第28話 想いと悩み
リード・ガレナは苛立っていた。
軍上層部から与えられた任務は順調にこなし、一部隊の隊長としての実績もある。
さらには、表向きの実績には記録されたないが、彼の叔父から与えられた任務も順調にこなし、その際に使用している新型の可変式対魔獣殲滅兵器も気に入っている。
傍から見れば、若くして一部隊の隊長を任されて新型のパイロットとしても活躍する彼は、順風満帆に見えるだろう。
しかし、それでも彼は苛立っていた。
その原因は、彼が思うほどの評価を得ていないからである。
聞けば、彼が勝手にライバル認定している軍学校時代の同期、ミナト・イスルギは上司であり同居人のリリア・ガーネットの部隊で、先輩たちに交じって日々活躍しているらしい。
だが、それだけならもちろん、リード少年はここまで苛立つことはなかったであろう。
何せ、ミナト・イスルギはいまだ准尉で一部隊員なのに対して、自分はすでに少尉に昇進し、一部隊を任されているのだ。
彼の叔父の金で買った部隊とはいえ、彼の命令に従順で、さらにしっかりと訓練もされた部隊の隊員たちに不満はない。
では、何が彼をそこまで苛立たせているのか。
それは、リリア・ガーネットが彼女の父親から侯爵家を譲られるという話を耳にしたからだ。
同じ部隊長であり、上からも評価され、その評価が認められたがゆえに(と勝手にリード・ガレナが思っている)、彼女は公爵という地位を譲り受けるのに対し、自分は叔父からいまだに家督の話を聞かされていない。
ちなみに彼の実家である「ガレナ家」は貴族ではあるものの、叔父の「オニキス家」の分家ということもあり、爵位は低く、「子爵」となっている。
そして、叔父のドレアス・オニキスは直系の子供どころか、結婚もしていない独身であり、仮に爵位を譲ることとなれば、唯一の肉親で弟の子供である、リード・ガレナに譲ることになり、それはオニキス伯爵から直接リードにも伝えられていることである。
それだというのに、まだ叔父から爵位継承の話をされたことがないリード少年からすると、自分と同い年であるリリア・ガーネットが爵位を継承するという話は面白くない。
なぜ、あいつは……。なぜ、自分は……。なぜ、あの人は……。何故、何故、何故……。
そうした鬱憤が、彼を苛立たせている原因だった。
だからリードは、行動に移すことにした。
その日、オニキス伯爵は彼が所有する魔獣の研究施設で、魔獣に取り付けるとある装置の研究の様子を見ていた。
そこへ突然、端末を読み取り装置に乱暴に叩きつけてロックを解除したリード・ガレナが入室してくる。
そして叔父の姿を見つけるや否や。
「叔父上! 一体どういうことですか!?」
口調も荒く、尊敬するはずの叔父に食って掛かった。
とはいえ、「どういうことですか」のみで、そこに含まれる意味をすべて理解できるわけもなく、オニキス伯爵は眉をひそめながら、ゆったりと彼を振り返った。
「研究施設では静かにしなさい。それと、何に対して「どういうこと」なのかね?」
あくまでもゆったりとした口調の伯爵に対して、リード少年は口角泡を飛ばす勢いでまくし立てる。
「先日私の耳に、あのリリア・ガーネットが爵位を継承するという噂が届きました! アイツは父親から爵位を貰うというのに、叔父上は私にそういった話を一切してくれません! アイツと私は同じ中尉だ! 部隊長だ! 私にだって実績もある! なのに私とアイツで何が違うというんですか!?」
興奮で顔を赤くしながら言うリードに、オニキス伯爵は「なるほど」と思う。
「つまりお前も早く爵位が欲しい、そういうわけなのだな?」
リードが頷くのを見て、伯爵は「やれやれ」と首を振る。
「お前とリリア・ガーネットに何も違いなどありはせんよ。お前もあやつも、同じ軍人で、同じ人間だ」
「だったら何故……!」
「それはな、リードよ……」
食って掛かろうとするリードを遮るように、オニキス伯爵が続ける。
「私がお前はまだ早い、そう思っているからだ」
「早い……ですか?」
「その通りだ。お前はまだ、私が望むほど成長しているわけではない。精神的にも、経験も、すべてが未熟なのだ」
叔父の言葉を聞いて落ち着きを取り戻したリードの肩に、伯爵はそっと手を置く。
「もちろん、可愛い私の甥に爵位を譲るのは私の望みでもある。いずれ時が来れば、その時は必ずお前に伯爵の地位を渡す。必ず、だ。分かってくれるな?」
その言葉にコクリと頷いた甥に、伯爵は満足そうな笑みを浮かべる。
そして、彼の背中に手を回して帰らせようとしたところでふと、その動きを止める。
「(確かにガーネットが今後の計画の邪魔になる可能性は高い……。で、あれば今のうちに邪魔な芽を摘んでおくのも悪くはない、か……)」
そう黙考した伯爵は、にやりとその顔をゆがめると、リードの正面に回り込んだ。
「とはいえ、お前の焦る気持ちもよく分かる。ならばどうだ? あの装置を使って、リリア・ガーネットを始末しておこうではないか?」
叔父の言葉を聞いたリードは、一瞬だけ目を大きく見開いた後、叔父そっくりに顔を歪めた。
「いいんですか、叔父上?」
「リリア・ガーネットが死ねば、ガーネットも我々の相手をする余裕もなくなるだろう。それに、お前の鬱憤も晴らせるのだ。問題あるまい?」
明かりが落とされた暗い研究室の中で、叔父と甥の怪しげな笑顔が、わずかな光に照らし出された。
そして、石動湊とリリア・ガーネットにとって、のちに忘れられない事件が起こる。
◆◇◆
少女は数日前から困惑していた。
常に心の中にもやもやしたものがとどまり続けていたのだ。
例え気晴らしにどこかへ出かけようと、公爵の仕事に打ち込もうと、軍の仕事に従事しようと、何をしていてもそのもやもやは晴れることはなく、どころか、とある少年の顔を見ると、そのもやもやしたものが更に大きくなっていくのを感じるのだ。
「(いったい、これは何なのでしょうか……)」
特徴的な深い柘榴石色の瞳をそっと閉じ、少女はその小さな胸の内で自身に問いかけるも、その答えを出すことはできずにいる。
いくら考えても、一向に出すことのできない答えに彼女は頭を悩ませていた。
しかし彼女の生来の真面目さゆえか、それとも個人的な悩みは自力で解決すべきと固く決めているためか、彼女はその小さな胸の内を誰かに吐露することはなく、それどころか、誰にも悟られないように極力普段通りに振る舞うようにしていた。
けれど彼女の変化は、彼女に近しいものほど気づいていた。
そしてそれは、当然異世界から来た少年も彼女の変化に気づいた一人だった。
正確には、気づいたというより気づかされたというべきか。
何せ、湊が同居人たる彼女、リリア・ガーネットに話しかけようとしたり、家の廊下でばったり会った時などに、彼女は突然踵を返して、どこかへと去っていくからだ。
さすがに軍務の時は、必要事項の連絡などがあるため、リリアも湊の前に立って話すことはあるが、それでも明らかに湊の眼を見るのを避けている様子だった。
そんなことを何度も繰り返せば、どれだけ鈍感な人間でも「避けられている」と理解できる。
「僕、何かやったのかな……?」
ガーネット邸の自分の部屋で、独りつぶやく湊。
無駄に広いベッドの上で、ぼんやりと天井を眺めながら、彼の独白は続く。
「やっぱりあの日から、リリアの様子がおかしいんだよな……」
彼の言う「あの日」とは、先日ガーネット公爵が運営する擁護院で、リリアと湊に同行した少女クーリア・ジェードから、告白された日で、ちょうどその場面をリリアに目撃されたのだ。
「あの後、すぐにリリアを追いかけたけど結局追いつけなかったし、いつの間にか屋敷に戻ってたリリアはもう僕の顔を見ようとしなかったからなぁ……」
恐らく、その告白の場面を目撃されたことが起因だと思われるが、だからと言ってリリアが湊を避ける理由にはならない。
何せ、彼らはすでに恋人同士というわけでもなく、それどころか湊はリリアを異性として好きだと自覚しているが、彼女が彼を異性として好きかどうかは分からない状態のだ。
もし仮にリリアが湊を何とも思っていないのであれば、告白シーンを目撃した直後に驚きこそすれ、その場から逃げたり、湊を避けたりする必要はないのだが、この少年は元いた世界で女性と付き合った経験はなく、恋心を一方的に自覚することはあれど、誰かから好意を抱かれたことも、クーリアを除いてない。
その経験の浅さが、リリアの異変の原因を知ることへの妨げとなっていた。
ともあれ、リリアがきちんと自分の仕事に集中できていない現状は危険だし、何より恋心を抱く彼女にずっと避けられている状況を何とかしなくてはならない。
そこまで考えて、湊は携帯端末を取り出すと、登録してあるとある番号を選び、そのまま電話をかけた。
そして、待つこと数舜。
携帯端末のホログラフに浮かび上がったのは、湊の親友のアッシュ・ハーライトの姿だった。
『よう! どうした相棒? 急に電話なんでしてきて……』
「うん……、ちょっとアッシュに相談したいことが……」
『ははん? さてはまたリリアたんのことだな?』
「うえ!? なんでわかったの!?」
驚く湊に、アッシュは苦笑してみせる。
『なんでも何も、お前が俺に電話をしてまで相談するって言ったら、大抵はリリアたん絡みのことだからな。前のリリアたんの誕生日プレゼントの時もそうだったし』
そういえばそうだったっけ、と納得した湊が「あはは……」と力なく笑う。
『それで? 今回はリリアたんとなにがあったんだ?』
「それが……」
そうして湊は頼れる相棒に話し始める。
何となくリリアに避けられていること、そして普段のリリアの様子もどことなくおかしく、任務や仕事に今一つ集中しきれていないこと、下手をしたら出撃の時にリリアが危険であること。
『そうか……。それは一刻も早く何とかしないとな……』
湊の話を馬鹿にするのではなく、真剣に聞いて悩んでくれる親友を頼もしく思う湊に、アッシュは問う。
『それで? どことなくお前にも心当たりがあるんだろ?』
わずか一年という期間ではあったが、ルームメイトとして、チームメイトとして苦楽を共にしてきたアッシュは、湊の考えをおよそ理解している。
そしてそれをわかっている湊が、ゆっくりと頷く。
「うん、実は……」
湊は語る。
軍学校の訓練生に告白されたこと。それを断ったこと。恐らくその場面をリリアが見ていたこと。
そして、たぶんその日くらいからリリアの様子がおかしくなったこと。
それを聞いたアッシュはなるほど、と思う。
「(リリアたんが湊が告白されるシーンを見ていたのは、ほぼ間違いない……。そしてそこを逃げ出したということは、多分リリアたんも湊のことを……。でも恐らく、彼女自身それに気づいていないって感じかな?)」
およそ正確に二人の状況を理解したアッシュは、一人くつくつと笑った。
「(なんだ、結局俺たちがあれこれ口を出さなくても、この二人はお互い好きなんじゃないか)」
ここで湊へ正解を伝えてもいいが、恐らくそれでは湊が今度は逆にリリアのことを意識しすぎて、お互いにぎくしゃくしてしまうだろう。
それは二人にとってあまりよろしいことではない。
そこまで考えて、アッシュは口を開いた。
『俺は多分だけど、理由がわかった気がする』
「本当!?」
目の色を変えて食いついてくる湊を、「だが」とアッシュが真面目な顔で遮る。
『こればっかりは、俺が伝えても意味がないことだし、俺からいうわけにはいかない』
「そんな!? どうして!?」
『これは他人が……、俺が口を出すべきことじゃない。お前とリリアたん自身が答えを出さなきゃいけないんだ』
「僕とリリア自身が……?」
アッシュは、先ほどまでの真剣な顔から、いつものお茶らけた表情に戻す。
そして。
『ま。そういうことだから大いに悩みたまえ、若者よ』
どこぞの老人のような口調で告げたアッシュは、そのままプツリと通信を切った。
「あ! ちょ!? アッシュ!!」
一方的に通信を切られた湊が慌てて制止するよりも早く通信が途絶え、湊は力なくベッドに横たわると、先ほどアッシュに言われたことを頭の中で反芻した。
「僕とリリア自身が答えを出す……か……」
それができれば苦労しないのに、と思いながら、湊は諦めたように眼を閉じるのだった。




