第30話 暗転
カタパルトから勢いよく射出された機体を制御し、着地と同時に両手の操縦桿を思いっきり奥に押し込んで高機動モードに移行させ、そのまま魔獣を確認したポイントへと急ぐ。
自分のすぐ後ろに僚機たちがついてきていることを確認しながらも、リリアの頭には出撃前にカールから告げられた言葉が蘇る。
『隊長はもしかして……、ミナトが好きなのですか?』
ストレートに訊ねられたその言葉にとっさに誤魔化したはいいものの、一度意識してしまえば、そこは思春期真っただ中の少女。
過去に読んだ恋愛小説の主人公のように、石動湊の顔を見るだけで顔が紅潮し、鼓動が跳ね上がるのを感じる。
これでは、これまでとは別の理由で湊の顔をまともに見ることができないし、下手をしたらここ最近のように彼を避けてしまうことすらあり得る。
そんな状態でありながら、出撃前に冷静に湊の言葉に応えられたかといえば、それは偏に突然の緊急事態であり、一時的に隊長としての理性が、恋する心の勢いを上回ったにすぎない。
とはいえ、それは所詮一時的なことにすぎず、一度冷静になってしまうと、再び心は理性を上回る。
「(今は緊急出撃中なのですから、冷静にならないと……!)」
勢いよく頭を左右に振って、余計な考えを追い出そうとする。
作戦行動中は作戦のことに集中しなければ、命を落とす危険すらある。
頭ではそう理解しているのに、リリアは今一つ作戦に集中することができなかった。
一方の湊はというと、対魔獣殲滅兵器の通信モニタ越しに指示を出すリリアの様子が、ここ最近の彼女の自分を避けるような態度から一変、今まで通りに接してくれたことに、ホッとしていた。
「(ちゃんと僕の通信にも答えてくれたし、態度も元通りに戻った……。先輩たちがいろいろやってくれたからかな……。ありがとうございます)」
モニタの向こうの先輩たちに向かって、心の中だけでお礼を言う湊。
直接口にしないのは、素直に感謝しづらい先輩たちだからだろうか。
ともあれ、リリアの態度が元通りになったと感じた湊は、憂慮すべきことはないとばかりに、しっかりと前を見つめて操縦桿を握りしめた。
他方、カール・アイドクレースは内心で頭を抱えていた。
「(なんでこんなタイミングでスクランブルがかかるんだ!)」
彼がリリアに核心を突いた言葉を発した瞬間に待機室に警報が鳴り響き、そのまま緊急出撃となった。
とはいえ、これは誰が悪いというわけではない。
魔獣が出現するタイミングなんて誰にも分らないし、それまでの待機室の空気はカールとダインが心配するほどいたたまれないものだったのだ。
先輩として、また隊員としてどうにかしようとするのは間違いなどではない。
強いて言えば、これもリリアの間の悪さが故に成せることなのかもしれない。
ともかく、かなりタイミングの悪い時に隊長の心を揺さぶるような言葉を投げかけてしまったカールは一人猛省する。
そして、そのまま開きっぱなしの通信モニタに移るリリアの若干紅くなった顔を見る。
「(やっぱり隊長は動揺しているし、もしかしたら作戦に集中できないかもしれない。今回は僕にも責任はあるし、ここは僕が頑張るしかないか……)」
割と正確にリリアの内心を見抜いたカールは、意識を切り替えるように数舜だけ瞑目すると、ゆっくり目を開いて前を見据えた。
そうしてそれぞれの想いを抱えたまま、四機の兵器はまっすぐに魔獣のもとへと走っていく。
◆◇◆
リード・ガレナは、紫獣石の反応が間違っても感知されないようにと、動力を停止させて灯りが落とされた薄暗く、狭い操縦席の中で手元のタブレットを見つめながらその瞬間を待っていた。
「もう少し……、もう少しで僕は……」
暗い笑みを浮かべながら、リードは一人つぶやく。
「思えば、軍学校時代にリリア・ガーネットが講師としてやってきたことがすべての始まりだった……」
男爵家の息子として、また伯爵である叔父の期待を背負った人間として、華々しくデビューするはずだったリード・ガレナ少年の軍学校での生活は、しかし彼が思い描いていたようなものではなく、実際には苦痛と屈辱が大半を占めたものだった。
最初の方はまだよかった。
男爵家の息子であり、将来は伯爵の地位が約束されていた彼の周りには、甘い汁を吸えると思った生徒たちが常に彼を取り巻いていた。
それが崩れ始めたのは、本格的な訓練が始まってからだった。
当時から権力欲が強かったリード少年は、公爵の地位を約束されたリリアに近づき、婿として迎え入れられることで公爵の地位を手に入れようと、彼女に告白したことがある。
しかし、彼女はあっさりとリードを拒絶し、彼は恥をかかされた。
それだけではなく、当時彼が組んでいたチームメイトは自分の指示を聞かず、酷い時は魔獣との戦闘中に一人で置いて行かれた。
その時は、ミナト・イスルギが所属するチームが救援に来て事なきを得たが、事情を聴いたリリア・ガーネットはチームメイトだけでなく、彼も罰した。
もっともらしい理由を告げられたが、けれどそれに彼はいまだに納得していない。
昔から手に入れられないものはなく、さらに親はもちろん取り巻きたちも誰にも怒られたこともなかった彼にとって、リリアが自分のものにならなかったことや、自分が罰せられたことはこの上なく屈辱的なことだった。
そして、それは学校を卒業し、一部隊の隊長となった今でも忘れたことはなく、彼の心の中で暗い闇となっていた。
「(だけど、それも今日まで。これが終われば、ガーネット公爵家に後継ぎはいなくなり、僕が叔父上の後を継いで伯爵となる!)」
心の裡に燃える復讐の炎は、すべての原因がいなくなることでしか消えない。
そして、その炎が消えた時こそ自分は真の平和を手に入れるのだ。
そう信じてやまない彼は、タブレットに表示されている光点をじっと見つめる。
◆◇◆
高機動モードで出撃した湊たちは、やがて魔獣の反応が検出されたポイントに到着すると、すぐさま警戒態勢をとる。
今回反応が検出された魔獣の擬態猿は、体色をあらゆる色に変化させることができ、それを使って地面や樹木、岩、水、はては他の魔獣にまで擬態する。
そして、獲物が油断したところで複数体で奇襲を仕掛け、一気に仕留める。
過去に記録された亜種に至っては、完全に風景に溶け込み、擬態どころか透明になったという報告がある。
しかし、ほかの魔獣に比べて力も弱く、体内の紫獣石の反応から簡単に擬態を見破ることができることから、軍の間での評価は低めに設定されている。
故に、今回のガーネット隊の緊急出撃も危なげなくことが進み、全員が無事に帰還できると誰もが感じていた。
そして実際、事は順調に運んでいるかのように見えた。
入隊して一年未満の湊がいるとはいえ、普段からきっちりと訓練され連携が取れているガーネット隊は、現場に到着するや否やすぐさま、狙撃担当のダインが後ろへさがり、湊とカール、そしてリリアがそれぞれ背中合わせになり、魔獣討伐のための隊列を組み上げる。
『こちらダイン。狙撃ポイントに到着。いつでもいける』
ライフルのスコープを覗き込みながらダインが報告し、センサーを起動させた湊とカールが続く。
「こちらミナト。今紫獣石のセンサーを起動させたよ」
『カール・アイドクレース。同じくセンサーを起動。ただ、今のところセンサーに反応なし』
三人がそう報告し終えたところで、本来ならば隊長のリリアから新しい指示が届くなり、同じく報告が届くなりするのだが、少し待ってみても彼女から通信が届く様子がない。
どうしたのだろうかと思い、湊が声をかけてみる。
「…………? リリア?」
『ひゃっ、ひゃい!? こ、こちらリリア! ま、まだ魔獣の反応はありません!』
驚いた様子で返事をしたリリアは、慌てたように報告をする。
普段、プライベートの時はそれなりの天然ぶりを発揮するリリアだが、仕事中、それも作戦行動中は特に冷静で、周囲の状況の分析や細かな作戦など、仕事をきっちりとこなすタイプなだけに、先ほどのように作戦中にぼうっとしたり慌てるのはかなり珍しい。
いったい何事だろうか、と首をかしげる湊。
それに対し、リリアは強く頭を振る。
「(いけません。今は作戦行動中です。あれこれ悩むのは、すべてが終わった後にして、今は目の前のことに集中ですよ、リリア・ガーネット)」
内心で自分に叱咤し、気合を入れるようにぴしゃりと自分の頬を叩く。
そして。
「申し訳ありませんでした。今は擬態猿の反応はありませんが、この近くに潜伏していることは確実です。このままセンサーの反応を確認しつつ、私、カール、ミナトの三人は少しずつ探索範囲を広げていきましょう。ダインは各機をサポートできるようにお願いします」
いつものようなリリアの指示に、湊たちは「了解!」と返して、そのまま行動に移す。
そうしてじりじりと三人の輪を広げながら進んでいると、やがてセンサーに一つの光点が現れた。
魔獣の体内に存在する紫獣石の反応を捕らえたのだ。
それを確認した直後、同様に反応を捕らえたのだろう、湊とカールから報告が入る。
『こちらミナト! 僕から見て二時の方向に反応があったよ!』
『カールです! 自分から見て十二時の方向に反応を検知しました!』
報告を聞きながら脳裏にそれぞれの機体の位置と反応があった方向を描きながら、リリアも自身のセンサーを確認する。
「私の方も反応がありました! 私から見て十時の方向です! ……これは見事に囲まれていますね……」
各機と魔獣の反応の位置からそう判断したリリアは、湊とカールにその場で止まるように指示を出すと、三人をカバーできる位置にいるはずのダインに訊ねる。
「ダイン、あなたから見てそれぞれの魔獣を確認できますか?」
『ダメっすね。報告があった場所のあたりをスコープで見てみたけど、それらしき魔獣は見えねぇっす』
「そうですか……。やはり何かしらに擬態しているのでしょう……」
そうして少しの間黙り込んだリリアは、脳内でいくつかの作戦パターンとシミュレーションを行い、作戦を決める。
「全員、聞いてください。センサーで擬態猿の位置は特定できましたが、肉眼では確認できません。やはり何かしらに擬態していると思われます。そこで、ミナトとカールは私の合図でセンサーで反応があった位置めがけて、ミサイルをばら撒いてください。そうすれば擬態猿をあぶり出すことができるはずです。ダインは魔獣の位置を確認後、そこへ狙撃をお願いします。そのあとミナトとカールは私と合流し、擬態猿を叩きます。ダインは今回は援護に徹してください」
手早く作戦を伝え、それぞれが了解の意を示したところで、リリアはカウントを開始する。
「三……二……一……今です!」
その合図とともに三機から勢いよくミサイルが射出され、設定されたポイントへ向けて飛翔する。
そして数瞬の後に着弾したミサイルが爆発、轟音と爆炎、そして大量の煙をまき散らす。
直後、その煙を突き破るように三体の魔獣が飛び出し、それぞれ近くにいた対魔獣殲滅兵器に襲い掛かろうとする。
しかし。
『させねぇよ!!』
ダインのその声とともに、三条の光が魔獣に吸い込まれていき、そのまま地面へと叩き落す。
「今です!」
リリアは短く声を発するとともに、撃ち落されて地面で悶えている擬態猿に急接近し、そのままミサイルと銃弾をすべて叩き込む。
至近距離からすべてをまともに受けた擬態猿は、全身を激しく痙攣させた後、そのまま動かなくなった。
「ふぅ……」
緊張を解くように息を吐きだしながら、仲間たちの様子を伺うと、ちょうどカールと湊もそれぞれ魔獣にとどめを差し終えたところだった。
「状況終了、ですね。お疲れさまでした」
部下たちに労いの言葉をかけ、そのまま地面に横たわる魔獣に背を向けて仲間の元へ向かうリリア。
それは、普段の彼女であれば絶対にやらないこと。
油断、あるいは一刻も早く戻って待機中に気づいてしまった自分の想いを何とかしたいという焦りか。
リリア・ガーネットはすっかり失念していた。
普段なら絶対にやるはずの、魔獣の反応を確認するという行為を。
◆◇◆
『今だ!!』
タブレット端末越しに状況を確認していたリード・ガレナは、モニタに表示されているボタンを思いっきり押し込む。
その結果、端末から信号が送信され、擬態猿の首筋に刺されていた小さな装置が受信する。
その装置は、信号を首の神経から魔獣の脳へと微弱な電気信号を送り、ある命令を下す。
――死んだ振りをして、敵が油断した瞬間に襲い掛かれ
果たしてその命令は正しく実行され、倒れた自分に背を向けている敵の様子を伺った魔獣は素早く起き上がると、そのまま目の前の鋼鉄の塊へと襲い掛かった。
◆◇◆
最初に異変を感じたのは異世界から来た少年だった。
湊は、目の前の魔獣が倒れ、紫獣石の反応もきちんと消えていることを確認してから、リリア・ガーネットを振り返った。
同時に、自分たちを振り返ったリリアに、湊も「任務完了」と思い、そして何気なくセンサーに目を向けた。
表示されている光点は、仲間たちの乗る機体が発する紫獣石の反応のみ。
魔獣は間違いなく、すべて討伐されたはずなのに、どこか違和感を覚えた。
「(気のせいかな?)」
そう思い、もう一度センサーを確認するも、やはり光点の数は間違いなく三つ。
リリア、カール、ダインのものだ。
だが。
「(あれ? リリアの反応がちょっと大きい?)」
ダイン、カールの反応に比べ、少しだけリリアの紫獣石反応が大きい。
それに気づいた瞬間、湊の全身に嫌な汗が吹き出し、脳内に警鐘が鳴り響く。
直後、湊は対魔獣殲滅兵器を高機動モードへと移行させ、全力でリリアの元へと駆け付ける。
それと同時に、リリアの後ろで倒れていたはずの魔獣が、身体を勢いよく起き上がらせて、リリアへと飛び掛かる。
「リリア!!」
叫びながら、自分の機体の腕を思いっきり伸ばし、リリアの機体を弾き飛ばす。
『ミナト!?』
弾き飛ばされながらも驚くリリアに、湊がほっとする。
その瞬間、湊は世界のすべてがスローモーションのように見えた。
飛び掛かってきた擬態猿の腕が鞭のように振り下ろされる。
――高機動モードでリリアの機体にぶつかったため、機体が硬直を強いられる
ぎらり、と鈍く光る魔獣の爪が対魔獣殲滅兵器の装甲を引き裂く。
――金属のひしゃげる耳障りな音が聞こえる
コード類が絡みついた爪が、操縦席の壁を破り、湊の目の前に迫る。
――遠くでリリアの悲鳴が聞こえた気がする
そして、石動湊の意識は暗転した。
感想、その他ありましたら遠慮なくいってください。
作者が喜びます。




