいます、リリア」
「お、おはようございます……」
動揺を隠すように受け答える娘に、母はカバンからブラシを取り出しながら近寄る。
「ほら、髪が乱れています」
そう言いながら髪を丁寧に梳く母に、リリアは「あうぅ……」と呟きながらも大人しくしているしかなかった。
そんな母娘の仲睦まじい姿に目を細めていたチャールズは、ふとベッドの湊へと目を向ける。
娘との婚約はさすがに冗談としても、異世界から来た少年を今では本当の家族のように思うチャールズは、ベッドにつながれたその痛々しい姿に、眉を顰める。
「ミナト君……、君には言いたいことが……いわなければならないことがたくさんあるんだ……。だから、早く起きてくれまいか?」
父の、あるいは夫の呟きを聞いたシェリーとリリアもまた、湊へと目を向ける。
「私も言いたいことがあるのです。だから、ミナト……」
「私にもありますよ。ですからミナトさん……」
それからしばらくの間、静かに少年を見守った彼らは、やがて静かに病室を出ていくのだった。
◆◇◆
次の日の朝。
昨夜見た奇妙な夢のことがどこか頭に引っ掛かりつつも、いつも通りの時間に目を覚ました湊は、リリアとともに朝食を食べ終えた後、いつものようにガーネット夫妻に見送られて、彼らが通う学校へと歩いていた。
途中で合流したアッシュやアリシア、ユーリたちと一緒に登校しながら、話題の学食や購買のパン、ドラマや俳優や化粧品など、実に他愛のない話をする。
いつもと同じ、実に平和な日常。
それがこれからもずっと続くと、理由もなくそう思っていた。
しかし、そんな平和な日常は、ある日突然壊れることがある。
あるいは、どこかの国の突然の侵略によって。
あるいは、巨大な隕石が落下することによって。
あるいは、突然謎の組織同士の抗争に巻き込まれることによって。
今回の場合は、信号を無視して正面から突っ込んでくる、大型トラックだった。
みんなで何気なく歩いていたいつもの歩道に、巨大な鉄の塊が突っ込んでくる。
「危ない!!」
誰かが叫んだ声に反応して、全員がその場から飛びのいた。
そのはずだった。
「きゃっ!」
聞きなれた声の短い悲鳴に振り向いた湊が目にしたのは、リリアが躓いて道路に倒れこんでいる姿だった。
「リリア!!」
叫んだ湊が、自身でも驚くほどの速度を持ってリリアのもとに駆け付け、その腕を引っ張って自分のもとに引き寄せる。
その直後、湊たちを掠めたトラックは勢いそのままに、すぐそばにあった店のショウウィンドウに轟音とともに突っ込み、店内を散々に破壊した後、ようやくその動きを止めた。
「ミナト! リリアたん! 大丈夫か!?」
アッシュたちが心配して駆け寄ってくる中、湊はトラックからリリアを助けた瞬間に脳裏にフラッシュバックした光景に目を見開く。
それは、昨夜に湊が見た不思議な夢。
リリアが乗るロボットに、巨大な猿が襲い掛かろうとする瞬間の光景。
そして、それを湊が身を呈して守ろうとする瞬間の光景。
だが、今度は夢という曖昧なものではなく、湊自身の確かな記憶だった。
それと同時に湊の中に、今のこの平和な世界では決してあり得ないような、様々な記憶が駆け巡る。
「(ああ、そうか。僕は……)」
自分が本当は何者であるのか、何をしてきたのか、そして何をしなければならないのか。
その全てを、湊は思い出した。
それと同時に、ここ最近彼の胸の中に居座っていた、妙な焦燥感の正体も。
「ミナト……? 大丈夫ですか?」
そう声をかけられてハッと我に返った湊は、抱きしめたままのリリアを解放する。
「ケガはない?」
そう訊ねられ、こくりと頷き返したリリアに湊はほほ笑む。
そして。
「ごめん、リリア……。それに、アッシュ、アリシア、ユーリも……」
リリア、そして駆け寄ってきた友人たちに頭を下げる。
「おいおい! お前が謝る必要なんて何も無ぇじゃねぇか!」
「せやで! 悪いんは、信号無視して突っ込んできた、このトラックやろ!?」
「ミナト先輩、頭打った、です?」
事故のことでの謝罪なのだろうと、弁護を始める友人たちに、湊は苦笑しながらも首を振る。
「違うんだ……。そうじゃない。僕は……」
「ミナト……?」
いつもと違う雰囲気を察したリリアに、湊は言う。
「僕、行かなくちゃ……」
「どこにですか?」
「ここじゃないところ。僕が本来いるべき場所……」
「もう、いいのですか?」
何か分かった様子のリリアの問いに、湊は頷く。
「うん……。この世界は平和で、居心地もいいけれど……。でも僕のいるべき場所はここじゃない」
「ここはあなたを傷つけるものはありませんよ? 怖い目にも、痛い目にも遭いませんよ?」
「そうだね……。でも、僕はやらなくちゃいけないことがあるんだ。だから怖い目に遭っても、痛い目に遭っても、帰らなくちゃいけない。だから……ごめん!」
もう一度仲間たちに「ごめん」と頭を下げた湊は、やがて意を決したように顔を上げると、いつの間にか現れていた光へと歩みを進める。
決意が揺らがないように、迷いを振り切るように、決して振り返ることなく、躊躇うことなく歩いた湊は、やがて眩いばかりの光に包まれた。




